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「ゆれる防衛本能」(1)

発酵と腐敗の関係

 以前、別の媒体で「発酵と腐敗」について書いたことがある。

 内容はどちらも「糖分や蛋白質などの有機物が微生物によって分解される現象」で、微生物側からの行為としては同じこと。しかし分解の結果生成されたものが人間にとって「善」か「悪」かで呼称が変わってしまう、ということだった。

 いささか乱暴な言い方ではあるけれど、たとえば「米に含まれる糖分が麹菌・酵母などによって分解されてアルコールを生成したもの」はご存じの通り「日本酒」だし、「大豆を麹や酵母で発酵」させれば「醤油」になる。

 一方、魚や肉が微生物によって分解されてできた生成物やその際に増殖する大腸菌、黄色ブドウ球菌などの細菌が体内に入って悪さをすると食中毒で、こちらの分解過程を「腐敗」と呼んで人間にはよろしくない。よろしくない、というより場合によっては生命にも関わる問題で、猛暑の盛りは越したと言ってもまだ湿度や気温の高い日のあるこの季節、まだまだ油断してはいけないのである。

 ところでこの「腐敗」を察知するための「人類への警告」とも言える要素が「匂い」。いわゆる「腐敗臭」というヤツで、人間はあらかじめ自分の体に悪影響を及ぼすものを察知する能力が優れているのだなぁ、と「悪くなった食べ物を捨てる」度にいつも感心する。

 満腹でお皿に残ってしまった「肉野菜炒め」。あるいは食べた「アクア・パッツァ」の鍋に残った「おいしいスープ」。「明日食べよう」、「別の料理に使えるかも」と容器に移して冷蔵庫へ収納する。数日後。「これ、いつのだっけ?」 「おととい?」 「いやその前かも……」 くんくん……これで「ダメだ。捨てましょう」となるか「まだイケル」となるのか、判断の決め手が匂いなんですね。発酵食品によっては「けっこうな匂い」がしても大丈夫、というよりむしろ「珍味」として珍重されるものはあるものの、僕たちが日常口にするものに関してはこれをひとつの規準としていいと思う。

 前日に残って一日冷蔵庫で冷やされた肉野菜炒めはあんがい熟成(?)して「旨くなってる」ことがあるんだよね。カンタンには捨てられないけれど、2日以上経ったものを食べても未だにおなかを壊したことがないのはこの能力のおかげ。今回は「危険察知能力」のお話です。

<つづく>

「ゆれる防衛本能」
(5)
見ざる聞かざる嗅がざる

「ゆれる防衛本能」
(4)
「無音」の恐怖

「ゆれる防衛本能」
(3)
音は知らせる

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