茶柱横町 茶柱横町入口へ
 
 
プロフィールを見る
前を見る

「ゆれる防衛本能」(5)

見ざる聞かざる嗅がざる

 ただでさえ驚く「静かなものの接近」だ。そこへイヤホンで耳を塞ぎ、あまつさえ携帯電話の画面に目を奪われている状態は、ある意味「危険察知能力を放棄している」といってもいいのではないか。

 事実、電車のホームを歩きながらスマートホンの画面に集中した結果、線路へ転落、運よく助けられた人もいるとは聞くけれど、何人かはケガをしたりあるいは命を失ってしまったケースだってあった、あるいはこれから同様の事故が起きる頻度が増すのではないかと推測する。

 これだけ人口密度の過多な都市にあって嗅覚、聴覚、視覚、触覚、これらすべての機能を「オン」にした状態でこそ回避できる危機の接近が、いま知らず知らずのうちに放棄されている状態は、僕にはとても危険に見える。なぜこれだけのことにそれほどの危機を覚えるかというと、話は飛ぶかもしれないけれど「本当に危ないもの」は「その存在を認識できない隙」をついて近寄ってくると僕は思っているからだ。

 たとえば「放射性物質」やあるいはそれが飛散する状況を生むに至った経緯。たとえばなにかきな臭い「戦争へ繋がる道の予感」とそこへ進もうとする小さな変化。そして「隣国への憎悪」とそれを意図的にコントロールしようとする情報。もしくは「経済倫理の犠牲者になる可能性」やそこから大きな利益を生もうとする動き。

 どれもこれらを察知するには「動物的感覚」だけでは不十分で、世界に溢れる過剰な情報からの取捨選択を含めたブラウジング能力と、収集能力が付加機能として不可欠だろう。その情報収集する上での目を、耳を、鼻を塞いでしまってはいけない、と僕は自分に言い聞かせる。

 そしてそれは自分を護るためだけではない。そうすることで近くにいる人達を護ることに繋がればいい、だから考え続けなければなぁ、と。それが「危機回避能力をオンにする」と言うことなんだろうなぁ、とも。なかなか難しいけれど。

「ゆれる防衛本能」
(5)
見ざる聞かざる嗅がざる

「ゆれる防衛本能」
(4)
「無音」の恐怖

「ゆれる防衛本能」
(3)
音は知らせる

バックナンバーiNDEX
前を見る
| 著作権について | このページのトップへ | 茶柱横町入口へ |