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「ゆれる防衛本能」(4)
「無音」の恐怖
それは主に商店街や住宅街の「歩行専用路」のない場所で出会うもの。商店街ならほかに音が氾濫しているからまだしも比較的静かな住宅街でも気づかない。いわゆるハイ・ブリッド・カーやEVとの接近だ。
鳥の声を聴きながら、あるいは木々の葉を、空を見ながら歩いているとふいに後方から体の側面を追い抜いていく車。あの突然の出現に驚くのだ。「そ〜っ」と近寄ってきて「スーッ」と追い抜いていくあの感じ、いつも激しく驚いて「うわっ!」とか過剰な反応をしてしまって恥ずかしい。
それ(無音)が原因で事故が起こったかどうかは不勉強でわからないけれど、今はわざと音を出すようにする機能もあるそうで、やっぱりそれに対する違和感はあったのだろう。
しかし、考えてみれば「走行音がうるさい」という意見が大半だった時代に対応して、「じゃあ静音化しましょう」と開発された技術に「静かすぎて怖い」というのもどうかと思う。そういえば技術開発で「無音」でシャッターを切れるようになってしまったカメラにわざわざ「シャッター音」を出す機能が追加されたこともあった。あれもずいぶんな感じがしたけれどそう感じたのは僕だけだろうか。この場合は「盗撮」や「無遠慮な撮影」を抑止する、という目的もあったのだろうが、せっかく静かになった自動車に「音を出させる」というのも妙な話だ。
こういう話をすると「目の不自由な人のことを考えていない」という人がいそうだが、そういわれたらこう言いたい。耳にイヤホンをつけて歩行している人はどうなのか、と。
そこで今回の本題に入る。「危険察知能力の放棄」についてである。
<つづく> |
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