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Vol.13 「アール・ブリュットと出会った」

 「芸術」というものはいつの時代も、アカデミックで格調高く、一般人を遠ざけるものであります。でも、そういった文脈に反旗をひるがえす男たちが世に存在するのもまた事実。

 その昔、ジャン・デュビュッフェというフランスの画家がいました。1950年代に前衛美術運動の先駆けとして注目された人ですが、彼は画家というよりむしろ、「アール・ブリュット」という概念を作り出したということで有名です。

 アール・ブリュットとは、英語にすると「アウトサイダー・アート」。つまり、アカデミックで学術的なアート作品ではなく、素人もしくは精神病患者などが、「作らなければいけない」という切実なる創作リビドーに則って作った奇想天外なアート作品のことです。

 芸術作品なのでネットから写真を転用するのは気が引けますが、「アウトサイダー・アート」で調べてみてください。ものすごい作品がいろいろ出てきますから。

 デュビュッフェは、これら風変りな作品を愛すとともに、西洋美術のアカデミズムやブルジョアジーへのアンチテーゼとして、反文化的価値を強調したんですね。

 いま僕はこのアウトサイダー・アートに夢中で、ちょっとしたビジネスをやろうとしているんですが、いろいろ調べてたら、ふと、昔のことを思い出しました。

 大学生の頃、トークライブハウスという奇妙なところで働いていた時のことです。僕はお酒を作ったりホールを駆け回ったり中華鍋をふるったりしてたんですが、いつも来るオッサンの客がいました。

 身長は160センチ程度でしょうか、当時40歳ぐらい(予想ですが)、そして体重は200キロ近く(これも予想ですが!)、まるで映画SEVENの最初の被害者のような、はっきりいってなかなかにひどい有様のオッサンでした。

 その人は店に来るといつも、なぜか僕ら従業員に超濃厚な牛乳をプレゼントしてくれました。なぜ超濃厚牛乳なのか、ぜんぜんわかりません!「こ、こ、これ、あげる」喉に詰まった声。「ありがとうございますっ」ぐびぐび。まかないと一緒に飲んでましたよ。大学生時代の僕はそうやってすくすく育っていったんですね。

 ある日、彼がぼくらがいるバーカウンターに歩いてきました。周りの温度が2、3度ぐらい上がりそうなほどの圧迫感。手にはいつもの超濃厚牛乳。彼は僕らの前まで来ました。そして牛乳とともに、一枚の紙を差し出してきたのです。

 その時の衝撃といったらなかったですよ。

 その紙には、ずらりと20機ほどの「戦闘機」が並んでいました。それも超精密な戦闘機。けっしてうまくはないが、細部まで描かれており、書き手の偏愛が伝わってくる…人の心を鷲掴みにする何かを持っている絵でした。

「えっ?えっ?」
 あっけにとられている僕らに、彼は言いました。

「(ある戦闘機を指さして)これが宇多田ヒカル。(また別の戦闘機を指さして)、これはV6。で、これが……」

 胸が熱くなりましたねぇ。
 なんてことでしょうか。彼の中では、当時はやっていた日本のポップ歌手が戦闘機に見えていたのです(もしくは歌手を戦闘機に転換していた? な、なぜだ!!??)

「あの瞬間、僕はアール・ブリュットに出会っていたのだなぁ」

 今、切実にそう思いますね。

 1949年に発行された「文化的芸術よりもアール・ブリュットを」によれば、デュビュッフェは≪アール・ブリュット(アウトサイダー・アート)≫を、「芸術の教養に痛めつけられていない連中の作品のこと。彼らにあっては知識人の場合と違い、真似事がどこにもない。主題、素材の選択、配置の方法、リズム、書法など、全てを自分自身の奥底から引き出しているのであって、古典芸術のしきたりや流行芸術のやり方を借りたりはしない。ここに見られるのは、自分自身の衝動からのみ始めて、全てが再開発された、最も純粋で、生の芸術行為である」と定義しています。

 また日本のあるギャラリストはこれを「誰のためでもなく、これをしなければ生きていけず、そしてほとんどの場合、生涯やめない。そもそも社会の枠に入っていないので、誰かを喜ばせようとも思わない」と定義しています。

 これほどまでに胸を打つ言葉の定義が他にありましょうか?

 もちろん、アール・ブリュットだけが芸術だという気がありません。abcd協会創設者ブルノ・デシャルムは「既存文化との接触を否定しない。むしろ既存文化を養土としながら突然変異的に生じる得意且つ孤立した精神構造に注目する」とし、既存のアートの存在を否定しているわけでは決してないと強調しています。

ただ、「自分が枠の中にいると気付かせてくれる」という芸術の本質を、アール・ブリュット的作品の多くから強く感じられるのもまた事実。

 これから、こういう作品が社会に及ぼす影響はどんどん大きくなってくるのではないでしょうか。こういった感覚をもたらす何かを多くの人が求めているような気がします。少なくともぼくはそうです。

 まだ僕はアール・ブリュットの入り口に立っただけ。門を叩いたばかりです。これからどんな作品や作家に出会えるのか。。。まだまだ死ねませんねぇ。

高橋 大樹



HP「高橋大樹のマーケット放浪記」
http://hirokitakahashi.com/

連載(毎日更新)commodity-board.com
https://commodity-board.com/2011/05/post-6345.html


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