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Vol.23
ジャックバウアーが学校の先生だったらよかったのに。
-世界の裏表を肯定する「24」-

 24、ジャックバウアー…世間からしたら完全にオワコン(終わったコンテンツ)なのかもしれない。ぼくが初めて24シリーズをみたのは何年前だろうか。当時は、今のTSUTAYAみたいに旧作レンタル100円ではなくて、普通に一週間300円以上はしていた。次々に出てくるDVDに結構な金を使った気がする。

 今、改めてぼくは24を観ている。
 きっかけは良く覚えていないが、一話観たら、また止まらなくなってしまって、今シーズン4の途中である。やっぱり、面白い。

 24だけじゃなく、ぼくはアメリカンドラマのファンで、結構観ているほうだ。HEROs、Bones、プリズンブレイク、Lost、最近ではウォーキング・デッドなど。この原稿を書きながら思い出したが、高校生の時に観たアリー・マイラブがはまった最初だったかもしれない。その他、刑事コロンボ、ソプラノズ、スーパーナチュラル、メンタリスト…とここでは書ききれない。
 アメリカに住んでいた頃も、X−fileがテレビで一日中流れていて、海外に住んでいたのに引きこもりになりそうになったこともある。

 アメリカンドラマの種類は多岐に渡る。
 どれも本当に良く出来ていて、続けて観ることができる。でもやっぱり24はその中でもかなりクオリティが高い方だと思う。「良く出来ている」なんてことは当たり前。じゃあ、なんでこんなに面白いんだろうか?ぼくは風呂の中(けっこう風呂でDVDを観ることが多いので)で考えてみた。

 表向きのテーマは、CTUという政府系の対テロ組織で働くジャックバウアーが、悪党に立ち向かうという、勧善懲悪タイプのシンプルなものだ。

 だが、そこに入ってくる要素が他のドラマと比べても、多岐にわたる。善と悪の構図、家族の絆、上司や部下との関係性、信頼と裏切り、恋愛など、ぼくらが今住んでいるこの社会にちりばめられたあらゆる要素を網羅しているといえるだろう。それらが複雑に、スリリングに絡み合うことで、ストーリーに深みを持たせているのだ。

 実は、これ自体が、24の裏テーマなのではないかと思う。
 24は、暴力はいけないとか、裏切りがいけないとか、悪がいけないとか、そういうことを示唆するようなドラマではないのだ。そもそもジャックバウアーがある種暴力的な男で、暴力や威嚇を有効に使ってストーリーを進めていく。

 つまり、暴力を肯定しつつ、対峙する暴力集団に挑んでいくというジレンマがすでに発生している。これはつまり、「24は、世界が裏表の両面で出来ているということを肯定しているドラマ」だということなのだ。

 意外と、こういうコンテンツはあんまりなかったのではないかと思う。
 示唆に富んでいる。

 例えば現代日本には多くの問題とジレンマに例えてみよう。多くの人は、拉致した北朝鮮が悪い、著作権度外視の中国が悪い、いまだに原発に依存しようとする政府が悪い、などと考える。正義と悪がしっかり分かれている。そこに、選択の余地はあまりない。

 ぼくらの頭の中は、教育だったり、感情だったり、メディアを通じて流された情報だったりでいっぱいだからだ。自分で考えていると思っても、それはもしかしたら、誰かに「考えさせられている何か」でしかないのかもしれない。だから、いつだって一方通行な思考になりかねない。

 でもきっとジャックバウアーが日本にいたら、そうは思わないだろう。
 むかついて「damm it!(くそっ!)」(彼の口癖)と吐き捨てるだろうけど、まずは、北朝鮮の、中国の、東電の、政府の事情を、一方から見ず、いちど、全ての要素を平準化してモノを考えるはずだ。そして、平和の対象として考えられる暴力を有効に駆使して、事態を解決していくだろう。

 24こそ、世界を知るにいい材料だ。
 
 小学校、中学校ぐらいの教育材料にいいんじゃないかと思う、というのは言い過ぎだろうか。意味のない体罰をしたり、苛めに対して何も出来ないサラリーマン教師よりも、ジャックバウアーに教えてもらった方が、大人になったときに困らないよ、きっと。

高橋 大樹



株式会社デファクトコミュニケーションズ
http://defacto-com.net/
連載→
https://commodity-board.com/2013/10/post-4384.html


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