第3回 狂 歌
七五調の練習を今しばし
そこで今回は狂歌
五七五七七の短歌(和歌)のパロディ形式
短歌の本歌取りの手法を丸ごと取りいれて
社会風刺や皮肉、滑稽を盛り込んでいる
また
作者のダジャレの利いたネ−ミングも鑑賞の一つ
鑑賞
<イ>歌よみは下手こそよけれ天地の
動き出だしてたまるものかは(宿屋飯盛)
<ロ>世わたりに春の野に出て若菜つむ
わが衣手の雪も恥かし(作者不詳)
<ハ>はたもとは今ぞ淋しさまさりけり
御金もとらず暮らすと思へば(作者不詳)
<ニ>白河の清きに魚のすみかねて
もとの濁りの田沼こひしき(作者不詳)
<ホ>泰平の眠りを覚ます上喜撰(じょうきせん)
たつた四杯で夜も眠れず(作者不詳)
<ヘ>あせ水をながしてならふ剣術の
やくにもたゝぬ御代ぞめでたき(元木網)
読売新聞 編集手帳
◆分析と解説
<イ>歌よみは(五)下手こそよけれ(七)
天地の(五)動き出して(七)たまるものかは(七)
古今和歌集仮名序の
「力をもいれずして天地を動かし・・・」
をふまえた作
<ロ>世わたりに(五)春の野出て(七)
若菜つむ(五)わが衣手の(七)雪も恥かし(七)
百人一首の光孝天皇の御製
「君がため春の野に出でて若菜つむ
わが衣手に雪は降りつつ」が元歌
<ハ>はたもとは(五)今ぞ淋しさ(七)まさりけり
(五)御金もとらず(七)暮らすと思へば(七)
享保の改革の際に詠まれたもの
旗本への給与が遅れたことを風刺
「古今集」源宗干の歌が元歌
<ニ>白河の(五)清きに魚の(七)すみかねて(五)
もとの濁りの(七)田沼こひしき(七)
享保の改革の際に詠まれたもの
白河は松平定信の領地 定信の厳しい改革より
その前の田沼意次の多少裏のあった政治の方が良かったことを風刺
大田南畝の作という評判もあったが本人は否定
大田南畝(四方赤良・蜀山人)は狂歌連の一つ
「山の手連」を率いた大家の一人
<ホ>泰平の(五)眠りを覚ます(七)上喜撰(五)
たつた四杯で(七)夜も眠れず(七)
上喜撰は玉露茶の商品名
濃茶を飲むと興奮するように
たった四隻の外国船に驚き
心配になることを風刺
<ヘ>あせ水を(五)ながしてならふ(七)剣術の
(五)やくにもたゝぬ(七)御代ぞめでたき(七)
侮られぬよう 汗水を流して剣術の腕前を磨いているが
争いごとは望まない
日々の研鑽が無駄に終わる
天下泰平のありがたさは身にしみて知っている
作者 元木網(もとのもくあみ)の名がユニ−クと
読売新聞 編集手帳子は解説している
狂歌の起こりは
古代・中世にさかのぼる
言葉自体は平安時代に用例があるという
落書(らくしょ)などもその系譜に含めて考えられるとのこと
特筆されるのは江戸の「天明狂歌ブ−ム」
田沼時代の始まる1767年(明和4年)の
狂歌集「寝惚先生文集」の刊行がブ−ムのきっかけ
1769年に武家の連「四谷連」を率いる
唐衣橘州の屋敷で狂歌会開催
これ以降
いろんな連が結成された様子
町人が中心の連
市川團十郎(5代目)とその取り巻きによる堺町連
蔦屋重三郎ら吉原を中心にした吉原連など
上方では享保ごろに鯛屋貞柳らが活躍
さて 時代は不穏
狂歌が生まれる機運隆々
茶柱連はいかが?
◆試作
<イ>見わたせば(五)妻も預金も(七)なかりけり
(五)終の棲家の(七)秋の夕暮れ(七)
新古今集 藤原定家
「見わたせば花も紅葉もなかりけり
浦の苫屋の秋の夕暮れ」が元歌
元歌の幽玄さがなく 忸怩たる思い
恥を忍んでの狂歌
恥のついでに上塗りを
新古今集「三夕(さんせき)」に挑戦
西行
「心なき身にもあはれはしられけり
鴫立つ沢の秋の夕暮れ」を元歌として
老人を欺く現代の不逞の輩を嘆く
<ロ>老いぼれし(五)身にもあはれは(七)しられけり
(五)鷺に遭ひにし(七)秋の夕暮れ(七)
寂連
「さびしさはその色としもなかりけり
まき立つ山の秋の夕暮れ」を元歌として
高齢者の心の憂愁を歌う
<ハ>さびしさは(五)老いたることに(七)あらざらん
(五)先立つ友の(七)多き夕暮れ(七)
ものは試し
みなさんも茶柱連に入ったつもりで
内容はともかく七五調の稽古 稽古
都々逸 狂歌ときたので
次回は少し畏まって「道歌」はどうか
<出展>
本稿における参考事例・内容解説などについては、特段の説明がない限り、
その多くをフリ−百科辞典「ウィキペディア(wikipedia)」によっています。
ここにその出展を明記させていただきます。
井上 明関連サイトリンク
暮らし方研究会
http://www.kurashikata.gr.jp |