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第4回 道 歌

道歌とは 広辞苑では以下のように説明されている
「道徳・訓戒の意を 分かりやすく詠んだ短歌
仏教や心学の精神を詠んだ教訓歌」

須らく道あるところ道歌あり
武道 茶道  華道 仏道 作法道 養生道
はては御詠歌もまた道歌

たとえば道歌と知らずに耳にしているものに

「なせばなる なさねばならぬ なにごとも
  なさぬはひとの なさぬなりけり」
上杉鷹山(ようざん)が有名

堅苦しいことや 難しいことも
五七五七七の音数律で歌うように詠むと
覚えやすい
そこで いろんなジャンルの奥義や核心 真髄を
道歌にしたものが登場

道歌は覚えやすい音数律をもっているので
オリジナルばかりでなくコピ−も多くある

上の道歌
オリジナルは武田信玄の名文句
「為せば成る 為さねば成らぬ 成る業を
成らぬと捨つる 人のはかなさ」で
上杉鷹山がそれを下敷きにして作ったものだと
ネット上の百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」
で述べられている

ネット上で検索すると 「不羈、道歌Still」という
サイトに分類別に道歌が収録されているので
そこから一部拝借して鑑賞歌とする
アドレスは
http://www.ne.jp/asahi/y.yoda/walser/douka.htm

●鑑賞
小笠原流教え歌

<イ>
足も手もみな身につけてつかふべし
離れは人の目にや立ちなむ

<ロ>
無躾は目に立たぬかは躾にて
目に立つならばそれも不躾

<ハ>

仮初の立居にもまたすなおにて 目にかからぬぞ躾なるべし

謡曲(観世黒雪)

<ニ>
わが宿は菊をまがきに露しきて
月にうたふる瓢箪の声

武道道歌

<ホ>
武の道は仏の道と同じこと
修行なくしては悟られもせじ

<ヘ>
いまさらに異国ぶりに習はめや
ここに伝ふるもののふの道(井伊直弼)

剣道道歌(読み人不詳)

<ト>
立会いは竹刀で打つな
胴造りして足で打つべし

<チ>
悪念の起こる所を切り払う
これが宝の剣なりけり

<リ>
癖が出て弱くなったと知らずして
同じ強さと思うはかなさ

<ヌ>
法定は学ばんほどに道遠し
命のあらんかぎりつとめよ

<ル>
切り結ぶ太刀の下こそ地獄なれ
身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ

<ヲ>
稽古をば疑うほどにくふうせよ
解きたるあとが悟りなりけり

<ワ>
道場に入るときは身を正し
心の鏡くもりなきよう

それぞれの道を極めるための箴言が
詠まれている
茶柱句会としても真摯に学ぶべきこと
ばかり
折に触れて味わっていきたい

意味の受け止め方は人それぞれ自由


◆試作
歌道の道歌

<イ>
習ふより(五)慣れることこそ(七)大事なり
(五)七五の総身(七)なれば名人(七)

茶柱句会の稽古要諦として作ったもの
これまでの一連の作品鑑賞と試作は
慣れるための稽古と心得られたい
七五調は日本人の血肉の内といわれるが
さらなる稽古で自在に表現する総身を更新
 因みに総身(そうみ)とは
からだ全体 全身という意
「大男総身に知恵が回りかね」の総身

歌も唄も句も魂のほとばしり まさに総身の表現
総身の中に詩心が宿る

<出展>
本稿における参考事例・内容解説などについては、特段の説明がない限り、
その多くをフリ−百科辞典「ウィキペディア(wikipedia)」によっています。
ここにその出展を明記させていただきます。

井上 明関連サイトリンク
暮らし方研究会
http://www.kurashikata.gr.jp

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