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「未熟とは「未(いま)だ熟さぬものの、やがて確かに熟するもの」のことをいう。いつまでも熟することのないものは「不熟」といい、結局は、熟することなくいのち果てるもののことだ。つまり「未熟」と「不熟」は対極(正反対)に位置するものである。というわけで「未熟なる若い衆」とは「有望な可能性に充ちた若者」の意味である。

第16回
2012年5月のラストデイの近況リポート

●物書き業を生活のカテにしてン十年。民放ラジオ、そしてテレビでは放送作家。さらに広告の企画とプロデュースとコピーライティングをやった。そのあと、小説書き……では、著書(文庫書き下ろし時代小説/評論集/ハウツウもの等)は、ざっと合計100冊あるか。周りの者は「恵まれてるネ」と言う。でも、このところ気持ちがしっくり落ち着かない。

●昨年のいわゆる「3・11」以後、仕事への気持ちにぐらつきが生じた。それで、あえてこの1年間を「惑いの時」にし、いろいろ考える1年にした。もちろん、「遊んで暮らす」などというユトリはないし、その気もない。でも、パートナーはあれこれ言わないので、ペースを乱すことはなく過ごした。

●物書き業の原点は、叔父であった劇作家小沢不二夫(53歳没)である。そして、その叔父と親交のあった劇作家三好十郎氏(56歳没)――この二人が小生の師である。

●叔父小沢不二夫は、戦前のムーランルージュ新宿座の最盛期(昭和10年代〜)に劇作家として活躍した。三好十郎氏は劇団民芸の滝沢修が演じた「ゴッホ小伝/炎の人」他、名作戯曲を多数遺した日本の代表的劇作家だ

●昨年2011年6月完成・上映されたムーランルージュ創立80周年記念ドキュメンタリー映画「ムーランルージュの青春」(製作・幻野プロ 監督・田中じゅうこう/1時間50分の大作)で話題を集めた。

●このムーランルージュという劇場(劇団)については、それまで放送作家や広告のコピーライティングをやっていた小生が「生まれて初めて書いた小説」の素材にした。記念すべき1冊「赤い風車劇場の人々・新宿かげろう譚」(1992年 影書房刊)だ。

●そして、小沢不二夫をふくむ叔父たち4人が関わっていた戦前の大都映画株式会社について書いたノン・フィクション「幻のB級!大都映画がゆく」も刊行された。(2009年集英社新書)

●大都映画については、劇団歴半世紀以上のテアトル・エコーの熊倉一雄氏のフォローで脚本を書いた「大都映画撮影所物語」(上演2006年11月22日〜12月6日)が、恵比寿・エコー劇場で上演され、好評を頂いた。

●ムーランルージュについては、過去2回、劇団ピープルシターの森井睦氏の脚色・演出で(第1回公演1995年9月/第2回公演1998年10月)上演され、これも文句なしの好評だった。

●今回、かつて三好十郎氏主宰の劇団戯曲座の同期生だったM・G氏にン十年ぶりに再会した。そして、現在、彼が指導するあるタレント養成所のメンバーで上演する脚本を、という要請で、ムーランルージュをモデルにした原作(小説)を自らの手で脚色(舞台化)するチャンスに恵まれた。(本年9月に上演予定――具体的なデータはいずれご紹介したい)

●というワケで、ン十年も昔に撒いたタネ――師の小沢不二夫に関わるムーランルージュと、三好十郎氏の劇団戯曲座での縁で接したM・G氏の要請で舞台脚本を書けたことは、現在の小生にとっては〔奇跡〕といっていいほどの素晴らしい出来事となった。

●このところ、政治も社会も、ひたすら納得のいかない事ばかりだ。そこでついつい……ああ、めんどうくさい!になりかねない。でもやはり、自分らしいクオリティの、自分らしい企画の仕事を――という思いは強い。その点、小生――本庄慧一郎はやはり恵まれていると思う。

●そういえば、「大都映画」に関して映像化のはなしも……進行中である。

●「行動はいつも幸せをもたらすものではないが、行動なくして幸せはない」
―― ディスレーリ/イギリスの政治家





劇作家三好十郎氏と演劇青年時代の本庄慧一郎



おヒマの折には小生のHP
「社会&芸能つれづれ愚差」
http://www.mochi-well.com/

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「それにしても……」
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