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「未熟とは「未(いま)だ熟さぬものの、やがて確かに熟するもの」のことをいう。いつまでも熟することのないものは「不熟」といい、結局は、熟することなくいのち果てるもののことだ。つまり「未熟」と「不熟」は対極(正反対)に位置するものである。というわけで「未熟なる若い衆」とは「有望な可能性に充ちた若者」の意味である。

第23回 作家・錯覚・三角・四角

●ときたま出席した集まりなどで、「一言スピーチを」と乞われることがあります。そんな場合は、つとめてモタモタせずに素直にお受けします。
 その折に(集まりの企画やニュアンスを推し量ってから)、上掲のようなコトをくっつけて――「本庄慧一郎と申します」と自己紹介します。
 代案としては「もの書き・汗かき・恥っかき」というのもあります。

●長距離マラソンでは、余程のことがないかぎり、参加者全員がとにかくゴールインをします。「速い・遅い」のタイムで順位が決まります。

●でも、作家や音楽家や画家……などの仕事は、格別「速い・遅い」だけで順位が決定づけられるわけではありません。
 もっとも「○×賞」といった評価の高い「賞」を受けたという実績は別格としてのランク、ということになるのでしょうか。

●でも、立派な賞を受けた人でも、その後コンスタントに作品を発表する(ペースを崩さずに書き続ける)とはかぎりませんね。

●ボクの場合は、日本脚本家連盟・日本放送作家協会・日本音楽著作権協会などの会員ですので、同業者はワンサとおります。
 それこそ、50年、60年という「長距離選手」はザラなのです。
 つまり、「物書き業」には、あらかじめ決められた「ゴール」はないのですよね。

●でも、長距離マラソンと異なり、レースの途中からフェイドアウトするヒトは大勢いるんですよね。つまり、もっと効率のいい商売に変わる・病気や事故で断念する・おのれの才能と将来性に不信をいだく――なんてコトでしょうかね。

●一方、ボクの場合、物書き業以外コレといって長続きしそうな職業もないので、とにもかくにも続けている――という人も少なくありませんねぇ。

●でもやっぱり――伴走していたハズの仲間の姿がなんとなく、というよりいつのまに、どんどん姿を消してしまっているというコトに気付かないわけにはいきません。

●大ざっぱに、同業者としてくくってしまうのはいけないけれど、たとえば、映画のシナリオライターなどの自伝などでは「とにかく1本、作品を仕上げる。仕事着にしていた〔死臭〕の沁み込んでいるパジャマを、庭の隅で焼き払った」
 そんな一行を読んで「いやあ、オレには出来ないよ!」とウロタエルのです。

●かといって、やはり「人まね」や「盗作」や「コピペ」などのハズカシイことは絶対できない。
 とにかく、発注相手が「ウン。なるほどね」と機嫌よく受け取ってくれるモノをまとめる――でも、「自分」をいじめたり、周囲の者たち(家族など)に余計な迷惑や心配をかけないことを、厳守するのデス。

●「脳に快い、汗をかく」というコトバを大事にしています。
 からだや心に「冷や汗」や「あぶら汗」をかくことは絶対拒否したい。

●今年2014年は、祖先の地(埼玉県本庄)の主力紙埼玉新聞に、みずから希望して、「埼玉新聞創刊70周年記念小説『新塙保己一物語/風ひかる道』」全80回を連載する機会をもらった。
 現在、コレに120枚ほど書き足して書籍化するように努めています。

●さらにこの「全盲の賢人・塙保己一」を主人公にした「群読劇」、そして「舞台劇」を市民参加としてまとめる予定です。

●加えて、『炎と愛のフィナーレ/あるレビュー劇場(ごや)の1945』『守るも攻めるも/B級火の玉映画物語』を上演してくれたテアトルアカデミー睦組の上演脚本3作目『めざせ!忠犬ハチ公物語/「犬を特攻隊に育てましょう」といった時代の人々』と題して、舞台脚本を現在、鋭意執筆中です。(上演は来春か?)




●目下の本庄慧一郎のスローガンは――



であります!



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第23回
作家・錯覚・三角・四角

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