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「未熟とは「未(いま)だ熟さぬものの、やがて確かに熟するもの」のことをいう。いつまでも熟することのないものは「不熟」といい、結局は、熟することなくいのち果てるもののことだ。つまり「未熟」と「不熟」は対極(正反対)に位置するものである。というわけで「未熟なる若い衆」とは「有望な可能性に充ちた若者」の意味である。

第11回 近況報告/来し方をふり返って

●とにかく〔表現〕する仕事がしたかった
 税務署などへの届け用紙の職業欄には「文筆業」と書く。ずっと半世紀ほど、コレで暮らしてきた。
 もうすこし具体的に細分化して書くと、まず当初は、演劇の脚本・演出を志し、劇作家三好十郎(1902〜1958)先生と、同じく劇作家小沢不二夫(叔父1912〜1966)に師事したが、生活のためにラジオ、テレビの草創期からせっせと脚本・構成台本を書いた。
 昭和39(1964)年の東京オリピックあたりからテレビが盛んになり、番組よりTVコマーシャルが面白そうと、併行してコピーライターとして広告代理店に入社。なぜか(?)制作部長となり望田ルーム(本名)をもって広告制作に入れ込む。社員としても優遇されたが3年ばかりで退社。そして独立し会社をつくった。
 しかし、資金繰りやら人事やらがにがてで、けじめをつけて撤退した。その間、TVコマーシャルを中心に企画・コピー・作詞、さらにプロデュースと、あいかわらず400字詰め原稿用紙をやたら消費した。
 結局、広告ギョーカイ大手のDやHというスタッフとさんざんつきあったが、とことんのところでイヤになって(それでも、テレビ・ラジオ・CMソング等のコピー・作詞で国の内外の賞150ばかりを受けた)またまた再転身を企む。

●チームでの仕事から個人作業の仕事へ
 そこで考えたのは、大勢の者とチームを組んでやる仕事から離れたいということと、できれば署名入りの仕事をしたいということで、小説を書き始める。
 出版界には親しい人などいなかったが、たまたま人を介して、大ベテランの編集者(影書房の)松本昌次氏に、生まれて初めて書いた小説「赤い風車劇場の人々」を持ち込みすんなり出版して頂いた。(影書房1992年刊)
 昭和20年5月に太平洋戦争の爆撃で炎上する新宿ムーラン・ルージュを舞台にした「バックステージもの」だった。大ラッキーなスタートだった。
 この小説は、劇団ピープルシアター(森井睦氏)で1995年と1998年の2度舞台化されて好評を得た。

●創刊間もない雑誌「東京人」の粕谷一希氏にアタック
 「東京人」の主幹粕谷一希氏に、ぶしつけにもフォトと五七五のコラージュ企画「とうきょうヒッチはい句」の企画をプレゼンテーションし、なんと(!)その場でOKを頂いたのである。
この企画は5年間やらせて頂き、東京→江戸に遡る勉強をすることになったのだが、それが時代小説を書く大きなモチベーションになった。
 そこで、これまで本名の望田市郎で執筆していたが、筆名本庄慧一郎で〔文庫書き下ろし時代小説〕に挑戦することになった。
 このフィールドでも、まず徳間書店の「問題小説」の当時の編集長渡辺明氏に掲載のOKをもらう。ご担当は岩渕徹氏。この岩渕氏は小生の作品をほめてくれて、おだててくれて、その気にさせてくれた〔恩人〕である。
 現在、岩渕徹氏は、徳間書店の社長になられた!
 出版界にまったく無縁だった小生は、大ベテランの松本昌次氏と粕谷一希氏に有効なモチベーョンを与えられ、岩渕徹氏というウォームハートの編集者に出会って すでに長編短編は数十編をとうに超える仕事をさせてもっている。

●念願の舞台脚本への挑戦
 創立50年という歴史をもつテアトル・エコーのベテラン熊倉一雄氏とは、民放の番組でン十年のご交誼を頂いている。
 ちなみに長くかかわってきた芸能界で畏敬する先輩がお三方いらっしゃる。桂小金治さん、小沢昭一さん、そして熊倉一雄さんである。
 そのテアトル・エコーの熊倉さんにあててコメディ「大都映画撮影所物語」を書き、上演されたのが2006年11月〜12月。大好評を頂いた。
 このホンのモデルになった「大都映画」は、昭和3(1928)年から17(1942)年の15年間、徹底したB級娯楽映画を大量に製作しながら戦時中の企業統合令で、新興・日活と大都の三社合併でいわゆる「大映」になった。
 日本の映画史からも冷遇されてきたこの「B級大都映画」を実録物として、今回、集英社から新書判で出版されることになった。

集英社新書 2009年1月15日刊
『幻のB級! 大都映画がゆく』


 この新書判を契機として、文化芸能社会史的な著作も積極的に書きます。すでに新しい2企画のプレゼンが進行中です。

 それにしても、現今の「100年に一度の経済金融危機」などなど、なんともし難い混乱がつづく。
 そのemergencyに対応する政治家たちの頼りなさに呆れるばかりである。
 政治家たちの能力と質には、ずっと以前から納得しかねてきた。
 政策の内容や実行力は と問う前に、リーダーたる者の基本の基本のである〔国語力〕を危惧しなければならないなんていやはやどうも! ですよね皆さん。

 気が向いたら小生のHPをのぞいて下さい。 家族(カミさん、娘、息子たち)の協力で〔週替わり〕でそろそろ200回更新を超えます。
 タイトルは「本庄慧一郎のつれづれ愚差」
http://www.mochi-well.com/

「週変わりエッセイ・ニッポンの芸能人」
http://www.mochi-well.com

どうぞごらんのほどを。

第25回
「それにしても……」
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第24回
いまどき、手放しで
ヨロコベルことなどある?

第23回
作家・錯覚・三角・四角

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