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「未熟とは「未(いま)だ熟さぬものの、やがて確かに熟するもの」のことをいう。いつまでも熟することのないものは「不熟」といい、結局は、熟することなくいのち果てるもののことだ。つまり「未熟」と「不熟」は対極(正反対)に位置するものである。というわけで「未熟なる若い衆」とは「有望な可能性に充ちた若者」の意味である。

第7回 これからのことをよく考えておくれ

ふつうの顔をした異状人種。

 なんにしても事件が多い。
 昔だって、とんでもない事件はあったのだろう。でも現在のようなマスコミがないから「広く知られることがなかった」のか。
 親が実子を殺し、実子が親を殺す。かと思えば、一軒の家に赤児の死体が三つ。そして大人の死体が二体。(一体は縊死!)
 その間の事情を知る女がいて……と、そのいきさつは一度や二度説明されても理解できない。
 時代小説書きとして「法で裁くことのできない悪党を裏で始末する」というハナシをせっせと書いてきた。
 その物語やすじ書きを構成する人物にはそれぞれのやむを得ない動機や原因やてん末を考えて書いている。
 しかし、最近のまがまがしいさまざまな事件と、そこにいる「犯人」には、どれもこれも「必然」が見えない。いくらもの書きとしての想像力や推理力を動員しても「?」である。
 「事実は小説よりも奇なり」とは言い古された言葉だが、この社会・人生のほとんどが「行き当たりばったり」に終始しているようだ。

不用意・不注意・無神経。

 ずっと生活のための仕事をしてきた芸能・テレビ界の先輩、俳優沼田曜一さんが亡くなって、その記事をあらためて探し、すでにぼくのH・Pに沼田さんとの思い出を書いた。(ご参照のほどを→
 たとえば、東京新聞(各紙に訃報がのった)の沼田さんの記事のすぐ右のスペースに「露天風呂のぞき見つかり、川に転落。男が死亡」という囲み記事がある。ただ愚かしく情けない。
 そのトナリには「医師、職員にわいせつ行為」というベタ記事で、自分の医院のスタッフの女性にあれこれウソをついたあげくエックス線室に連れ込みイタズラをしたという。ああ、ただ愚かしく情けない。
 この原稿を書いている日(5/5)のTVのニュース番組で、学校の教師がセクハラや性犯罪で検挙されたことが報じられていた。
 少しはましな思考力をもっているはずの教師や医師たちのこれまた愚かしくハレンチな犯罪――。
 そのほか、性犯罪といえる事件はもう枚挙にいとまがない。

これからという若い衆も……。

 よく映画館や劇場に出かける。(5/1新宿サザンシアター、小椋佳さんの歌語り「一休」。この企画・趣向も小椋佳さんらしい内容でまあ良かった)その際、盛り場を通る。新宿・池袋・渋谷。そして、六本木などにたむろし、うろついている若者たちに出会う。彼らの現在と未来を思う。
 「盛り場をうろつく若者たちはごく一部の者さ」という意見もあるが、一部にしてもあの愚かしい無思慮な連中の行動は、やはり嘆かわしく哀れだ。
 いまのぼくは、やりたいことが、そしてやらなくては納まらないことが山ほどあって、彼らのそばにいって声をかけてやる時間がない。
 どうか自分の一回こっきりの人生を大事にしておくれ。頼むから、ゆっくり考えてみておくれ。

「週変わりエッセイ・ニッポンの芸能人」http://www.mochi-well.com/
どうぞごらんのほどを。

第11回
近況報告
来し方をふり返って

第10回
図にのるということ

第9回
思考の[生前硬直]

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