「未熟とは「未(いま)だ熟さぬものの、やがて確かに熟するもの」のことをいう。いつまでも熟することのないものは「不熟」といい、結局は、熟することなくいのち果てるもののことだ。つまり「未熟」と「不熟」は対極(正反対)に位置するものである。というわけで「未熟なる若い衆」とは「有望な可能性に充ちた若者」の意味である。
第6回 恥知らずの花見の酔っぱらい
お花見時の狂態にウンザリ
たとえば、吉祥寺の井の頭公園。あのあたりは大好きで、もうン十年もごひいきにしてきた。
ただし、サクラの花の季節にゾロゾロ集まってくるゴキブリ人種には絶対近づかない。
なぜ、ああいう人種を容認し、放置しているのか。
消防車で撒水でもして、放逐すればよい。
サケを食らっての大騒ぎにウツツをぬかす若者たち(ジジイもいるか)というのは、そのほとんどが、自分の周辺3メートル四方しか見えないエゴ人間なのだろう。
原発施設とサクラの花
お花見シーズン直前(3月28日)の東京新聞に「原発施設周辺のサクラ・花びら7枚も」という記事があった。
NPO団体の人たちが昨年から原発施設と植物などの影響を調査しているという。さまざまな異状・異変が発見されているとか。
3月24日には、金沢地裁が北陸電力の志賀原発2号機の運転差し止めを求める住民側の主張を認めたが、理由は「耐震性に不安がある」ということだ。
その一方で、佐賀県が九州電力玄海原発3号機での全国初のプルサーマル(使用済み核燃料を再処理し、加工した燃料を使用すること)発電計画の受け入れを決定。さらに青森県六ヶ所村の再処理工場ではプルトニウム抽出の試運転が始まるようだ。
まだ、その因果関係は明確に特定できないとしながらも、「原発施設周辺のサクラの花の異常」は、NPOの調査結果であきらかになっている。
チェルノブイリ原子炉事故から20年
1986年4月26日、ウクライナ(旧ソ連)にあったチェルノブイリ原発4号機が大爆発した。
20年も経った現在でも、約150トン(!)もの放射性核燃料の巨大な固まりがあって、放射線測定器の針が振り切れるほどの放射線が確認できるという。
20年という歳月を経てもこの「恐怖」は消えない。事故を起こした原子炉を覆う石棺(シェルター)が老朽化して、新しい対策実施も難航している。
事故当時、現場から100キロほどのキエフ市の住民350万人の避難を実施することになっていたが、「風向き」が変わった(!)のでなんとか回避できたという。(なんとも頼りなく情けないハナシだ!)
しかし、その一帯に拡散した放射能に汚染された農作物や牛乳や畜産の肉は生産されているのだ。あれこれ規定を作って、汚染されていない材料を混ぜ合わせて「人体に影響のない濃度にして」商品化しているという。
しかし、生キノコには1キロあたりの放射能が3万(基準の120倍)〜4万ベクレルのものもあるとか。そんな危険なモノを食わされてはたまらない。
完全にこの放射能がクリアされるのには100年かかる――。
原爆被爆者たちの体験談への規制
長崎・平和推進協会が被爆者たちの「証言活動」に要望書を出した。
『「意見が分かれる政治的問題についての発言は慎んでいただきたい」とし、具体例として<1>天皇の戦争責任 <2>憲法(9条等)の改正 <3>イラクへの自衛隊派遣 <4>有事法制 <5>原子力発電 <6>歴史教育・靖国神社 <7>環境・人権など他領域の問題 <8>一般に不確定な内容の発言(劣化ウラン弾問題など)の順で示している。
危機感を抱いた被爆者らがつくった「被爆体験の継承を考える市民の会」は今月13日、推進協に方針の撤回を求めた』(3月22日朝日新聞)という記事に、苛立ちをおぼえた。
いま、さまざまなカタチで「言論統制」が行われつつある。
それは、ガンなどの悪質な病気の原因になる放射能と同様、健全な社会を根底から腐蝕させるものだ。
わたしたちは、そうした動向に対して敏感でなければならない。
それにしても、手におえない「無関心人間」の増殖は目に余る。
自分の周囲3メートル四方しか見えない人間は、まずおのれの人生をエゴという害毒で破壊し、その害毒の残滓で社会を汚染する。
お花見でバカ騒ぎをするヤカラたちよ、恥を知りなさい。マトモな神経を取り戻しなさい!
「週変わりエッセイ・ニッポンの芸能人」http://www.mochi-well.com/
どうぞごらんのほどを。 |