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その2 「ゲルマニウム・ラジオは、未来の匂い」

昭和38年、大阪・梅田の阪神百貨店5階
まぶしい蛍光灯の下のショーケースで、宝石のように
輝いていたプラスチック製ゲルマニウ・ラジオ
玩具でもなく、文具でもない、なんだかわからないけれど
僕を、どこか見知らぬ場所、遠いところへと
運んでくれそうな、とりわけ新しい何か

あわいブルーの、小さなラジオを手のひらに載せてみる
つるんとした科学の感触、りりしい表情
イヤホンとアンテナの長く細いコードはいかにも役に立ちそうで
ダイヤルを回すと、艶やかなプラスチック・ボディからは、
生まれたての未来の、甘い匂いがした

正価500円の、愉しい胸さわぎ
今夜、僕は聴くだろう、どこをどのようにして通って届くのか
見たことのないネオンの瞬く、大人たちのアリアを、都市のざわめきを
そして、ダイヤルを回しながら眠りに落ち、
プラスチックの香りの中で、モノクロームの夢をみるだろう
そんな夢の中に、この日の記憶を置き忘れてくるだろう


ヒノデ・ゲルマニウム・ラジオ「16S型」及び「G-12号」
(昭和30年代後期)


僕が、小学校3年生の時に買ってもらったゲルマニウム・ラジオに再会したのは、はじめての出会いから30年以上経った1998年春の京都大骨董祭。昭和30年代グッズを少しずつ集め出して半年くらいの頃で「世の中にこんなものがまだあったのか!」という発見の連続で、骨董市などで見るものはことごとく新鮮だった。とくに子どもの頃に持っていたもの、憧れていたものに対する所有欲は抑えがたく、べったん(めんこ)、ビー玉、2B弾、日光写真、虫かごといった駄玩具をはじめ、万年筆・シャーペン、鉛筆削りなどの文具から、三輪車、電気製品、日用雑貨、ラジオ、木やブリキのおもちゃ、はてはラムネ瓶やビスケットの缶に至るまで、昭和30年代に存在したものすべてを手に入れたいと思った。それまで骨董市などの存在を全く知らなかったし、昭和のレトログッズを扱っている店にも不案内だったので、収集をはじめた頃の僕は、生まれてはじめておもちゃ売り場に迷い込んだ幼児のような状態だったと思う(今でもそうだが)。

写真の日乃出電工(株)の2種類のヒノデ・ゲルマニウム・ラジオは、その京都大骨董祭に出品していたライト商会(京都・寺町に店がある)で見つけたもの。ディスプレイされていたのではなく、段ボール箱の中にさまざまなガラクタといっしょに打ち捨てられていたものを、引っ掻き回していてたまたま発見した。値段を尋ねると1台4,000円という返事で、相場価格も知らなかったが2台とも興奮状態で購入し、もっとあるかもしれないと、さらに他のダンボールも引っ掻き回したのを憶えている。販売時の定価は780円と500円程度(正札がないので推定)なので4,000円はけして安いとはいえない(古本・古書で考えてみるとかなりプレミアの付いている本ということになる)が、珍しいものにしては手に入れやすい価格(最近のインターネット・オークションなどでの価格はもう少し高めで落札されている。もちろん運がよければもっと安価で入手できる可能性もある)で、嬉しかった。帰りの電車で触ったり眺めたり、こわごわケースを開けて見たりもした。今も大事に保管し、大切に取り扱っている。

大きなサイズのデラックス・ヒノデ・ゲルマニウム・ラジオ「16S型」(写真右)は、正価780円の高級品。その名の通りデラックスタイプで、使用説明書には、トランジスタラジオに改造する方法も記されてあり、また、「トランジスタラジオに改造しても恥ずかしくないスマートなデザイン」とも記されてあるので、ゲルマニウム・ラジオながら、デザイン、質感はトランジスタという線を狙っていたのかも知れない。

もう一方のヒノデ・ゲルマニウム・ラジオ「G-12号」は、デラックスよりはかなり廉価版で、僕が買ってもらったのはこのタイプ。薄いつくりのプラスチック・ボディは、当時のトレンドだった。いまはもう古びたものの匂いしかしないが、新しいプラスチックは独特の香りがして本当にいい匂いに感じたものだ。当時はプラスチック製のものは高級でいいもの、というイメージがc?あったように思う。色のバリエーションも多彩で、ラジオだけでなく、おもちゃやコップなど、カラフルなプラスチックが日常の中にあふれはじめていた。余談だけれど、阪神間の子ども達はプラスチックではなく、プラッチックと言っていた。ボール紙でできた紙のパッケージも秀逸で、特に「G-12号」のイラストはかわいく、中身に負けずパッケージだけでも欲しがらせるくらいの魅力、勢いがある。

さて、ヒノデのゲルマニウム・ラジオ以来、購入できたのは写真左のラークのものほか2.3台で、骨董市などでゲルマニウム・ラジオを見つけるのは案外難しい。ヤフーのオークションにも時々出ているので買えないことはないが、落札されている価格は魅力的とはいえない。

買ってもらったゲルマニウム・ラジオは、その後どうしたのか全く記憶になく、手に入れた当初は毎晩ふとんの中でダイヤルを合わせるのに夢中になっていたが、継続して聴きたい番組も見つけられず、ラジオの世界に深く入り込むこともなく、他の駄玩具や文具などといっしょに机の引き出しの中に埋没していったのだと思う。ラジオを継続して聴くにはおそらく幼すぎて知的な好奇心といったものが不足していたのだろう。僕がラジオに熱中するのはずっと後、フォークブームの頃である。

その13
「ベッタン」(めんこ)で、
少年を磨く。

その12
昭和30年代の「お正月」

その11
少女は、ミツワ石鹸の香り

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