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その3 「ボクらの、りきどうざん」

金曜日の夜、力道山はやってくる
黒いタイツたのもしく、はちきれそうな筋肉を弾ませて
コーナーロープを越え、リングを跳ね
ただならぬ気配を総身からあふれさせながら
遠く、ブラウン管の向こうから、僕らをさらいにやってくる

ソノ夜ハ、月ノ光ニ照ラサレタ電氣科学舘ノヨウデ
弟ハバニラノ寝息ヲサセナガラ寝返リヲ打ツ
柱時計ガ時ヲ9回打テバ、ホラ
りきどうざんガ弟ヲ盗ミニ、モウソコマデ来テイル

ときどきコーナーロープにもたれてぼんやりしているけれど
スイッチが入れば、息がとまるほどに力道山は強いぞ!
その迫力にレフェリーの沖識名も驚くぞ!
銀髪鬼フレッド・ブラッシーから豊登を救いに、
白覆面ザ・デストロイヤーから吉村道明を助けに
颯爽と腕力をふるって、拍手喝采だ

ニュー・ラテンクォーターノミラーボールニ見トレテ
りきどうざんハ踊ッテイル、ハミングシテイル
ドンナラブソングモ寂シク聴コエル、ソンナ夜ガアル

あの頃、力道山はどこにでもいた
雑誌「少年画報」や「平凡」に、べったんや日光写真の種紙に
三和商店街のアーケードや銭湯のポスター、森永製菓の懸賞に
そして、薬局のカウンターや僕の心積もりなんかに

アア、舶来ノ甘イポマードノ匂イガスル
僕ラノ持ッテイル、ブリキノ宇宙船ト同ジ匂イ
サテハアノ夜、弟ヲサライニヤッテ来タノハ
スコシ酔ッ払ッタ僕ラノ父デハナイカ

しっかとヘッドロックをかけながら、力道山は退屈していたんだね
僕らのヒーローはたった一人で昭和を疾走し
僕らはそれを夢中で見とれ、ただ取り残されただけだ

イマデモトキドキ雑踏ノナカデ、懐カシイ声デ呼バレルコトガアル
ボク自身ノヨウナ、マダ若イ父ノ声ノヨウナ
迷子ニナッテモりきどうざんハ強イカ?


「リキ・ホルモ」のソフトビニール製キャラクター(小野薬品)
(昭和30年代中期〜)


人は、喪失感を埋めようとしてモノを集めたりするのかもしれない。現存する昭和の匂いのする力道山グッズを手に入れたいと思っているのは、僕だけだろうか?

いつ振り向いても力道山は変わることなくそこにいる。写真立ての中で微笑む、かっこよかったけれど若くして世を去った憧れの叔父の肖像写真、とでもいったふうに――。表情やポーズはときどき微妙に変化するとしても、テレビの前でプロレスに熱中していた小学生の頃の、スケール感豊かなヒーローの勇姿は不変だ。

春に吉展ちゃんが誘拐されて身代金を奪われ、11月にJ.F.ケネディが暗殺された昭和38年の暮れ、力道山は、リングで闘った結果ではなく、ナイトクラブで刺されたキズが原因(現在では手術の際の麻酔技術に問題があったとされているようだが)であっけなく死んでしまった。

あれから40年、力道山はいつまでも39歳のままだが、僕は、いつのまにか力道山よりも年上のオジサンになった。けれど、いまだに当時の力道山に関するものに執着するのは、あの頃と同じ気持ちのまま力道山(とその時代)に憧れ続けているからだろう。それほどその存在も突然の死も、またその死に方も小学生には刺激が強かった。

写真のソフビ製人形は「リキ・ホルモ」。力道山が商品のネーミングにもキャラクターにもフルに活用されていた「リキ・ホルモ」という総合ビタミン&強精剤の販促用ツール。
 全長約28センチ。「リキ・ホルモ」が販売されていた頃、薬局の店先のカウンターやガラスケースの上に置かれていたもの。かなり大胆にデフォルメされているが、上半身の逞しい筋肉、タフそうな表情、空手チョップを振りかざしたポーズと、力道山の特徴をよくとらえている。腰のチャンピオン・ベルトには誇らしげにリキ・ホルモと記されている。

5年程前、大阪の有名な露天の市で、顔なじみの露天商から「力道山あるけどいらんか? リキなんとかとか書いたあるで」といわれて、現物を見るまえから(露天ではなくクルマに積んでいたので)ドキドキしながら「買う、買う、買います」と即購入。購入価格は数万円(高いのか安いのかよく分からなかったが、マニアの人たちの相場よりは割安)。テレビで力道山を見ていた頃よりも興奮した買い物だった。

昭和30年代を代表するスターやスポーツ選手は数多い。石原裕次郎、三船敏郎、小林旭、長嶋茂雄、稲尾和久、金田正一、栃錦、若乃花、ファイティング原田……。けれど僕にとってのヒーローは力道山なのだ。力道山が死んだ時、僕は小学3年生で、毎週金曜日夜8時からはじまる三菱ダイヤモンド・アワーのプロレス中継は待ち遠しかった。
 小学生の単純な頭脳には、野球や映画、相撲よりも、我らの力道山と悪役である個性的な外人レスラーとの戦いぶりは明快で分かりやすかった。しかも驚くほど乱暴で激しいシーンの連続、次から次に現れる不気味な外人レスラー、我慢を重ねながら最後にはパワーを全開にして爆発する凄みのある力道山の迫力、スピード感……。技の難易度や巧拙がわからなくても、強い引力で惹き付けられた。

モノクロ画面の力動山は、外人レスラーの反則で、いつも熱で溶けてしまったチューブ・チョコレートのようにみえる血を流していた(僕のクラスではあの血は巧みにチョコレートを付けたものだという説もあった。それほどあんなに血が流れるのは異常なことだった)。
 最も記憶に鮮明なのはザ・デストロイヤーの四の字固めが外れず、若手のレスラーたちが力道山とデストロイヤーの絡んだ足を解いていたことで、翌日学校でみんなが話題にして、教室の後ろで早速四の字固めを試している奴もいた。ブラッシーがヤスリで歯をとがらせていたのも忘れがたい。カルホーンという軽そうな名前だけれどとてつもなく重くて巨大なレスラーもやってきた。少年誌などにもプロレスの情報が取り上げられ、周辺も常に盛り上がっていた。

さて、力道山に関するレトロ・グッズは、映画やプロレスのポスター、力道山かるたや双六、べったん、日光写真の種紙、ゼネラルのポスターやカレンダーなど、「紙もの」といわれるものが多い。いずれも昭和30年代の味わいのあるものばかりだ。  僕は前回に記したように集め出すのが遅かったこともあり、また高額なものも多いので、あまり持っていない。機会があれば購入したい意欲はあるのだが(もちろん価格にもよる。集めるのも大事だが、いくらでもいいというのではない。相場よりも安く買う、というのは大阪人にとって大切なことである)、その機会はなかなか巡ってこない。忘れた頃にぽつりぽつりと入手できる、という感じである。

果たしてこんなペースで、あの昭和38年12月の喪失感のようなものが、埋まる日はくるのだろうか?

その13
「ベッタン」(めんこ)で、
少年を磨く。

その12
昭和30年代の「お正月」

その11
少女は、ミツワ石鹸の香り

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