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其の四十四 蟷螂夫妻

犬の散歩をしていたら道路の真ん中に草色の何かが落ちている。
草の葉だと思って通り過ぎようとしたが
蠢いているので近寄って見たらそれはカマキリであった。
正確に言うならばカマキリ夫妻であった。



カマキリ妻がカマキリ夫を食している最中であった。
「おお!」と立ち止まらずには居られない。

「カマキリの雌は交尾後に雄を食べるのである」
必ずそうするのか真偽の程は判らないと言われている。
何より、そう言う人も実際には見たことが無かろうよと思っていたが
食べている、食べられている。
交尾後かどうかは不明であるがそれを差引いてもこれは見過ごせない。
頭からバリバリいっている。
雄雌も定かではないが此処はもう「雌が雄を」に決めて掛かる事にする。
雌の翅が捲くれ上がっているのは雄の足先が引っ掛かっているからだが、
雄は観念しているのか納得しているのか、
騒ぐでも抵抗するでもなく粛粛と食べられている。

私には数少ないが「これは捨て置けない」という題目がある。
それは「生き物」と「食」である。
この二つが直截過ぎる程に現れているこの光景から私は目を離すことができない。
「あんたたちは凄いなあ」と厳かな心持ちで見つめていたが、
ふと此処は道路の真ん中だから場所を移したほうが三者の為にも宜しいのではないかと思い立ち、食し食され中の二匹をその儘そっと掴んで
草や樹の多い植え込みへと移動させる。
移動して観察を続け、携帯電話で写真も撮影し動画も撮影する。
食べられている雄の目の部分が穴の様に見える。
そこからきらきらと何かが流れ出ている。
「今年の十大ニュースに入るな」と呟く。

さて、翌朝、犬を連れて植え込みの辺りを通りかかる。
カマ夫の屍に蟻がたかっていることだろう、そうして土に却っていくのだ。
または残骸をカラスがぱくりと銜えていったかもしれないなと思う。
而してカマ夫は下半身となりそこにその儘であった。
カマキリは頭が美味しいのだろうか。または栄養が詰まっているのだろうか。
いや、腹は翅が邪魔で食べにくいのかもしれない等と考えながら
近寄って観察すると、細い足がゆらりゆらりと動いている。
よくよく見ると腹の先端にあるヒゲもヒクヒクと動いている。
「………!」言葉が出ないほど驚愕した。

昨日までの感慨は
「大いなる摂理を目の当たりにし、自然に対して改めて畏敬の念を抱いた」
であった。
今日の感想は違う。
「謎!不可思議!! ホラーか?」
犬や猫が車にはねられ倒れているとする。息が有るなら何とかしてやろうと思う。
連れ帰るなり医者に見せるなり対応が思いつく。
しかし、上半身がないカマ夫を連れ帰っても
「手当ての甲斐あって頭が生えて来た」ということはよもや無いであろう。
いや、もしかして誰も確かめていないだけで実は再生するのだろうか?
いやまさか。いやわからない…。

翌々朝もまたカマ夫の下半身はゆっくりと足を持ち上げたりしていた。
どう理解すればよいのか解らない。

朝晩の冷え込みや昨夜の小雨は瀕死の状態にこたえただろう。
我々とは程遠い時間の感覚だろうから一晩も長い長い闇だろう。
一体この命の方向は何なのだろう。
この下半身は何を考えているのだ。
いや、頭がないから己の人生を振り返ってもいないし、
感傷も痛みもないのだろうか。これはそもそも生きているのか?
単なる死後硬直的反応で研究者や専門家に聞けば
「ああそれは」と説明される範囲なのか?
老犬を傍らに座らせたまま今日もまた携帯電話で写真撮影をする。
当然だが如何してやることも出来ない。
カマ夫もして欲しくはないだろう。足をそっと撫でてみる。

交尾後に喰われし雄の翅、鎌、足

数日後、植込の背の高い薄の穂にカマ子らしきカマキリを発見する。
立派な卵を産んでください。
卵鞘からうじゃうじゃと溢れ出す子カマキリ達を想像すると
微かに楽しい気分であった。

鳥獣魚虫覚悟無き魂だけが人に生まれ来

其の七十二
十分にご注意ください

其の七十一
一本木

其の七十
ダイヤと法灯

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