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其の四十三 前世(2)

何やら前世が大流行りである。
料金を取って観る人やら、料金も払わぬのにつらつらと教えてくれる人やらで、
立て続けに前世の自分の所業を他人様に告げられて面白い。
取り敢えずは有難いということにして、観られるままに観られている。
何でも魂の輪廻は生まれ変わりの、繰返しの、であるというから、
これは自分の魂ひとつあればネタ切れや品切れも起こらないらしい。
聞いた話をまとめてみた。

インディアンの若い男が馬に乗っている姿が見えるので、
前世はおそらくインディアンの酋長の息子であったのだろうと言う。
そう教えてくれた本人はその世では白人の医者であって、
インディアンであるところの前世の私に出会ったのだと言う。
当然だが私には全く膝を打つような感慨は無い。

さて、私の娘が「お母さんの前世を観てもらったから教えてあげる」
という話が二年前にあったと思い出した。
その記録を引っ張り出してきて読んだら、私の前世は
「欧州人が入り込む前の時代、北米に住んでいた部族の偉い人の娘である」
と書かれている。
男女こそ違え、見事に当たっているではないか、
と今度は膝を打ちそうになったが、
当の本人が正解を知らないのだから納得していいのか分からない。
それでもそう聞いてから以降「自分はインディアンだったようだ」
という自覚がじわじわと育っているから不思議だ。
最近では裸馬にまたがって疾駆できそうな気もする。

こんな話もあった。
山羊の乳を搾る木靴を履いた貧しい男児が見えると言われた。
だから今生では牛乳が好きであろうと推して訊かれる。
確かに牛乳乳製品は好きである。バタアなんぞはぺろりと食べたい。
その男児は孤独で友人がいないが不幸には見えないと言う。
それはそうだろう。
山羊の乳を搾ってバタアやチーズを作るので忙しいのだ。

ある時、
事細かく微に入り細を穿ってそれはそれは精密な前世の姿を
描写するので有名だという占い師に会いに行った。
これは実際に観てもらった人の話を聞いているうちにむらむらと気になり出し、
居ても立ってもいられなくなって、所在を訪ね料金を払って観てもらった。
我ながら物好きな話で呆れる。

そこでは三人の、いや、三回分のとするべきなのか、三話分の前世を語られた。

一人はインドのデリーの南に住む商人の娘だ。
商人だからバイシャか。
長く編んだ黒髪で黒い大きな眼をしていて大人しい娘だという
父の決めた相手と結婚をしたが夫はすぐに死んでしまったので夫の弟と再婚し
息子を3人産んでそこそこ幸せに暮らしたという。

二人目は中米から北米に一旗揚げようと渡ってきた男。
黒髪で黒い目。
牧場で働きながらお金を貯めて事業を始めたという。
工場を買い、靴を作らせたりしていたそうだ。
白人の娘を妻にし、妻の父が政治家だったのでその手伝いもしていたという。
なかなかに成功したそうだ。

三人目はスペイン、バスク地方のロマ族の娘。
黒髪で黒い目。
伝染病で家畜を失った者たちなので故郷の村を出て各地を転々としていた。
農作業の手伝いをしたり祭りで歌や踊りを披露して生活していた。
ある村で地主の息子に見染められて妻になった。
文盲であったが少しづつ勉強して文字を覚えた。
ロマ族から豊かな定住者となり、長生きしたので
これは幸せな女だったのではないかということだ。

以前にも「前世」という題目で書いたと思うが、
私は自分の前世が人間ではなく四足だと思っていた。
犬だったと信じている。
その占い師にそう言ってみると
「人の魂は犬に入れぬからそんな訳はない」と言う。
「いや私の言いたいのは逆で犬の魂が人に入ったのではないか」と聞くと、
「兎に角、元々の姿形が違う生き物ではチャクラの位置が違うので魂は使い回せぬのだ」と言う。
なるほど輪郭が曖昧そうではあるが、魂も勝手の分からぬ体に入っては
やれ、寸法が足りぬの、釦や留め金の位置が違うのと、甚だ不都合そうではある。

ということで。
「人間一回目の今生であるから己は不調法で不器用なのだ」
という言い訳が使えなくなった。

しかし。
どの前世も窮屈な衣服と靴を身に付けていないことに気付く。
前世の自分はどちらかといえば自然志向の人々だろう。

つまり。
きついブラジャーや尖った堅い靴を身につけて
平然としている人々の中に生まれたのが一回目であるからして、
やっぱり馴染めない。不調法なのはその所為である。

ご容赦いただきたい。

其の七十二
十分にご注意ください

其の七十一
一本木

其の七十
ダイヤと法灯

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