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其の四十二 黒猫(2)

夏が終わる頃になると、冷やりとした風が路地を吹き抜けていく。
立ち木の葉はカサカサと落ちて渦を巻き、道端に吹き寄せられる。
不意に黒い子猫がどこからか飛び出してきて、枯葉の渦巻きを追いかけ始めた。
嗚呼、きっと物陰から、葉のクルクルを不思議な思いで見て居たのだろう。
尻尾を立てながら身を潜め、狙いを定めていたのだろう。
そして、クルクル回る小さな竜巻を目掛け、機を見て飛び掛かったのだ。
黒い子猫は懸命に立ち上がっては枯葉を追いかけ回していた。
木枯らしとともにクルクル回る猫の姿は珍しいダンスのようだ。
それはとても楽しそうだったので、私は足を止め、
子猫が踊り飽きるまで見ていた。

一枚の葉も仕留められないまま、そのうち、
子猫は動きを止め何処かに行ってしまった。
枯葉は手強いと思ったろうか。

ある日、路地を抜けると、
判子屋の勝手口の前は綺麗に掃かれて何もなかった。
段ボール箱と皿は跡形もなかった。

黒猫が居た形跡はどこにもない。
近所のお婆さんと立ち話をする判子屋のお婆さんを捕まえ、
「黒猫はどこに行ったのだ?」と私は問い質したい気分だ。

確かに居たはずなのに。
それとも、そんな猫ははなから居なかったのだろうか。
判子屋の框を上がった部屋の中、炬燵で眠る黒猫を想像してみた。
黒猫はその後、一度も見ていない。
黒猫は確かに居たのだが、居なくなっても問題があるわけではない。

無限に続く時間の、無限に広い世界の中で
誰も知らない、どこにも残っていない、踊る子猫。
好奇心と本能に突き動かされて踊っていた。
それは一瞬の万分の一の微塵のような時間だ。
刻みさえつかないほどの一瞬なのに、無限と同じぐらい魅力的だ。

全てが意味を消してしまう無限の中で、私は子猫のダンスを思い出す。
すると全てを肯定したくなる。
茫々とした無限の中でも幸福な気持ちに満たされる。
黒い子猫にしたら、知ったことではないだろうけれど。

其の七十二
十分にご注意ください

其の七十一
一本木

其の七十
ダイヤと法灯

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