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其の三十六 御小遣い
居間で父と祖母の言い争う声がする。
私は仕方なく居間には入らず、廊下の奥の六畳間に居た。
火鉢の前の祖母が根負けして言い合う声が止んだ。
ああ、祖母が幾許かのお金を父に渡したのだろう。
父はそのお金を受け取り何処かへの返済に充てるのだろう。
すると居間からやって来た父が私に「御小遣いをやろう」と言い
一万円札を出した。
何と言ふことだろう。
このお金はさっき、
祖母の封筒から出た一万円札の中の一枚ではないのか。
私は頭にかあっと血が上って叫んだ。
「もういい加減にお金のことはなんとかならないのか。
借金をせずに暮らしを立てることは出来ないのか」
特別、賭け事に入れ揚げている訳でもない、
日々、人並みに働いているように見える父。
酒も飲めない父が一体、何故、
何時も何時もこれほど金策に窮しているのか。
何故、自分達は普通の生活が出来ないのか。
子供の私には理解出来ず、嫌で嫌で仕方がなかった。
すると父は事も無げに言った。
「借金が無かったら、『生きてる』って感じがしないじゃないか」
そんな…。
そんな無茶苦茶な理屈に子供は太刀打ち出来ない。
出来る筈が無いではないか。
私は敗北感から黙ってしまった。
此の世の中は正しいから勝つとは限らないらしい。 |
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