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其の二十三 火事

十二月の三十日というのは大晦日ではないが、
大晦日の一日前であることからして、さらにもっと
往生際の悪い慌しい日である。

私は家の近くの美容院で頭を刈ってもらっていた。
美容院は同級生の家だ。
普段は飴をくれる床屋に行っていたと思うのだが、
その日は正月を前にして美容院に行ったのだろう。

美容院の椅子に腰掛けて、手の先だけを出す
大きな涎掛け状のエプロンを掛けていた。
そこへ近所の小母さんが血相を変えて入ってきた。
「アンタンチが火事だよ!」

本当はそんなエプロンは外していただろうと思うが
記憶の中では火事は大事件であるからして、記憶のほうも大袈裟だ。
小学生の私はエプロンをひらひらさせて家に走って帰った。
ように思う。


家の玄関では、近所の人が総出で荷物を運び出していた。
いつもラーメンを出前して来る「相模屋」の小父さんが、
二階の荷物を運び出すのに邪魔になろうと思われる階段の手摺りを
メキメキメキと引っ剥がしているところであった。
「小父さんは痩せているのに意外に力持ちなのだな」と子供心に感心した。
父は百科事典を二冊だけ抱えて行ったり来たりしていた。
百科事典は全部揃っていないと意味が無さそうだが
全部持ち出すのは重いだろうと思った。

さて、家の奥を覗くと、
茶の間の外、縁側の向こうが真っ赤になっていた。
縁側に面した奥の家が燃えているようだった。
消防の人たちが何人も大蛇のようなホースを抱え、
長靴のまま我が家の玄関から縁側のほうへと突進して行った。

裏の大工の棟梁の家が火元であったようだ。
鎮火した後、その家のお姉さんが消防の人に連れられて項垂れ、
裏の畑の道を歩いていた。
お姉さんがストーブの火を消し損ない、
それが火元になったということだった。


まあ、怪我人もなく、お蔭様でなんとか収まったが、
大工の家は丸焼けであった。
我が家は泥々のジャブジャブのボロボロだったが、
焼けたのは軒先と、ぶら下がっていた洗濯物と戸袋程度だったようだ。
しかし、家は使い物にならなかった。
しかし、燃えていないので火災保険はほとんど降りないだろうという
大人たちの話であった。

正月を控え、子どもである私と祖母は畑の持ち主の農家に泊めてもらった。
ここは畳の部屋が時代劇のように続いている素晴らしい間取りの昔の家で、
私はよく遊びに来ていた。
泊めてもらえるなんて嬉しい限りだ。
火事場泥棒が来るかもしれないからということで父は自宅に泊まった。
「新規蒔き直し」が好きな父であるせいか、
それほどこたえているようには見えなかった。

其の七十二
十分にご注意ください

其の七十一
一本木

其の七十
ダイヤと法灯

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