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其の六

【みよ】
明治33年3月3日生まれだから「みよ」。
祖母の名前の所以を、そう思っていた。
本人がそう言っていた気もするし、言っていなかったような気もする。

祖母は道を歩いていて人に追い越されるのが大きらいだった。
追い越されると猛烈にスピードをあげ、
着物の裾をビシビシと翻しながら追いつき、追い越し返す。
若い頃からそういう性分だったのだろう。
年を取って突然そうなったわけではないと思う。
新潟で生まれ、東京へ奉公に出てきた。
様々な仕事をしてお金を貯め、海沿いの町で町工場を始めたが、
戦争を跨いで仕事は大いにうまくいった。
すぐに弟を郷里から呼び寄せ、町工場をそこそこに大きくした。
「あたしは勉強もよくできたんだ。『お前が男だったら…』、と
親父によく言われたもんだよ」と言っていた。

若い時分に結婚を解消し、子どもはいなかった。
私に「縄の綯(な)い方」や「鰹節の削り方」、
「擂粉木(すりこぎ)の使い方」を教えてくれた。
擂粉木は「軸手を動かすな!擂粉木の頭にのせているほうの手を回すんだ!」と
何度も叱られたが、私は今だに上手く出来ないでいる。

【お茶とお米】
新潟は米どころで育ったせいか、祖母はお米にうるさい。
お米とお茶を買うときには
「この店にある一番いいものをちょうだい」という買い方をした。
それはとても贅沢な買い物だ。
しかし、代金を払えないほど高い商品が、下町の商店に置いてあるわけはなく、
なかなかに良い気分の買い物ができた。
そこはかとなく、家族の食生活の底上げがはかられていた。

【朔日】
今はそう呼ぶ人は少ないが、毎月の1日を「お朔日(ついたち)」と言う。
毎月1日、私は花屋へ、「お榊」と「仏さんのお花」を買いに行かされた。
お榊は神棚へ供え、仏花は仏前に供える。
お彼岸には散らし寿司を作り、漉し餡を煮て「おはぎ」を作っていた。
そうはいっても、
世間の人々が思い浮かべる福々しい「オバアチャン」と祖母は大きく違う。
祖母は日々、じたばたカッカとしていた。
幼児を相手にケンカをして凄んでいた。
火箸が容赦なく飛んでくる。箒や竹の物差しでぶたれる。
脳内にはアドレナリンがあふれ、性格に丸いところの少ない、
エッジのきいた祖母であった。

其の三十八
太田道灌

其の三十七
子 供

其の三十六
御小遣い

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