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其の五 弁慶草
草や花の名前に文句をつけることほど馬鹿馬鹿しいことはない。
しかし、これはいけない。
「金のなる木」だという。
金は欲しいが金のなる木なんぞは欲しくない。
志が卑しい。
己の卑しい志を姿形のあるものにして見せ付けられているような気分になり、
甚だよろしくない。
この肉厚の濃い緑の葉をつけたずんぐりむっくりな草だとて
己の名前が「金のなる木」だと知ったら面白くはないだろう。
そう思って繁々と見ていたら、どうやらこの木には見憶えがある。
「弁慶草」ではないか?
間抜けな名前で呼ばれている道化を、よく見たら昔馴染みの知人であり、
目立って派手な容姿でも家柄でもないが
其れなりに地道に生活していた筈ではなかったか。
と声を掛けたいような知らん顔をして通り過ぎたいような気分である。
「弁慶草」という名前のほうが清々しくも風情がある。
子供の頃、できものができると、
庭の弁慶草の葉を一枚もいできて火鉢で焙った。
すると次第に色が変わり、青々と煮えた菜っ葉のような色になる。
そこで、薄皮を剥いでやると肉厚の葉の瑞々しい面が顕になり、
それをおできに載せて上から絆創膏を貼って抑えておくのである。
これが祖母のおできの治療法であった。
できものは腫れきっていれば膿が出て一件落着し、
あるいはそこまで育ちのよくないおできは諦めて平らかになり、
非常によく効く治療法であった、という思い込みの話である。
はっきりとした証拠は出せない。
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