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其の三 火鉢<1>

祖母は、朝起きると一番に「炭」を熾していた。
「火熾し」という、片手鍋の底に格子が嵌まったような道具に炭を入れ、瓦斯焜炉にのせて火をつけるのである。昭和となって年月も厚く、月にはアポロロケットが降り立とうという時代であったが、そんな朝でも炭を熾さなければ一日が始まらない家に住んでいたのである。

瓦斯焜炉の青い炎がぼうぼうと炭を熱し、シンとしていた炭がそのうちに耐えられなくなり、炎に焙られている端からカンカン、赤々としてくる。瓦斯という燃料で炭という燃料に火をつけて燃やそうというのだから、事情を知らない人にはさっぱりわからない仕度だが、その家で生まれ育った私には日が昇るのと同じぐらい当然のことであった。

熾きた炭はそのまま茶の間に運ばれて火鉢に活けられる。野営ならわけもないが、台所の瓦斯焜炉から茶の間の火鉢へ、うっすら炎さえのせた炭を運ぶというのはずいぶんに危なっかしい道中だ。火の粉がパチパチと飛び散り、触れれば熱い。畳には点々と黒い焦げ跡がついていた。

そして、毎朝のことなので気づくのだが、火の粉の跳ね具合は天気や湿気で日々違うのである。粉炭が混じっていても具合が悪い。あまりに跳ね散らかるときは、祖母が大声で「ヤマニイタコトワスレタカ!」と叫び、火熾しの炭火に向かって唾を三回吐きかけた。
すると、不思議なことに炭は大人しくなるのだった。
「炭の火の粉が跳ねるときには、このマジナイを使うといい」と祖母は言った。

其の三十八
太田道灌

其の三十七
子 供

其の三十六
御小遣い

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