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其の二 係累

私は東京生まれだが、父方の祖父母は熊本県玉名郡の梅林という山奥に住んでいた。殆ど会った記憶はないが、祖父はとんでもない変わり者の爺さんだと聞いていた。

曰く、その頃、出始めたばかりのテレビを窓から外に投げ捨てた。これは前後の話は忘れてしまったのだがそこだけを憶えている。
 曰く、祖母が亡くなったときに、既に禁止になっていた土葬を友人だった村長に頼んで実行させた。

この祖母の葬式に、父と母と私は東京から出かけていったのであるが、祖母を埋葬するために掘った穴の深さといったら恐ろしいほど深く、子ども心にしっかりと記憶している。しかし、その記憶はなぜか、穴の中に入って底から見上げた光景である。見上げると穴の形に切り抜かれた空が白く光っていた。もちろん、棺にとりすがって穴におりた憶えはないが、この穴の記憶の強烈さと共に祖父母は実際にいたのだと思う。

母方の祖父母は熊本県玉名郡の菊水町に住んでいた。こちらの祖父は背の高いハイカラな紳士で、亡くなった後、、町に記念碑が建った。当然だがハイカラを顕彰したのではなく、町に役立つ仕事をしたのである。この祖父が私は大好きで祖母によくいじわるをした。ヤキモチである。この祖父母も実在した。

しかし、私を育てたのは新潟生まれの東京で町工場をしていた祖母である。
 土葬にもならず、私にいじわるもされず、イキナリな位置関係にあるこの祖母に私は育てられた。学校にあがり世の中の仕組みが少しずつわかりかけてくると、この祖母が誰の母なのか、子どもながら説明する必要にせまられることがある。本人も知らないので、そんな説明はできないのだが、大人は皆、忙しくて誰に聞いてもわからない。当時、子どもに聞かれたことに子どもにわかるように説明してやる暇な大人は少なかったのだ。子どもによくわかるように「人を殺してはいけない理由」だとか「どうして人のものをとったらいけないのか」などの説明をしている頓馬な大人に至っては皆無であったように思う。
 世間に必要とされる説明は薬の飲み方ぐらいで十分であろう。駄目は駄目、知らんは知らんで、煩いは煩いなのであった。

というわけで、祖母は私の祖母だったのである。

其の七十二
十分にご注意ください

其の七十一
一本木

其の七十
ダイヤと法灯

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