茶柱横町 茶柱横町入口へ
 
 
プロフィールを見る
前を見る 次を見る

第107稿 自由経済と坊さん便

 世も末である、宗教活動とは本来無償の行為では無かったのか。

 紙面やネット上での情報のみ知り得ぬが「みんれび」の言い分にも理解できる。亦、「全日本仏教会」の発する教義にも理解できる。
 自由経済体制(主義・では無い)において、競合は必要欠くべからざる事は明白の事実と受け止めている。故に、談合と言う言葉は無くなることは潰え無い。

 ならば「みんれび」の商法的宗教観を百歩譲って認め、「全日本仏教会」は「みんれび」の布施では無いと言う、全国の寺院にヒアリング調査した『適正価格』に対し、『価格破壊』と称して「六波羅蜜(布施(ふせ)・持戒(じかい)・精進(しょうじん)・忍辱(にんにく)・禅定(ぜんじょう)・智恵(ちえ))」の「布施(財施(ざいせ)・法施(ほうせ)・無畏施(むいせ))」よりボンサンは「法施」を行い。求める人は、和顔施(わげんせ)・愛語施(あいごせ)・慈眼施(じげんせ)・房舎施(ぼうしゃせ)・床座施(しょうざせ)・捨身施(しゃしんせ)・心慮施(しんりょせ)を行えば良い。

 手っ取り早く言うと、法要を依頼。坊さんは法要と法話を行う。依頼者はにっこりと微笑む。で、終わり。
 あれがほしい、是がほしいと言う念いはそのまま受け取り、その上でお互いが六波羅蜜(仏道)を行ずる。仏道とは、ボンサンで有ろうが無かろうが、生きている人間の為に在るのであって、この世を去った人々の為に在るのでは無い。

 他の宗教は知らぬ。佛教伝播以来、日本で発展してきた佛教観に立ち戻った姿を「全日本仏教会」は示せば良いので有る。わざわざ、サービス停止文書を作るまでも無かったはずである。

 そんなことになれば、全国の住職はたちどころに経済基盤を失う。と、声高に叫ぶボンサンが溢れかえって面白いではないか。収入が無くても、住職(寺院の代表役員)は生活保護対象に成らない。「こんなことなら、ボンサン辞めて生活保護の申請に行こう」等と言う人生観を持っているお方は、どんどん「ボンサン便」の派遣社員に登録すれば良い。

坊さん便は自由経済の中から生まれてきた商品である。又、それを求める人々がいることも事実である。そのシステムの実態から線香臭さを無くした話だけにすると、派遣社員として働き「売り上げ」より会社の軽費と収益を天引きされ、源泉徴収され、給与を頂く。それだけのことである。

 言い換えれば「全日本仏教会」は一歩進んで「なるほど、ボンサンの言うことや」と言うようなコメントを出すだけで良かった。

 境内の草引いて掃除して、教えろと言われれば一緒に座禅して。餓死するならそれも由。

大門 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

バックナンバーINDEX
前を見る 次を見る
| 著作権について | このページのトップへ | 茶柱横町入口へ |