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第118稿
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」
「張暑飽閉」は平安時代の季節表現と覚えた、今は「春夏秋冬」。
「アイツは、平安文学を勉強しなかったからアーなったんだ」と言う口癖を、鬼籍に入られて久しいが懐かしく思う。「源氏物語研究」をライフワークとされた「土岐武治」先生の講義にて聞き覚えた。
「太宰治」と同郷であり友人として、文壇に登場する以前の「太宰治」を幼少からを知る数少ない人物でもあった。太宰治文学には踏み込むことはなかった、色々な話を個人的に聞かせて頂いた。贅沢な話をノートも取らず、忘却の数々は研究をされている方々からの叱責は逃れらない。
因みに、私は中世を選択しておりました。
『張(はる)暑(あつ)飽(あく)閉(ふゆ)』
季節を現す表現として使用され始めたのは、平安時代の頃でしょうか、それよりもっと以前でしょうか・・・・・・
話は変わり
紀南地方は、近畿圏に於いて一番春の訪れが10日〜15日位早い。暖かくなるのはありがたい。が、境内・墓地・本堂裏・中庭・裏庭・駐車場・石垣・参道・その他。地面は一斉に草の芽が「張る」を迎える。
春夏秋を通じ白木蓮の落葉まで草刈り・草引きは日々追いかけるだけで、毎年雑草の勝ちとなる。
さてその始まりは、白木蓮の開花。そして、今年も咲き出した、

「閉ゆ」までは、無料日焼けサロンに通うこととなる。暑飽は省略
大門 合掌
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