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第104稿 
うちの本尊さん見世物と違います、見学お断り

 過ぎし昨年10月末の事、駐車場整備をしていると、中型バスが停車した。30人程が参道を登って行く。聞けば、地元では無い某教育委員会、見学だそうである。
 今般流行の生涯学習で有ろう。拙寺「安宅(アタギ)(熊野水軍)」の菩提寺として地元では認知されている。が、戦国時代の表舞台には出てこない、まして研究者も史料研究も少ない。寺歴としては、350年ほど前まではほぼ正確にさかのぼれるがそれ以前は、二度の火災によって古文書など悉く灰燼と化した。本尊は、火災を逃れ開創以来今日も無事に安座されている(本尊・十一面観音菩薩。多くは立像であるが拙寺は座像)。

 本尊は、院派仏師「院●(人偏に弁)」文和(南朝歴)三年(1354)の作である。210年ほど前の火災に伴う傷みと補修は、時間の経過により何時崩壊するか時間の問題として全体的に修理を急ぐ必要性があった。住友財団文化財維持・修復事業助成(平成16年度)と白浜町教育委員会、多くの壇信徒。更に有縁無縁の信心によって、1年の時間を掛け190年程前の修理補修による全面を覆っていた彩色を外し、制作された650年余り前の状態へ解体修理を済ませた。開眼供養から、今年で662年経つ事になる。

 拙寺は、観光に値する景色も庭も無い。まして、御土産は勿論お守りに属するものも何処にも無い。休憩所や多人数可能な厠も当然無い。
 ところで、何を学習しようとして見学に到ったのであろうか。安宅一族菩提寺と本尊。一族の墓石群(お骨は残っていない、墓石だけ残っている)を見に来るのは自由ではあるが、悲しいかな「ウチは」観光寺院では無い。

 某教育委員会の担当者に「電話1本掛ける暇も無いのか」と声を掛けたが、それに対する回答は無かった。彼らにも、それなりの理由や事情が有るにせよ、「親方日の丸」意識のなせる業と言える。
 実に、相手をバカにしている見識としか言い様がない。民間で有れば、まずあり得ない。そういった意識はお互いに持ち合わせれば、まとまらぬ話もまとまって行くはずで有る。見学御一行が帰られて久しいが未だに電話一本「すいませんでした」も無い。ついでに言うならば、企画伺書類を承認した管理職の面々は本来の職務を理解していない事に為る。
 ところで、企画運営後の反省会なり報告書に「糞坊主わめく」の件は無かったのかな、有ったのかな。実に実に、知りたい。

 190年前に修理した際、裏蓋に色々と記した、新宮産まれの和尚さんなら「見学」と言われたらどう答えたであろうか。きっとこう言う「我が生まれ故郷の子孫は、礼儀知らず」と。

 上記の話。我が身の、垢と心得。本年年頭の挨拶と致します。
 だけど、「うちの本尊さん見世物と違います、見学お断り。但し、拝観はご自由に。」
住職 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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