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第103稿 兄さんは、どうしはります

 法務以外、お寺の和尚のような衣服「作務着(衣)」を平生に於て着用する事は無い。世間の目を気にしているのでは無く、単に単価が高いからである。尤も、日常の作業を考えると運動性と耐久性そして何より値段を重視しているので所謂「作務着(衣)」は求める範疇から外れる。随って土木作業に向く衣服になる。外出も同じである。しかしながら、持ち合わせている衣服の組み合わせは、時として考えもしない方向に見られる。

 おそらく、平成5年の暮れであろう。京都への所用の帰り、大阪・天王寺から乗り込んできたおばちゃん二人「席空いてへんか」「其処空いてるわ」「あかんあかん隣やくざや」と大声でドタドタと座るところを確保していた。
 其の声のおかげか、空き席無く立っている人も多い中、隣はオバチャンの発言かは知らぬが空席であった。電車も動きだし暫くすると「空いてますか」と同年代の男性が空席を埋めた。
 隣人が話しかけてきたのは、其の隣人が下車する暫く前であった。
 話を聞いているうちに彼は私を同業者と勘違いをしている。話の内容を詳細には覚えていない、法律の施行で以前のように稼げない。オヤジに相談すれば「此処が潮時、国に帰れ」と言われる。田舎の親も年を取ってきた、高校の頃から悪さばかりで迷惑ばかり掛けている。オヤジもウチみたいに小さな組織は直に消滅する。で、田舎に帰り農家を継ぐ事にした。そして「兄さんは、どうしはります」と言うので「このまま、死ぬまで変わらん」そんな話であった。

 ツルツル頭のサングラス、革ジャンバー姿の風体を、彼はオバチャンと同じ値踏をしていた事になる。別れ際どの様な挨拶をしたか憶えていない。

 話変わり
 鳥の刷り込みでは無かろうが、安保法制においては報道番組で、第一声が「反対」「賛成」とキャンペーンの如く大衆の意識に忍び込み、其の本質から関係ない内容に広がっていく。偏向報道と色々巷に流れている情報をはたして、私達は時事を学ぶ事無く疑問を感じる事無く何処まで理解出来ているのであろうか。オバチャンの一言で、大衆の物事を判断していく事は危なっかしい社会体制を作り出す土壌を持っている。

 「一皮めくれば、糞袋」と人間を揶揄するが、皮肉でも何でも無い。「知恵袋」とも言う。オバチャンのひと声で「やくざ」に成り、評論家の言葉に今すぐにも徴兵制が始まり戦争を始めると、疑問を感じる事無く受け入れてしまう。

 50年ほど前に吉田茂元首相は、「大磯随想」の中で、日本は与えられたデモクラシーだから自信の無い民主主義だ。自信が無いから共産主義に恐怖を感じるアメリカや日本、しかしイギリスやフランスは自分たちのイデオロギーに自信を持っている。と言った事を書かれている。

 良寛さんは「施食偈」の中で、五穀を絶つ木食上人を批判して「仏法に似て仏法に非ず。悟りに似て悟りに非ず。一盲衆盲を率いて、今まさに大坑に墜ちんとす」と示された。

 此の二人、表現も時代背景も異なる。しかしながら時代が違えど、多くの大衆(衆盲)は自己の生き方(生き様、歩み方)に自信を持っていない。思想や宗教哲学を持ち合わせ無いが故に、自信ありげな大声に刷り込まれていくのか、大坑に墜ちんとするのか。人の言葉に左右されず、国に帰る事を自分で決め、「席空いてますか」と言った彼の方がまだ生き方を知っているように見える。

 しかし乍ら、思想や宗教哲学を持ち出し過ぎると「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と、夏目漱石「草枕」の冒頭に成ってしまう。

 それはさておき、彼は農家のおっちゃんに収まっているのであろうか。分かるはずも無い。

佛歴2558年12月  大門 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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