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第93稿 信ずる者は救われる???

 何年か前、お墓でのこと「墓に水を掛けてはだめ。と、聞いたが・・・」何故か同じ内容の問いを聞いた。なぜ同じ内容の話をするのか、不思議に思い聞き直すと「テレビで」と言うことであった。
 お墓に掛ける水は「甘露水」であって、「水」では無い。確かに水ではあるが、お釈迦様がお生まれに為った時天の神々が其の祝福を祝い降らしたのである。其れを模して水を「甘露水」として掛けているのである。
 甘露水とは、インド神話に出てくる「不死の霊薬(飲む者は不死になる)」とされたアムリタ(阿密哩多と漢字表記、サンスクリット語)を漢訳したもの。又中国古代伝承によると、天地陰陽の気が調和すると天から降る甘い液体。佛教が中国を経由して伝播した関係で、其の人物が高徳であると、天から降るとされる「甘露」と同定義とし日本では「甘露」若しくは「醍醐」と訳している。
 唯、掛けっぱなしは横着というか不行き届きというか、しっかりと水分を拭き取るべきである。確かに堅い石材であっても、カビも苔も発生する。石のつなぎ部分はどうしても水分がしみこむ。ほっておくと塵を吸い寄せ黒い筋として現われてくる。 テレビで、誰がどの様に説明しているのかは知らぬ事とは言え、人心戸惑わす話を植え付けるとは困った番組内容である。

 先日、新たな質問を頂いた「生前中に墓を作ると、早死にする」連続して聞く質問では無かった。それもそうである、お墓を次々建てることは無いのであるから。 聞けば「テレビで」と言うことである。アホらしくなってきた。 ちょうどお墓の開眼供養であったので、「周りを見てみなさい、赤字の名前が幾つある」何軒か隣には二十年前の日付、向こうには五年前。色を変えていないところを見ればまだ生存している様である。
 小学校の頃であったか高野山でグリコの社長さんのお墓を見た、赤々とした文字で参道横に建っていたのをいまだに覚えている。私の記憶違いであれば、どうかお墓を建てたグリコの社長さん広い広い心でご寛容の程お許し願います。お墓を建てられたその方は、早死にしたのかまだまだ長生きしておられるのか、一度お聞きしたいものである。

 ソノ昔、市井の人たちがお墓を建てると言うことは簡単な事では無かった。檀家制度は江戸時代からの制度である。特に寺院やお墓はそれまで、権力者又、潤沢な資産の人たちだけの物であった。
 江戸時代では、市井の人がお墓を建てようとすると、冥加金を寺院に納める。其の受け取り証文を寺奉行所に冥加金同等額を納める。其の受取証を持って石屋さんに石塔を注文する。現代で言えば、石塔代以外に二百%前後の経費がかかることになる。
 それ以外の民衆は墓地にも色々と風習や習慣が有り過ぎるので此処では省きます。多くは、集落毎に土葬をする場所を一所に決め新佛と重ならぬ様目印の石などを置き彼方此方と埋めたのである。

 室町時代都といえど、鴨川の岸辺へ野ざらし(風葬)にしていた時代もある。其の時代も民衆に訪れて来た経済的な余裕が出来てくると、一軒一軒と先祖や自己の墓を作り出してた。特に生前中自己の墓を作ることは大変な出世を意味した。其の墓は「壽墓(じゅぼ)」と言った。そんな墓で開眼供養をする時、必ず晒しの布を巻いた。裕福であればあるほど何反も巻き開眼供養が終わるとご近所に縁起物として配った。配られた晒しの布は、妊婦さんの帯に使い、当時は箱膳で食事をしていたので食器類を拭く布巾としても使われ、雑巾には使用せず大事に喜ばれて使用されたのである。
 今日は、養生の代わりの如く僅かに巻かれていたりするが本来は全く違う品物であった。今日、その様な事を知らぬ方々がもし晒しの布を配られたら「変な物をモロタ」と困惑するのは間違いないことである。その、晒しの布を法要中巻き取ることを「除幕」と言う。その習慣は現代でも「新装開店」での記念品として生きてる。
 ならば、時代が変わったから生前中墓を建てると早死にすると言う理論は疑問文では落ち着かない。まして、今日より怪我や病気での死亡率が高かった時代、なぜ「壽墓」と言ったのか。甚だいい加減な話をしたものである。

 だが、問題として一番抜けているのは聞く側である。テレビで放送されたからと言って「鰯の頭も信心から」と間違った信心と受け入れてしまう事である。

 心静かに考えれば、人心を惑わし悩まし苦しめることを何も考えずにメディアの情報をそのままに受け取ると言うことは愚の骨頂とも言える。一人一人、考え方も感じ方も千差万別である、習慣風習、隣人の言葉に振り回されず、他人に何を言われようが「私は是で良いのだ」と悩まず迷わず行動出来る信心を持ち合わせていただきたいと願う次第である。

(おかしな話を)信ずる者は(悩み、苦しみ)救われる。困った信心である。

大門 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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