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第72稿 鳴く鹿の・・・ちるふたり

 宿題
 道場でご厄介になっていた頃、月一回か週一回か判然とはしない。学習?の時間が設けられていた。先師方の残された言葉の解釈、隠された意味合いなどを自由な?観点?で発表する。
 何度か発表する事に成ったが、これまた何を喋ったか皆目記憶が無い。唯一覚えているのは曹洞宗開祖「道元禅師」の「典坐(台所)教訓」の一節をしたこと。毎回では無いが、当時道場の師家、現在臨済宗妙心寺派管長「河野太通老師」も出席される。その、出席された時のこと。何の話からか「一休と良寛」について質問を受けた。「良寛と万葉集」などと言うたいそうなお題目で大学の卒論を書いた。少しは良寛については喋れる、が一休はgibberishお手上げである。後に書いたような返事をしたことだけはハッキリと覚えている。今から想えば! 、色気の無い解答をしたものである。爾来、頭にこびりついた宿題で、今一度ご返事する機会があればと願っている。本人もそんな質問をしたことは忘却で有ろうし、今更気の抜けたビールの返事も聞きたくないと想う。で、どこかで返答しておかねば、便秘でも無いがなにやらため込んでも仕方が無いのでご返事を出しておくことにした。

 レポート
 良寛さんは鹿の鳴き声を題材に多くの歌を詠まれている、至って情緒有る内容である。集団からはぐれて生きる鹿(良寛自身)に山中一人の寂しさを詠う。それは良寛の偽の一面であろう、センチメンタルな気性と簡単に捉えるには足りないモノが有る。

 秋も近づき自坊の裏山では、鹿特有の甲高い「ピーーー」と笛の様な声が時々闇夜を切り裂く。私にとっては、情緒以前の話で、毎回「ビクッ」とする。

  秋の野に うらぶれ居れば 小牝鹿の 
  妻呼びたてて 来鳴きどよもす  良寛

 夜、必ず9時と12時に犬を外に出す。時計を持ち合わせぬ犬はどうやって時間を見極めるのか。外出の催促をする。鹿もほぼ同時刻定例の見回りをしている。そこで「ピーー」である。毎夜では無いが近距離(直線で30メーター以内、測りました)なので何度聞いても「ビクッ」とする。

  闇の庭 うらぶれ居れば はぐる鹿 
  挨拶一声 生死切り裂く  だいもん

 と、良寛さんには到底及ばぬ心境である。犬と言えば毎回のこと吠えもせず気にもとめずマーキングに勤しんでいる。此方と言えば、懐中電灯で声の辺りを照らしてその所在を探すぐらいシカ出来ない。確かに、「うるさい」と言うような歌は良寛さんも詠えない。

 よく良寛と一休を対比比較論評される。同時代では無い、江戸時代と室町時代ではモノの価値観も違う。生まれ育ちも違う。その様な論点でこの二人を観ることは甚だ誤りと誤解を生み出すのかもしれない。
 この二人は、出家の人で有る。時代や社会の世相が違っても、同じ法を観た者同士で有る。唯、表現方法は切り口の違いで、何をどう見たので有ろうか。良寛はそれも可愛いと人の弱さや欲望を受け入れようとした。一休は悲痛なまで人の弱さ欲望を極端な姿勢で拒否した。しかし、良寛も一休と同じ物の見方をしている面目躍如とする文章も残っている。

「請受食文」 東郷豊治編著「良寛詩集」より 一部分抜粋 昭和46年 創元社
  今の世、木食行者なる者あり。
  身、人里に住し、故(ことさら)に五穀を食べず。
  これ何の法ぞ。仏法に似て仏法にあらず、外道に似て外道にあらず。
  これ所謂(いわゆる)異を顕し衆を惑わす者か。
  然らざればすなわち深く仏法に狂酔せる者ならん。
  世の人これを信恭すること六通の羅漢のごとし。
  彼等もまた人の信恭頻(しき)りなれば、
  すなわちわが道を殊勝なりと謂(うた)えり。
  苦しいかな、苦しいかな。一盲衆盲を引きいて、将に大抗に墜ちんとす。

 一休もニタリとする文章で有るかもしれない。この文章は良寛さんの研究者も狂酔せる人々も取り上げることはいたって少ない。

 良寛さんが生きていれば、こっちが本心であるが皆々様が気がつかないから「泣く良寛(鹿)の」と詩うんだと。ならば、返して一休は「こどもらと 手まりつくのが ほんしんか なにゆえだます しかのなきごと」とでも毒舌をはき褒め称えるか。で、蚊帳の外貞心尼「うらをみせ おもてをみせて ちるふたり」とでも笑うか。

 良寛と一休を同じ舞台に立たせるのは無理だ。同じ極性は引っ付かない。

 だいもん 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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