茶柱横町 茶柱横町入口へ
 
 
プロフィールを見る
前を見る 次を見る

第28稿 存在することの癒し

 6年前に遡る、6月か7月か判然としない。毎日時間帯はほぼ一定、病院に通っていた頃の記憶。
 最近ではよく知られている「ホスピス」。末期医療の取り組みとして、残り少ない時間をいかにして苦痛、不安を取り除くか、と言う運動。直接、現場に足を踏み入れたことは無いに等しい。(勉強不足です、活動をされている関係の方々に以下のことお叱りを受けるかもしれませんが、无学の言うこと広い広い心でお許しを願いたい。)

 何時であるか何処であったのも記憶にない「今死ぬ人に、何と言うか」意地の悪い質問を誰かが出した「直に儂も行く」と答えた和尚さんがいた事だけを覚えている。去る人を送る人も去る人、時間の経過だけが答えを生み出す。

 誰しもが、生まれ落ちれば必ず「死」を体験する。如かしながら漠然とした感覚でしかない。思えば思うほど不安を生み出す。又、死に対する不安をふとした切っ掛けにより何時か持つ様になる。
 それと同じく、「老いと病」も同じ事が言える。
 軽快な口調で白衣を着け、聴診器を首にホワイトボードを背に「惚けずに死ねる方法は、惚ける前に死ぬしかない」と言って観客の笑いを誘う。嘘でも冗談でもない「高齢者にならず、病気もしない方法は」「それに至るまでに、死ぬしかない」と言うことになる。
 のたうち、悩み、喘ぎながら脇目も振らず生きていくことに「笑」いは取れ無い、今の舞台の上に「泣」きを取れる藤山寛美はこの世にいない。

 「死」の体験は、自損や他損しない限り、急ぐことも叶わず、踏みとどまる事も出来ない。しかしながら、忘れている事がある。今「存在している」事を。

 話を戻し、病院に行くと風呂にも入れない連れ合いの体を行く度に必ず拭いた。一度きりであったが、力を失いつつある両手で胸の中に私の頭を抱きかかえたことがあった。言葉はない。一分にも満たない僅かな時間であった。残り少ない時間の中でいかに癒されて往くのではなく、残るであろう相手を癒す行為はもしかすると「ホスピス」の運動をされている方々には理解できない理屈かもしれない。
 一方的な感謝ではなく、お互いに感謝する立場になってこそ「ホスピス」の運動は、日本人特有かもしれないが潜在的な宗教意識に認知されるはずである。知らず知らず私達は釈尊の気付かれた物の見方を、気付かぬまま持ち合わせている。キリスト教や儒教の考え方他の哲学思想も学ぶべきで有ろうが、理屈や理論では立ち入られない世界を仏教は持ち合わせている。

 今私は、存在している。先人は足元に咲く菫に「釈尊が説法されている」と涙流された。私が今存在するために、森羅万象ありとあらゆる物事が計り知れぬ時間の中で繰り返されてきた。宇宙の始まりも、今私が存在するする為であった。親鸞さんも同じ事を言われた。
 過日4月8日は、釈尊の誕生日。誰しもが知っている台詞「天上天下唯我独尊」鼻持ちならぬ自我自賛の言葉に聞こえるが、そうではない。人類で初めて、自我を離れた意識そのままが本来の自己であり、今此処に存在するそのままの私に気付いた言葉であります。更に、自己の存在をそのままに感謝された言葉でも有ります。

 自己の外に癒しを求めるのではなく、自己の中に隠れているソノモノヲ見つけてこそ私が今此処に存在する癒しの原点になる。
 癒しとは、他から与えられる事ではなく、自己の中を見つめていく心の働きの答えである。他から与えられ又取り入れた癒しは常に変化し消えいく、それは新たな苦痛や不安を生み出す種に他ならない。
 のたうち、悩み、喘ぎながらも今此処に存在する私を自覚できて初めて、癒せるのは自己意外には無いと気付く。ありとあらゆる物事を受け入れる心のキャパシティーは無限である。のたうち、悩み、喘ぎながらも他を癒すには避けて通れぬ、深い宗教精神では無かろうか。

无学 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

バックナンバーINDEX
前を見る 次を見る
| 著作権について | このページのトップへ | 茶柱横町入口へ |