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第29稿 雀 20日間の縁 −縁があれば生きろ−



 始まりは4月12日。寺の下に元製材所の跡地があった。諸般あって今は私の名義を換え、そこに両親の雨宿りを建てている。その屋根のどこか隙間に雀が巣を作り、そこから雛が転がり落ちた。そのままにするも自然。が、婆さんがそれに手を付けた。一旦手を付けたモノ、仕方なく暫くの事と連れ帰る羽目となった。生まれて3日か4日。毛は無い、目は開いている。オイル式の懐炉で保温すれど育てるは難しいかな1日か2日と思ったのが、4月30日迄育っていった。その後は縁があれば生きているであろう。

 雀の子を飼うのは、40年余り振り。とにかく餌やりが大変である。一日にコオロギ、バッタ、チャバネゴキブリ、ミミズ、ササミと手を変え品を変えセッセセッセと餌をやらなくてはならない。法要から帰ってくれば餌やり。人様の食事準備は後回し。餌を食べれば糞もする。タイミングさえ合えば糞の問題は無い。糞で気がついた。昆虫などを主食にしている間は糞は薄い袋状のモノに包まれている。ツバメもそうであるが、親鳥が咥えて捨てている。あの袋の原料はチキン質では無かろうか。証拠にササミの時は袋が破れやすい。学問的なことは学者に任せ・・・・

 そんなとき有る和尚さんに雀の話をすれば「餌売っとるで〜」で、確かに売っていた。斯くして、餌探しから解放された。大体1日に四時間近く腰をおろして虫取りしている和尚の姿を近隣の方々は何を思っていたのであろうか。腰をおろして雑草を引いている様に見えれば良いが、田圃や土手ではそうも行かない。証拠に「和さん、何シトル」と何人にも声を掛けられた。雀の子育ての話をするまでもなく「気楽に生活してハルワ」と是まで以上に思われた事で有ろう。

 3日か4日と思われたが、順調に育ち飼いだして2週間ほどでソレナリに飛べるようになった。肩やら頭の上と、移動するのは良いが偶に糞もしていく。何故か、電話機の上が気に入った。糞の後始末は人間の仕事。一計を案じ風呂敷を被せた。飛ぶようになっても餌を求める。次は餌を探して食べる訓練、難しいことはない。勝手に覚えた。それでも、事ある毎に餌を求める仕草、羽を膨らませ大きく口を開く。

 家出、部屋の扉も窓も開けっ放し勝手に外へ行ったり帰ってきたり。4月29日夕方はテーブルの上に居た。が、その日は何処で寝たらや。翌30日朝6時に本堂の戸を開ければピーピー鳴きながら帰ってきた。そう言えば前日本堂の屋根の上でカラダを膨らませ餌をねだっていたのを思い出した。腹がよほど減ったのか、食べるだけ食べ昼頃まで電話機の上で頭を羽の中に入れ寝ていた。その昼から姿を消した。

 2日後。5月2日、本堂の屋根に3匹の雀が居た。2匹は私の姿を見てすぐに何処かへ飛んでいった。残った雀はカラダを膨らませ鳴く。そして羽を震わせる。周りに他の雀は居ない。2度3度其の行動を繰り返し2匹の雀を追うように飛び去っていった。
 後を見送るでもない、19日と1日の縁。長いのか短いのか私には数えられない。

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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