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第27稿 生活のリズム

 さて さて

 意外と不規則な生活をしている人は少ないようである。
 今の私は、2時前後に寝て遅くても6時30分前後に起き出す。当然と言うには憚れるが、暇有れば昼寝をする。長くて1時間。ただ、先方さんの関係でよくこのリズムだけは守れない。
 地方であり檀信徒の多くない寺院であるが故、週休5〜6日下手すれば7日、と、言う時もある。以外や1ヶ月休み無し、と言うこともある。
 但し、計算は袈裟を付けるか付けないかで有って、世間で言う休日は無い。年中無休24時間営業のコンビニの元祖、家元は寺院かもしれない。

 午前、法務がなければ日頃無精をしているアチラコチラの室内片付けか、外掃除。昼を済まして、午睡か法務。時間が余れば土方か工作を夕方まで。昏鐘(夕刻の鐘)前後雨天以外草引き。晩ご飯で風呂。10時頃から、寺(事)務。目が疲れたら寝る。
 確かに他人から見れば、いたって気楽な生活をしているのかもしれない。



 ただ、コチラの生活リズムに合わせて?、お寺に来られる人の見方は面白い。
A. いつ来ても「法事してはるんで本堂に上がれん」
B. いつ来ても「和っさん寝てはる」
C. いつ来ても「動いてはる」
D. いつ来ても「居てはらへん」
E. いつ来ても「・・・色々・・・」
となる。

 実に、皆さん正確なリズムでお寺にお越しになるられる。
問題は、「いつ来ても」の部分。
Aさんは、和さん  いつ来ても  ナ〜ム〜
Bさんは、和さん  いつ来ても  ゴロゴロ
Cさんは、和さん  いつ来ても  イソイソ
Dさんは、和さん  いつ来ても ドコヘイッタ
Eさんは、和さん いつ来ても  ウロウロ

と、判断を下す。是は、誰しもが同じ様な捉え方をするのであって、特定の思考ではない。そこで物事を広い観点から考える見方として「切り口で物事を論ずるな」と先達の言葉。
 例えば
 円筒形を縦に切った断面は四角の類。横に切れば円形の類。斜めに切れば楕円の類になる。断面が違うので、総て違うモノである。と、一部分の情報で物事を結論づけるな。と言う喩えであります。
 本質や本体を探らず、知りうる一面だけで物事を判断する事は間違いを起こす。と、言うことではあるが一度植え込まれた印象は中々訂正し難い。人の意見は聞き入れにくく、また自分の意見を否定したくない。我を張れば張るだけ一度生み出した情報は切り替えが困難。頑固者は「動いても、黒豆」と表現する。更に問題は、不思議と同じ情報の持ち主同士が意見交換をする事である。輪を掛けて「さらに、いつ来ても」になっていく。

 しかしながら、私の行動習性に対し「オイ」とも、「コラ」と面と向かって今のところ言う人は出てこない。が、日々を反省して真面目な和尚に成らなくては。こんなグウタラを受け入れて頂き、有り難いことである。故に、六方(東西南北上下)に向かって合掌するのか。ハテ

 どちらにしても、今のところ生活リズムに変更の予定は無い。皆さん少しずつお寺に来る時間をずらしてください。いや待てよ、話が余計に難しくなる。だいたい、寺に来る人は決まっている。最後にお願い、電話と来訪はこの時間だけお断り。「いつ来ても和さんお東司に籠城や」コチラの方もリズムが宜しいようで。
故に、気楽に成れない唯一の時間。

ヤレヤレ 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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