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第19稿 2月14日と とっくに過ぎた誕生日

 2月14日はバレンタインデーとか。今年も愚僧、前日は色々と仕事が増えた。何のことはない、娘とクッキーを作る。いや、作らされる。数え50のオッサン手作りクッキーを14日に貰って嬉々とする方々達に顔を向けられない。総てオッサンが作るのではないから良しとすべし。80パーセントはオッサンの作である。去年は、同級3人の娘集まって結局オッサンが作った。

 いつ頃か、ホワイトデーなる商魂逞しい営業も定着し義理でも貰うと大変と聞くが、知り合いに困っているオッサンはいない。聞くところによると、イエローデーとブラックデーも有るそうな。カレーライスとコーヒーは何処まで認知、周知されるのだろうか。二匹目の泥鰌は如何なる結果になるか、世の中だんだん住みにくくなっていく。

 道具は、ほぼ揃っている。生地を延ばす棒だけうどんを作るときに使う棒を使っている。生前家内は擂り粉木を使っていた。知らず知らす手伝わされレシピを見ずにクッキーは簡単。お陰で、娘に嫌われずに済む。

 一番上の兄は「話どころか、返事もしない家庭から見たら幸福やで」と言う。何が幸福か比べることはしない。たしかに現実として、一つ屋根の下で顔を合わせながら話しすらしない、食事もバラバラ。生活様式、生活リズムの変化という言葉に社会が家族が騙し合う。一日の出来事を夕食に話しながら食べ、同じ鍋をつつく。至って当たり前の事が特別な家庭の姿として映る社会の現実。当たり前の事が当たり前でなくなっている日本の家庭風景。「幸福やで」と言う子供の言葉に、これからの社会はどちらに比重を傾向けるのか、驚きと一抹の不安をこれからの日本の家庭に感じる。

 今日、子供と暮らすのはたかが20年程。2世代、3世代と一緒に暮らす家庭がたしかに少ない。核家族の楽しみと気楽さもよくわかる。が、爺婆と暮らす3世代目の育成の貴重さは忘れられている。親から逃げられる聖域を持たずに育った子供は、守られることを知らない。只、攻撃だけを覚える。

 さてその娘、インフルエンザに罹った。ひどくは無かったが、そんなときに限り法務が重なる。一人親の頭の痛いところでは有るが、兄の留守番がいたので大阪へ日帰りの仕事も無事済んだ。帰れば、娘に続いて3日遅れて二人の兄もインフルエンザ?に倒れていた。

イ・タ・レ・リ・ツ・ク・セ・リ

 これはキット誕生日過ぎて花を換えたから怒っているんだろう。2月14日チョコレート貰うより御誕生日のプレゼントあげる日であった。

だいもん

*注:「オッサン」の発音を関西風に2種類に変えて読みませう

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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