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第18稿 主婦になれない主夫、母親になれない♂。

 先日まで、法務でバタバタドタドタ日々を過ごした。お陰と言ってはおかしいが部屋の掃除、台所、新聞の整理、分別回収、風呂掃除に便所掃除。朝から1日がかりで片付けた。残りの問題は干し終わった洗濯の山で有る。
 CD (落語が多い) 聞きながら畳むのであるが一向に山が低くならない。そういえば亡くなった家内もよく座り込んで一心に畳んでいた。私と違い作業は早かった……
 
 お寺は不思議な所である、座を暖めだしたり、ウトウト昼寝の時、用事の重なっている時や切羽詰まって急いでいる時に限って、玄関に人が訪れたり、やり取りの長い電話が掛かる。本堂や境内を掃除しているときは不思議と人影は無い。つまり、「お寺に何時行ってもオッサンゴロゴロしてはる。」と陰口を叩かれる羽目になる。確かに昼寝でゴロゴロしているので異議はない。主夫の楽しみの一つである。

 その楽しみを作り出したのは洗濯機では無かろうかとつくづく感謝する。洗濯板と固形石鹸に戻れば昼寝は間違いなく無くなる。たしかに、その時代と今では生活様式も異なり風呂も毎日入る。機械は文句を言わない、故に色々放り込みボタンを押す。
 我が家の洗濯機に乾燥機能は付いていない。子供は要ると言うが不経済である。急ぐ時は薪ストーブの周りに吊れば毛布でも1時間で乾いてしまう。  薪ストーブは寺の下に作った爺婆の家の中で冬場活躍している。薪ストーブは知り合いを通じて作ってもらった。以前日本海に面する丹後に住んでいたときの生活道具である。紀南は暖かい。燃やすのではない燻べるだけで50平方メートル程十分な暖が取れる。

 薪は寺の周り(寺領の範囲内です)に根が生えた状態で整然と並び間伐されるのを待っている。買う必要は無い、切り倒す、長さそろえて切る、割る、積み上げる、乾燥に1年待つ。只それだけである。冬場2回ほど煤掃除すれば快適である。

  人によれば、洗濯物を畳む方が楽と言うであろうが、この主夫にとっては苦痛の種である。家庭を顧みず、山で力仕事をしている主婦になれない主夫。母親になれない「♂」。
 「男」ではない誰がどう言おうと「♂」で有る。理屈も無い、理論もない。誰がどう言おうと「♂」と言う表記で事足りる。しかしその反対は可能である。母親は父親になれる。父子家庭に成れば納得出来る。女性は実に偉大である。世の「♂」どもは気が付いていない。昔から言うではないか「釈迦も達磨もひょいひょいと生みだす」と。

 今日は2月3日「節分」当山では夕刻7時より三ヶ寺合同でご詠歌の練習会があった。年に一日だけお寺には世間から放り出された「鬼」が集まる日である。残り総ての日は「福」が集まる。お寺では、世間と掛け声が少し違う「鬼は内、福は外」(地域によっては差異があります)。集まった鬼●や鬼●、練習が終わると赤い顔に豆を撒くのか食べるのか「福」に姿を変えつつ家路につく。

先日来3回同じ質問を受けた。
  「テレビで“墓”に水を掛けてはいけない」、本当ですか。
     愚僧テレビを観ていないので詳細は判らぬが、

 社会を、他人を、なぜ迷わせ苦しめることを言うのか。各人が迷いもなく、柏手を打ち、手を合わせるだけで善いではないか。要らんことを言うべきでない。
 テレビを観て迷う方も問題。同じ事、隣のオッサンやオバハンが言えば聞くはず無い。話のレベルは某放送局の「納豆」と「味噌汁」と代わりわしない。所詮は、人間が生まれてからの身につけた概念だけで都合よく喋っていること、神の指示ではない。

  答えは一つ。

  水を掛けても問題なし

 そうそう、その理由が「仏さんの頭に水を掛けたらあかん」そうな。皆さんこれから洗髪にシャワー禁止。サウナのみ可。何せ「生き仏」やさかい。
 エライコッチャ、花祭りでお釈迦さんに頭から「茶」掛け続けてます。今年から、足湯にしとこ。


 そのおばちゃんに相談してください「墓用の傘を作れば儲かる?」。雨が心配
 お墓の掃除は、丁寧に汚れを取り、水気を拭き、雑草抜いて、手を合わす。

だいもん合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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