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第14稿 夫婦意識

・・・御前百まで儂ゃ九十九まで、共に白髪の生えるまで・・・

「御前百まで儂ゃ九十九まで、共に白髪の生えるまで」と昔からよく聞きました。今日の社会では夫婦意識も変わり、「御前年金受給資格まで儂ゃ退職まで、共に我慢のその日まで」と言ったような、ごく一部の事象か、ごく当たり前の風景のように言われる。  先日も、何所であるか覚えがないが高齢の妻に殺された夫のニュースが流れ、友達に母親の殺害を依頼し実行したニュースも流れていた。近所の話でない分実感がない。問題意識は持つが、火の粉を払う思いまでには至りにくい。韓国・ドイツ映画(韓国を舞台「春夏秋冬そして春」の台詞に「欲望は執着を生み、執着は殺意をもたらす……」と湖上の寺に住む老僧が女性の問題を抱えた若き弟子に語る。是は、至って純粋(純粋と言うのも変な話であるが)な男女間の心の働きであろう。しかし、欲望によって生まれた執着は時として、先のニュースの如き事件を生む。

誰しも欲は有る。ない方が不自然。欲に満ちて自然である。問題は欲望と成り、執着から抜け出せぬ時。何所の時点で自分の作り出した想いから開放されるか。一休さんが「首から掛けたる傀儡、鬼を出そうか佛だそうか」と言われたが、まことに自分の欲望や執着心の手先足先操り人形に成り下がり、想いを遂げるまで自己は自身作り出した想いの奴隷になる。特別な場合でない限り、自分自身をコントロール出来ないのは心理状態だけの問題であろうか。今日の社会は脳味噌の方に重点を置き過ぎているのではなかろうか。昔は腹(肝、丹田)を鍛える方に、社会に対しての教育的意識があったように思う。「あの人は出来た人だ」とほめるが、何が出来ているのであろうか。杓子定規に物事を考え、あたかもそれが思慮分別をわきまえているとは言い難い。行政組織の裏金問題然り。社会全体が頭の回転も良く仕事を要領良く出来る事のみに評価を下し、社会の中でお互いに生きていく重要な部分の評価を忘れている。金融に興味を持ち、ただ金儲けのみに走り回る話に嫌悪感を感じる日本人は確かに減ってきているのかも知れない。人情話は落語の中だけであろうか。・・・の出来た(据わった)人物の出現を切に願うものである。

話戻し、多くの夫婦は「共に白髪の生えるまで」言いたいことも言わず我慢して我慢して生活をしているわけではない。言いたいことを言い合い、お互いの傷を労りながら暮らしているはずである。隠す部分も持たず、嫌なところもお互いに見せ合い生活をしている。お互いがお互いを飲み込み生活しているはずである。亭主と嫁という主従関係を越えお互いが主でありお互いが客である。「御前百まで儂ゃ九十九まで、共に白髪の生えるまで」自己の欲望を切り離した時、将にその土壌の中から生まれた言葉である。

価値観が違う、性格が合わない云々で離婚するぐらいなら、結婚しなけれは良い。釈尊は結婚についてどう説かれたのであろうか。「来世も夫婦になる意志がなければ、結婚するな」と言われている。待てよ、嫁さん子供捨てて出家したのはダレだった。深い反省の弁と捉えて貰いたい。マ、当時のインドの人生哲学から考えれば納得出来る行動ではあるが、今日では通用しがたい。

「一緒の墓に入りたい」と言い残したKAMISANの墓はまだ出来ていない。一人白髪生えてもわかりにくい頭に、止まる蚊を払いつつ、秋を迎える。
ダイモン合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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