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第13稿 開店休業

お盆も過ぎ一段落。日本中の寺院の中には「本日休業」か「面会謝絶」の所も有る。電話は常に留守電。玄関で声を掛けても応答無し。車庫は空いている。本堂へ上がろうとしても鍵が掛かっている。下手をすれば、外に設置の便所の鍵まで掛かっている。お犬様ヨロシク片足あげて山門の柱へマーキングして帰るか……

拙寺は「開店休業」。お盆終わって人影を見ない。電話は掛からない。本堂昼間は開けっ放し。首輪も鑑札も付けず放し飼いの犬は、山門がないので恨めしそうに飼い主を見上げる。檀家サン、お寺に来ないのではない。紀南地方はお盆に入る頃から稲刈りが始まる。今年は長雨の関係でお盆過ぎて稲刈りをされている。つまり、お寺どころではない。

世間では、「棚経」(庭先に精霊棚を作り先祖と無縁の供養を行うことによって自らも善根功徳を積む行事。通称「お盆」「盂蘭盆」と言い、その期間に併せ棚の前にて諷経(お経を読むこと)を棚経と言う)に忙しく町中を走り回る住職を先日まで見かけたであろう。宝勝寺にはその風習は無い。依頼の家のみに出向く。初盆を迎える家は他府県に在住であれ、基本的に出向く。つまり、お盆前、お盆終わってもさほど変わらない。中には拙寺より動きの少ない寺院も有るであろうが、いっこうに関心がない。

その時期、御棚や初盆の飾り方の質問を受ける。家々によって、その土地の風習によって千差万別の考えが有る。都会でなくとも地方もお祭の仕方は変化している。隣近所や親戚の意見を聞きながらお祭するのも、自己流でお祭するも一向に問題ないのであるが、迷うのである。なぜか、知らないのではなく関心がなかったから覚えていない。善悪ではない。判断が出来ないのである。ならば、自分が満足できる方法を創ればよい。悲しいかな、その土台がない。で、答えるのである。古来はこの様にしてきました。ここらではこの様にしています。決まりがあって決まりがないのが答えである。心の問題を棚に上げ、風習に囚われ隣人の言葉に振り回され果たしてどこの家の初盆であろうか。

拙寺在所日置川筋を河口から10kmも山手に行けば12の村落がある。少しづつ祭り方が違う。違う祭り方が正しく、迷う祭り方が間違っている。お墓に提灯を立てる所。玄関に提灯を掲げるところ。鯉のぼり宜しく高く提灯を上げるところ。様々。

拙寺の地区は玄関に提灯をかかげる。が、拙寺は7メータほどの高さに提灯を上げる。今年はお盆前に色々と用事が多く13日にようやくお迎えのお祭が出来た。12日にある人に言われた。「和さん、今年はあげんのかい」「まだ用意できませんのや」。夕刻鐘を鳴らし終わり、子供達を呼び集め今年も火を入れ高々と提灯を上げる。その下に置いた精霊棚の前にて施餓鬼のお経を読む、13日はキュウリの馬に跨り駆けつけ、15日には茄子の牛の背に揺られ帰る母親である。私が死んでお盆になっても祭り方に迷い無く何をするか覚えているであろう。か。
4度目のお盆も過ぎた。
だいもん 合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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