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第15稿 秋のお彼岸と運動会

在所の運動会は9月にある。全国的か地域限定か、そんなことは知らない。記憶にある(拙僧、大阪生まれ大阪育ちの)小・中学校の運動会はやはり10月である。はたまた、記憶違いか。東京オリンピック開催を記念に10月10日「体育の日」としたことは周知の通り。
 9月の運動会に楯突く気もない、しかしながら長年日本人に染みついているお彼岸期間中に日を重ねる、とは。役人や教育委員会の役職についている面々は、ついぞ親の手に引かれてお墓参りに行くことが無かった故の現れか。菩提寺かお墓へ行くか、応援席に座るか、スタートラインの前に立つか、各自の問題。
 色々と事情もあるから9月になったのであろう。難しく考える気もない。

春秋の彼岸は祖先の供養のためにあるのではない。本来、六波羅蜜「布施」「持戒」「忍辱」「精進」「禅定」「智慧」(意図する意味は各自の菩提寺か、近隣の和尚さん捕まえて聞いてください)の実践を強調した期間であった。それに合わして祖先の追善供養を融合し今日に至る。が、実践は忘れられお墓参りばかりニュースのネタになる。彼岸は己自身を省みる部分へ重きを置くべき期間である。が、野僧自身常々省みないので大きな声で言えぬ。

さてさて、前号で書いたが寺庭(宗派によって呼び方は違うが、禅門では住職の奥さんのこと。「じてい」と読む。)の墓はまだ建てていない。骨箱に入ったまま祭っている。このままでも生活に支障が無いので置いている。墓を建てねばと今日も思いつつ、日を過ごしている。
 で、今年は「閏」の年。新暦8月24日〜9月21日迄、旧暦で言うと7月と8月の間にややこしく29日間、閏の月が入る。つまり、旧暦で今年は13ヶ月有る。世間では「閏の年に墓を建てるな」とよく言われる。なぜか、昔は本百姓以外は田畑を庄屋様などから借りていた。月々土地代を払わなくてはならない。同じく長屋に暮らす町民も家賃を大家さんに支払わねばならない。12回の支払いが、閏は13回支払うことになる。今日の生活で考えれば1年の収入は変わらず支出は1月分多い。
 つまり「お金に困るやも知れんから、お墓建てるの止めとき。生活苦しくなるで。無理しなや。」と言うと大きなお節介になる。で、お金の話を外してやんわりと古人は意見した。それ以外にも理由はあるが、書くのを控える。

ただ、昔から言うので疑問も持たず鵜呑みにすると迷信。迷信に振り回されない心が「禅定」。しかしながら、墓の工事始めなが近所親戚の意見に中断する事もある。造りたいのに造れない家の想いは「忍辱」の一言。経済の問題ではない。周りがあまりにもうるさい。ヤレヤレ、迷惑な事である。それでも、親の墓と「精進」されて今年は墓の開眼法要を3件済ました。

先ほどの話、彼方此方でするが一向に聞く耳を持たない「持戒」無き人。人を迷わし、苦しめる事に何ぞ罪悪感すら持たず間違えた「布施」をする世間が怖い。「智慧」は中々身につかないものである。
 ならば、ならば、暮れまで寺庭の墓建てねば、……。
合掌

―第118稿―
「張暑飽閉」の「春夏秋冬」

―第117稿―
春のお便り

―第116稿―
「正月」と「障月」

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