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第3回:「Máte volný pokoj?」


チェコの第三の都市、オストラヴァ。住宅がたくさん。

チェコに自力で行く人が最初におぼえる文章のなかに
「マーテ・ヴォルニー・ポコイ?」
というのがある。
「空室はありますか?」という言い方で、ホテルや民宿のレセプションで使う。
どんなに古い会話集にも、新しい会話集にもなぜか入っていて
みんな習ったことがなくても、なんとなくこの単語を使う。

チェコは共産主義だったことがある国なのだが
その時代は海外旅行が自由にできなかった。
そのかわり、自分の国の中を車や電車やバスで移動して
中世からあるような古いお城を巡って、その土地のビールやワインを堪能して
そこの絵はがきを書いて親しい人に送った。

いまでもどんな小さい町に行っても、必ずホテルや民宿があって
古城や廃墟や自然など、日本人が自力で行くにはむずかしいようなところでも
泊まるところは必ずある。
そんな旅をする人がチェコを好きな人のなかにはいて
見たい景色や踏み入れたい土地があると、自力でみなさんお出かけになり、
空室があるかをチェコ語できく。

私も初めてのチェコでプラハではない町に行くとなったとき
まずオストラヴァという、チェコ第三の都市へ向かった。
観光情報もなかったのだが、
この町は私がチェコを好きになるきっかけをくれた
チェコ人の出身地だったから、まず行きたいと思う土地だった。

プラハを出て当時は6時間かかった。
いまはいろいろ事情が変わって3時間ほどになったが。
初めての旅で20歳では、
「6時間かかる」というのがあまりわからなかったのだが、
つまり、半日かかる。午後に出たら夜着く。
ひたすら電車で窓をみつめ、だだっぴろい草地や森の中をかけぬけ、
きいたこともない名前の駅を通り過ぎ、
一人でオストラヴァを踏むためだけに6時間を過ごした。


オストラヴァ中央駅。緑色の列車は急行。

スーツケースは貨物用の列車に頼んだ。
オストラヴァに着いたとき、夜7時ごろだっただろうか。暗かった。
荷物受け取り場にとりにいくと、なんと届いていなかった。
そのシステムもよくわからず預けた私も私なのだが、
私が乗ったプラハ発の列車に私のスーツケースは乗っていなくて、
次に来る列車は翌朝6時だ、6時に来いというのだ。
6時?
チェコ語がまだおぼつかないながらも時間の数字はききとれた。
タオルもパジャマもない。
聞き取ったチェコ語は正しかったんだろうか。
6時に行ってなかったらどうしよう?

思わぬ事態に迷いながら、駅から町へつながる大通りを歩いた。
とにかく宿をとろうにもインフォメーションが閉まっていて、
飛び込みしかなかった。
HOTELという文字がみえてきたとき、迷わず入った。

「マーテ・ヴォルニー・ポコイ?」

お兄さんは不思議そうにしていたが、
「空室あります」といって、受付をして、鍵をくれた。
ホテルの名前は「globe」となっていて、鍵は地球儀型だった。
チェコのホテルに多くみられる、地味な内装。最低限のアメニティ。

荷物が朝になっても届いてなかったらどうしようと思って、
落ち着かなかった。
そうだ、別行動中の友達の泊まっているホテルに電話しよう。
と、電話の受話器をとって、ボタンを押すと、
「3」のボタンが下に降りたまま元に戻らなくなった。
使いすぎた子どものおもちゃ電話みたいな手応えだった。
あきらめて寝た。

朝、必要以上に早く起きて駅へ向かった。
夜には見えなかった団地がたくさん見えて、子どももいた。教会もあった。

荷物は来ていた。
駅に来てしまったので、そのまま次の町へ向かう列車に乗った。
オストラヴァ。不思議な町だった。


チェコで食べるユッケ。タタラークという。
ガーリックを塗ったパンにのせて食べる。

第八回
Váoce:
クリスマス

第七回
Praha a Čechy:
プラハとボヘミア

第六回
Hezkou zábavu!:
お楽しみください!

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