その10 樟脳舟にのって
夕暮れには風も凪いで
祖母の手も空くだろう
そうしたら、まだ陽のあるうちに
ブリキのタライに水を張り
さあ出航だ、出帆だ
祖母と二人
樟脳の舟を出す
進むのか沈むのか
セルロイドの舳先よ
淡いみどりの帆をあげて
ボクらを運ぶ
「いつの間に季節は変わったのかしら
一枚の水のような恋、解けない夢」
子守唄のように細く静かに息をついで
見知らぬ少女のような表情で
祖母はマストにもたれ、流行り歌を唄うのです
街では知らぬ間に
祭りはクライマックスだ
岸には花火が
ざわめきは水面を
やがて祭りは終わるだろう
波は荒れ、風も出るだろう
それでも懐かしい唄でも口ずさむように
セルロイドの舟は行く
祖母と二人
船尾にひとつまみの樟脳を積んで
愉しげに、危なっかしく
憧れの岸辺へ、まだ見ぬ距離へ
![](../../images/02jyunin/17bando/photo/10/DSCN9810.jpg)
恋焦がれるように待っていた、「貴布禰さん」の夏祭り。
ようやく陽が落ちて、あたりが薄暗くなり、回り灯篭の店が周辺から浮かび上がるように目立ちだすと、夏祭りは佳境に入る。いつの間にか境内は活気付いていて、夜店独特の雑踏とざわめきの中で「冷やこいで! 冷やこいで!」と連呼する氷菓子屋のダミ声が、ひと際張りを増したようにこだまする。
6月の終わりの難波八幡神社に始まって、夏休みに入ってからの難波熊野神社、8月に入ってすぐの貴布禰神社と、小学3、4年生の頃に胸躍らせたのは近所の神社の夏祭りだった。(「難波」はいずれも「なにわ」と読む。尼崎に存在する地域の名称)。
その興奮を計るのは、露店の数や売っているものの内容の豊富さ、珍しさ、だった。当然、祭りの規模が大きければ大きいほど人出も多く店の数は増え、その内容も濃く、多様な商いの店が集まってくる。中には初めて見るようなものと遭遇することもあるので、自然と僕らの鼻息は荒くなる。
貴布禰神社は、けんかだんじりで有名な、尼崎を代表する大きな神社で、境内も広い。しかも隣接する公園や周辺の道路に至るまでひしめくように露店が出る。小さい頃は境内の混雑ぶりが恐ろしいほどで、どこからどこまで店があるのか、祭りの全体像も把握できないくらいスケールの大きな夏祭りだった。一往復すれば大体の店は把握できてしまう、通学圏内の氏神である難波熊野神社や八幡神社――それはそれで楽しく待ち遠しいのではあるが――とはまた違う規模と迫力なのだ。
しかも、元々戦前から我が家の氏神で、家族みんなが「貴布禰さん、貴布禰さん」と呼び慣わし、数年前まですぐ隣に住んでいて、その家の前まで賑やかに夜店が出ていたこともあり、すでに名前を聞くだけで懐かしいようで、僕にとって貴布禰神社の夏祭りに行くことは特別に大切な行事の一つ。夏休み最大のイベントともいっていいものだった。
「例祭」と書かれた夏祭りの告知ポスター――といっても神社名と日付だけの、小さなサイズのよくある地味なものだけど――を見ただけで胸がときめくようで、祭りの数日前から平静ではいられなくなる。地域では最後の夏祭りということもあって、貴布禰さんの夏祭りが終わってしまうと、夏休みはまだまだ続くのに、何とはなしに、ひと夏が終わってしまったような気分になった。
宵宮も本宮も、明るいうちから出かけ、
日が暮れる前までに露店を味わい尽くす。
当日、僕はまだ明るいうちから一人で、あるいはこの祭りのために泊りがけで遊びに来ている年齢の近いいとこたちと繰り出す。もちろん半ズボン、ランニングシャツという感じの普段着で。あの頃夏祭で浴衣を着ていたのは大人たちを除けば、女の子か幼児(小学低学年が限界)くらいだった。
金魚すくいや型抜き、輪投げなど子供相手の一部の店は、陽が高いうちから商売をはじめていることもあるので、冷かしがてら見学して歩く。まだ人がまばらな境内をキョロキョロしながら、いろいろな店の開店準備を見るともなく見ていたり、何にお金を使おうかと思案したり、広大な露店空間は、子供にとって、どこからでも、どのようにでも遊び楽しめるワンダーランドなのだ。
8月1日の宵宮、2日の本宮(宵宮が一番楽しかった。翌日も祭りは続くので、前夜祭気分を持ちながら祭りも堪能できるという理由で)ともに4時くらいに到着して、広い境内とその周辺をウロつき回り、店の人に顔を覚えられてしまうくらいに露店を味わい尽くすのが、僕にとって理想の、そして最高の、貴布禰神社の夏祭りの楽しみ方なのだった。ただ、一人か、もしくは子どもたちだけで来ているので、そう遅くまではいられない。けんかだんじりが本格的に手合わせをする頃には、もう神社をあとにしなければならない。だから早く着いても、それほど時間があるわけでもなかった。
2日の本宮の昼下がり、早めに神社に着いたりすると、露店の人たちは昼寝をしていたり、食事をしていたりすることがあった。活気のある夜の営業中とは異なり、生活感の漂う、気だるい雰囲気の舞台裏を垣間見たりするのも興味深かった。
或る年の本宮が終わった翌日「もしかしたら今日も何軒かは露店が出ているのでは? きっと出ているはず!」と、何か新しい発見でもしたような気分で見に行ったことがある。少しは期待していたのだが、残念ながら露店は全くきれいさっぱり跡形もなく、貴布禰神社の境内も隣の公園も何事もなかったかのように静まり返っていた。狛犬がしらけた顔をして夏の光に照らされているのをぼんやり眺めて、すごすごと帰るしかなかった。
その頃、我が家のあった西難波(にしなにわ)から貴布禰神社までは2キロ程。子どもの足でブラブラ歩いて30分くらい。いつもの通学路、あるいはその周辺の道を通って、阪神バス及び阪神の路面電車二駅分を歩けば難波。そこから三和商店街のアーケードを抜け、阪神電車の踏切を渡れば目指す神社はすぐ目の前にある。この神社に着くまでの道中、「今日はどんな店が出ているだろう? 去年のあの店が今年も来ているといいけど」などと近付くほどに期待は膨らみ、ついつい足早になるのだった。
阪神電車の踏切を越えたあたり、神社の敷地に入る前、鳥居をくぐるかなり手前から、冷やしあめ・冷コー、かき氷、氷菓子、綿菓子、イカ焼き、ベビーカステラなど、普段あまり味わえないものが並んでいて、それぞれ呼び声や香ばしい匂い、派手な色やカタチで僕らを誘う。
いずれもそこそこには購買意欲をそそられるのであるが、貴布禰さんでの僕のお目当ては基本的には食べ物ではない。お年玉で懐があたたかい初詣とは違って、夏祭りの小遣いは多くても100円程度で、有意義に使わねばならず、おいそれとはお腹の中に消えてなくなってしまう飲食に回せない。縁日でしか見られない昆虫などの生き物や、珍しい玩具を売っている店があったりするので、一回りして全部確認するまでうかうかとお金は使えないのだ。
輪投げ、金魚すくい、ヨーヨー釣り、パチンコ台、スマートボール、射的、型抜きなどの定番中の定番もそれはそれで十分魅力的なのではあるが、これらはどんな祭りにも出ているので、とりあえずは横目で眺めながら通り過ぎておく。歩き回って、もし何もめぼしいものを発見できなければ、ピストル型ライターなどちょっと大人びた景品に惹かれて、輪投げや型抜きなどで結局無駄遣いをしてしまう、ということもあるのだが。
はずみぐるま、ブリキ玩具、樟脳の舟……。
僕らを露店に惹きつける数々の実演販売。
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はずみぐるま、ピョンピョン駒、ガラスの動物など
昭和30年代に露店で売っていた玩具あれこれ。
当時、僕が最も欲しかったのは、なんといってもヤドカリや銭亀、かぶと虫や蛍など夏の小生物たちだったが、動く玩具にも引き寄せられた。普段、駄菓子屋などでは見かけない玩具類は、ときに宝物のように輝きを放って僕らを魅了する。なかには怪しげなものもあったが、商品を巧みに動かしながらの販売は、なかなか刺激的で思わず足を止めて見とれてしまうものが多かった。
タコ糸で車輪を回転させて走らせる「はずみぐるま」、バネで進む「ぴょんぴょん駒」、リンリンとベルを鳴らして走る三輪車(ポピュラーなものはセルロイド製の男の子が運転しているのだが、鉄腕アトム風や鉄人28号風などもあり多彩だった)、ゼンマイで作動する球を追うネコ、ロウソクで水を熱し蒸気を作って走るポンポン船、バネ仕掛けで回転する発色のきれいなブリキコマ、吊るした紐でケーブルカーのように走る(飛んでいるようなイメージで?)往復飛行機、古風なところではぐるぐる回せば大きな音を出して鳴く尾舞鳥、そして樟脳の舟。
これらはいずれも、工場で製造されたというよりは、内職で作られたような簡易なつくりの玩具であるが、どこか味わいがあって何かしら惹かれるのだった。おじさんやお兄さんによる実演販売は人気で、人出が多くなれば二重三重の人だかりができることもあった。
タライの海を走る不思議で
魅力的な玩具、樟脳の舟。
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樟脳舟はいつ頃まで露店で見かけたのだろう。
僕らが低学年の頃はまだまだ健在で人気もあったように思う。ポンポン船や三輪車などはブリキの発色も鮮やかで、サイズも大きく賑やかな音を出して走る玩具なので注目されやすいが、どこかの工場で余ったようなセルロイドを貼り合わせてできた3、4センチの小さな樟脳舟は、静かで地味だった。
けれどもグリコのおまけを少しばかり大きくした小さな可愛い舟が、ほんの一つまみの樟脳を動力に、水を切って涼しげに走る光景は、まるで鮮やかなマジックを見せられているようで不思議な魅力があった。
台の上に水を張ったタライを置き、小さな舟の後ろに樟脳の欠片をセットして、そっと水の上に浮べるだけでタライの海を軽快に進む。動く玩具に単純に反応していた僕のことだから、初めて見たときは、きっと「それなんぼ?」と勢い込んで尋ねたに違いない。動力が電池でもゼンマイでもなく、樟脳のカケラというのが新鮮な驚きだった。
ところが、である。露店では、おじさんは手際よく船尾に樟脳のカケラをのせ、タライの海を走らせていたけれど、興奮して買って帰って同じようにやってみても、実際には思うように進まないものだった。
進まないどころか水に浮べると傾いたり倒れたり、果ては沈んでしまうものなど、当時の僕には、露店のおじさんのように手際よく走らせることは難しかった。おそらくタライに張った水の静まり具合や、舟本体や舳先を折ってみたり曲げてみたり、樟脳の位置や量を変えてみるなど、何か特別、うまく走らせるコツのようなものがあったのだろう。
つまりは科学する力――水や舟の状態を観察しながらちょっとした工夫と微妙な調整――がもっと必要だったのだ。「どうしても走らせる」という根気も不足していた。売られていた樟脳舟のなかには格好だけで実用に向いていないものもあったかもしれない。
話は再び逸れるが、先にあげた「はずみぐるま」も走らせるのは難しかった。同じくタコ糸を使用する地球ゴマとよく似た要領なのであるが、比較的容易に回せる地球ゴマに比べ「はずみぐるま」はかなり上級レベル。露店のおじさんはいかにも簡単に実演していたけれど、やはりコツがあって大人でもなかなか上手くはいかない。
露店で見つけては買ってきて失敗するのを何度か繰り返しているうちに、樟脳の舟は、いつのまにか祭りや夜店で見かけなくなった。ブリキやプラスチック製の派手で大きくて単純な玩具が増え、セルロイド製の舟はやはり地味に過ぎたのかもしれない。セルロイドという素材が消えていった頃でもあるので、そこにも原因はあるのだろう。ただハッカパイプなどはもう少し後までセルロイド素材のものが売られていたようなので、商売としての旨味がないなど、樟脳の舟特有の事情があったのかもしれない。
運がよければ骨董市などでも出会える、
昭和30年代の、樟脳の舟。
当時の樟脳舟を見てみると、そっとつかまないと壊れてしまいそうなほどに華奢にできている。そのせいもあるのか骨董市などで見かけることはあまりない。特に写真のような、昭和30年代の露店で売っていたものに出会うことは稀だ。「樟脳舟を内職していた古い家から大量のデッドストックが出てね」ということがあってもおかしくはなさそうなのだが、そんな話は一向に聞かない。
それよりも古い、戦前の箱入りの樟脳舟というのがあって、これはデッドストックのきれいな状態で残っているものがたくさんあるようで、ときおり大きな骨董際などでも見かける。当時、縁日や夜店などの露店ではなく玩具屋で売っていたと思われる。輸出用のものもあったようだ。
僕が夏祭りの露店で買った樟脳の舟は、もちろん箱入りなんかではなく、樟脳のカケラが付いて一つ20円くらいだった(2、3個のセットで30円とか50円)。もし骨董市やアンティークショップなどで当時のものを発見するとしたら、その100倍程度の値段が付いているだろうか。もちろん売っている人次第なので、運よく安価で手に入れられる可能性もあるのだが。
同じセルロイド素材のハッカパイプも、当時の値段、現在の値段ともに樟脳舟によく似ている。冷静に見れば樟脳舟のほうがハッカパイプに比べて随分シンプルな構造で、手間も掛からなさそうなので、当時もっと安く売られてもいいようなものではあるが、そこは動く玩具の強みだったのだろう。当時ハッカパイプはハッカ(ハッカ砂糖)を入れて10円か20円で買えた。安くてハッカの甘くてスッとするような軽い刺激が美味しく、容器も残るし味に当たり外れもないので最も気軽に買えるものの一つだった。
露店で売られている商品はけっこう流行に敏感だった。お面はもちろん、ハッカパイプやはずみぐるまなども素早く当時のテレビに登場していた人気者を取り入れていたのである。樟脳舟にも舟の真ん中にダッコちゃん(風)やキューピー(のような)のキャラクターがのっていたりするものもあって、商品バリエーションは多かった。
最近、樟脳舟がまた製造されていて、もちろんセルロイド製ではなくプラスチック樹脂製のものであるが、舟が5、6個に樟脳が付いて数百円で売っている。昭和30年代のものよりやや大きく、走行性能のよさそうな安定した作りのものが多い。
昭和30年代のセルロイドの樟脳舟も、最近の手軽に遊べそうなものも、見つけるとつい買ってしまって、どちらも持っている。けれども、ともに一度もタライの海を走らせてみたことはない。持っているだけで十分なのだ。子供の頃と違って、樟脳舟の原理も扱い方も、読んだり聞いたりして、少しは知っているので、きっと水の上を走らせることはできるだろう。夏の夕方、大きなタライに水を張り、あの頃のように、ちょっと試してみたいな、と思わないことはない。
だけどいま実際に走らせてしまうと、当時の樟脳舟にまつわる記憶や、ずっと樟脳舟に抱いていた、ほのかな懐かしさのようなものが、微妙に変質してしまいそうな気がするようなのだ。初恋の人に、歳月を経て会うのが少しばかり怖いような感覚、というと大げさだろうか――。というわけで僕の樟脳の舟は、遠い夏祭りの記憶とともに、引き出しの奥深くにしまったままなのである。 |