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道草其の一 『さよなら』







さて、夏、18歳の。
僕は寺山修司の本に出会い、引用された「花に嵐のたとえもあるさ。さよならだけが人生だ。」という言葉に出会った。これから人生が始まろうとしている矢先、その言葉は僕にブスリと突き刺さった。(※1)

しばらくして僕は、誰にも何も告げず家出した。
 結果的に、昨今の少年少女がするプチな家出ではなく、捜査願いが出て、社会的世間的には行方不明になる家出となった。

約1年、はじめての町で寮を完備した勤め先を見つけ、そこで寝起きし、生活した。(生活したとは、この場合、働き、食って、寝た、というぐらいの意味。)
 当時のことを、今でこそ呑気に語れるものの、その頃の僕はいわゆる「必死のぱっち」状態で、誰にどういう迷惑をかけ、どれほど無責任な行動をとったのか等、混乱し不安定になったこころの力ではわかる筈がなかった。ただもう、(自分を生きるなんていうとカッコつけすぎだが)毎日毎日必死で生きるのみ、という状態だった。

働く事を通じて、いままで出会った事もない多くの人々に出会った。しかし、きつい仕事だったのだろう、辞めて行く人が多く、1年という短い期間に多くの別れを経験した。
 別れを経験し『さよなら』を言うたびに、自分の中でカラカラに乾き、カラッポになったコップのような容器に、何かウェットな物質がたまってゆくのを感じた。
 その物質が何なのか、今もってわからないが、それがたまるとどういうわけか、言葉が突き刺さったこころの痛みが和らいだ。

そして、ある日、
(変な言い方だけど)ぽっかりと『自分』がいるのを発見した。
 そこからすべてが始まる『自分』。
 家出を終わらせた。
 家族への謝罪や、その他、失ったものの回復については、これはまた機会があれば別の場所で、別の話にしよう。(※2)

それからたくさんの時間が流れた。
 今もその傷口は癒えてはおらず、時々ヒリヒリと痛む。
 が、こころの中にコップのようなものを見つけ、そこに注ぎ込むものをどうすれば手に入れる事ができるかを知った僕には、傷口やその痛みは、むしろ失いたくない大切な存在に変わった。

振り返れば、もう2度とはできない、最初で最後の長い長い「道草」であった。

僕はヘコんだときにはいつも、この道草で出会った人々のことを思い出す。
 どんな飯を食って、どんな話をして、どんな部屋に寝て、どんな喧嘩をして、
どんな雨に打たれて、どんな罵声をあびて。

そして人生は続くのだ。あたりまえの話か。

さあ、今日もでかけよ。
 もうあんな道草は真っ平御免にしたいが、
自分を楽しむ道草なら、どんどんやってまえ。
(って、仕事はちゃんとしましょね。家事も。)

次回、道草其の二『ショッピングセンター・ラビリンス(仮題)』に、
乞う御期待!。

(※1)もちろん、寺山の引用した言葉だけで、家出したわけではない。それはきっとトリガーのような働きをして、こころとからだを、今までの僕じゃないところへ発射したんだろう。
(※2)そう、自分が主人公の家出劇も、そこにはたくさんの人々がそれぞれ主人公の物語が同時に存在していたことを、結果的に学ばされた気がする。

付記:「花よりダンゴのたとえもあるさ。道草だけが人生さ。」のコピーは、ご存知「花に嵐のたとえもあるさ。さよならだけが人生だ。」のもじり。色香大好き人間よりも食い意地がはった人間の言葉のようになってしまったけど、まあ、なんとなく語呂もよく、どのみちお調子者の僕をあらわすにはうってつけと思い、そのまま行く事にした。

道草其の四十
『みらい -17-』
突然スクリーンが暗くなり

道草其の三十九
『みらい -16-』
向こうは朝で こっちは夜?

道草其の三十八
『みらい -15-』
潜水艇はゆっくりと上昇すると

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