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第三話 バーモントの“パンと人形”サーカス団



パンと人形サーカス団

「旅」と聞くと 何故か「サーカス」を思い浮かべる。
それは多分私の「一番最初の旅の記憶」と 関係しているのだと思います。

私が人生で最初に日本以外の国に行ったのは13歳の夏、行き先はアメリカ。
母親が昔留学していた時代の縁の地を回る旅というコンセプトのもと、
家族でニューヨーク、メイン、バーモント、コネチカット、サンフランシスコ、
ハワイのマウイ島を3週間ほどかけて旅しました。
もちろんそのときは「旅をしている」だなんていう意識はなかったけれど
それまで1泊2日の林間学校だの修学旅行だの
「おかしは500円以内」な世界で夜も眠れなくなっていた私が
いきなり飛行機に乗って赤毛のアン的世界の中に降り立ったわけで 
その衝撃は今でも忘れられません。

歩いている人の目は青いし 言葉は通じないし 何より空気の手触りが違う。
だから私の中で アメリカは特別な国。
あれからずいぶんいろいろなところへ行ったけれど
あの別の次元に迷い込んでしまったような感覚、
怖いような 嬉しいような
複雑な気持ちはやはり最初の1回に勝ることはない。

それももう14年も前の話で、
全体的な記憶はおぼろげになってしまっているところも多いのだけれど
ディテールだけはどういうわけか細かく覚えている。

例えばその時「ゲド戦記」を持っていって読んでいたこと
ランチで出てきたフライドポテトがバネのような形をしているのに驚いたこと
泊めてもらっていたおうちの犬が
森の中でスカンクに一発お見舞いされてしまい
(家中に満ちたあの臭いを形容する言葉を 私は今でも思いつかない)
トマトジュースでその大きな黒い体を洗ったこと。

そんな中でも一番 くっきりと覚えている光景。

それは、背丈が10mほどもあるような 大男。
それは、たくさんのボールを 自分の体の一部のように扱うピエロ。
それは、ぴかぴかと光る衣装を身にまとい くるくると回る踊り子。
それは、その場にいることを あまり楽しんでいるようには見えない動物たち。
それは、ちょっとしわのよったタキシードの座長。

バーモント州の田舎、とある野原で繰り広げられていた、サーカスの風景。

どういういきさつでその場にいることになったのかは
全く覚えていないのだけど
森のなかにふいに出現した広い野原には中心に平らな部分があって
そのまわりは すりばちのようにゆるやかな坂になっていて、
その坂の部分に座って出店で売っていた少々にんにくの味が強すぎる
ガーリックトーストかじりながら私たちは黙ってサーカスを見ていた。

サーカスといったら大勢の人でにぎわって、
とにかくワクワクして楽しいものだと思っていたのに、
その時見ていたものは私がイメージしていたサーカスとは全く違っていた。

あたりはとても静かでさびれていて、
お客さんの数は数えるほどしかいなくて
弦楽器とアコーディオンの物悲しい旋律だけが空間を満たしていた。
空中ブランコとかライオンの火の輪くぐりとか綱渡りとか、
そういう派手な見世物は何ひとつなくて、
サーカスの団員たちもお客がいることを分かっていないような 
ひとことで言えば 何の見所もない「地味」なサーカス。
でもその光景が なぜだかとても強く心に残った。

そうしてそれから10年以上経つ今も、たびたび思い出す光景となった。
夕暮れ時の静かな森の中に響く少し不協和音気味なメロディと、
肩の力の抜けたサーカス団の見世物は妙に神話的な
まるで夢の中のような世界を作り出していたから。

気づいたら、私は彼らから目が離せなくなっていた。
海外という初めての大冒険に興奮しながらも不安を感じている13歳の自分と、
街から街へと旅をして、どこにも属さず、
その地にほんのひとときの夢の世界をもたらし、
くらげのように浮遊してゆく、
その地味なサーカス団を重ね合わせていたのだと思う。

「属している自分」と、「属していない彼ら」を比べて
そんな風に街から街へ旅をしながら生きる人生とは
どのようなものだろうとそんなの嫌だと思うと同時に、
とても羨ましいような気分で
玉乗りをしているピエロをじっと見つめていたのを覚えています。

だから、私はあれからずっと「サーカス」というものに
特別な思いを抱いている。
見知らぬ国にいるとき、寂しさを感じたとき、あのサーカス団を思い出す。
大規模なサーカス、大入り満員のサーカス、
見所満載のサーカスはたくさんあるのだと思うけれど、
私にとってのサーカスはあの日あの誰もいない野原で
ひっそりと興業をしていた彼ら。
"Bread and Puppet" (パンと人形)という名のあのサーカス。

そしてそれが、私の初めての旅の記憶。

彼らは今もどこかの国のどこかの原っぱで
あのちょっと気の抜けた音楽を響かせているのだろうか。

2009年
ゆっくりと

AIR MAIL
from LONDON

第九話
空とび猫 デナリの物語<1>

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