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第四話 カナダ、トロント
〜トマトジュースと初めてのホームステイ〜
トマトジュース
次なる旅、それは高校1年生の時に1ヶ月間滞在したカナダの話。
今思えばこのカナダへの短期留学がその後の私の人生を大きく変えるきっかけになったなあと思う。人生の分岐点は数多くあれど あの時カナダに行っていなかったら 今ここにいる私は間違いなく存在していない。
1ヶ月間のカナダ研修、その頃の私にはそんなに長く家族から離れて暮らすだなんて考えられなくて、出発前からとても不安になっていました。しかも、ホームステイ! 英語も全然出来ないのに、会ったこともない人たちと暮らすなんて! と、自分で行くと決めたくせに、どうにも情けない状態。
仲良くなれなかったらどうしよう、おみやげは何がいいかな、日本食を作ってあげたら喜ぶかな、めんつゆ持っていったほうがいいかな、めんつゆスーツケースの中で割れたら困るな、とどうでもいいことまでいろいろ考えているうちにあっという間に出発日がやってきて、気づいたらもうカナダはトロント、むせ返るような緑に囲まれた白い綺麗な家の2階にある小さな部屋のベッドの上に座っていました。
全く見覚えのない場所に 突然一人っきりでぽつんと放り出された違和感。あまりの現実味のなさに呆然。
お世話になったのはハケットさん一家。でっぷりとしたお父さんと、笑顔が素敵なお母さんと、トロント・ブルージェイズフリークなお兄ちゃん。
みんな初日からとても暖かく迎え入れてくれて、折り紙や扇子のお土産も好評だったけれど、何せ言葉が通じない。
無理してジェスチャーや英語の教科書に出てきそうなフレーズでしゃべってみるけれど、会話は続かないし、単語は出てこないし、彼らの「頑張って理解しようとしてくれている」努力が伝わってしまって緊張は増すばかり。
私の心の中は初日から不安と違和感でパニック状態になっていました。
今なら、あの時私たちはお互い同じような違和感を同じように抱えて、緊張していたんだなあ、と思える。ちょっと恥ずかしいような、珍しいような、そんな気持ちで。そりゃそうだ。だって家族の中に突然どこの誰とも分からない日本人のちっぽけな女の子が一人紛れこんでくるんだから。
でも、その時の私はまだそんなことも分からないほどに子供で、自分の事で精一杯で、彼らの見せてくれた優しさにうまく応える事が出来ていませんでした。
あっさりとホームシックにかかり、メソメソしながら部屋にこもって、お母さんの「おいしいケーキ、食べない?」とか、お兄ちゃんの「居間でゲームしない?」といった優しい言葉にも「疲れてるから」とかなんとか理由をつけて、のそのそとごはんの時に出てゆく以外は、極力部屋から出ようとしませんでした。
そんな生活が何日か続き「このままじゃいけない」と分かっていても 体がそこにいる自分を受け入れられてなくて どうしようもなかったのです。不安が余計に私をちぢこまらせていました。同じように別の家族の家にステイしている友達がとても楽しそうで、そんな事を気にして一晩中寝られずに悩んだり。
こんな状態のまま彼らとお別れしなくちゃいけないのかな、と思い焦りが頂点に達していたある夜のこと。いつものようにみんなで夜ごはんを食べている時にお母さんが私に
「マイ、トマトジュース飲む?」と何気なく聞きました。
トマトジュース! それは好き嫌いのない私が唯一絶対ダメなもの。トマトスープも生のトマトも大好きなのですが、トマトジュースだけがどうしても飲めないのです。
私は条件反射のように叫んでいました。
"No, I hate tomato juice!!"
(いらない、私はトマトジュースを憎んでいる!)と。
その時の家族みんなの ポカーンとした顔が今も忘れられません。そして次の瞬間、その場にいた私以外の全員、大爆笑。
私は別にウケを狙ったわけでも何でもなく、大真面目だったのですがそれがまたおかしかったらしく
「そうか、マイはトマトジュースを憎んでいるのか!
一体どんなひどいことをトマトにされたっていうんだ?!」
というような事を言いながらみんな涙を流しそうなほど笑っていて、そんなみんなの笑顔を見ているうちに嬉しくなって、最後は私も一緒になって大笑いしていました。
ハケット一家に滞在して1週間、それが多分初めて「ちゃんと話が出来た」瞬間だったのだと思います。頭じゃなくて、体で出来た会話。トマトジュースが苦手なあまり、don't like(好きじゃない)じゃなくて普通食べ物の好き嫌いには使わないhate(憎む)がとっさに口をついて出たこと。
あのとき一生懸命トマトジュースが嫌いな理由を説明して、きっとその半分も通じていなかったと思うけど、でも、それでいいんだと思えた。
「うまく話そう」とか「正しく話そう」とか考える前に、まず伝えたいという気持ちを持つこと。その気持ちがあれば、三人称のSも過去完了形も前置詞も関係なく、ちゃんと伝わるのだという事。間違っていたとしても、それでみんな笑顔になれるんだったらいいんだってこと。
そんな「トマトジュース事件」はその後の私に大きな変化をもたらしました。
昔からよく「極端だ」といわれる私ですが、別人になったかのように、どんな小さなことでも、どうでもいいことでも、とりあえず家族に伝えてみるようになり、積極的に家族と時間をすごすようになりました。
別れの日、ずっと早く日本に帰って家族に会いたいと泣いていたのに、今度は帰りたくない、と涙を流すほどに。
自分がオープンにならなければ 決して相手もオープンになってくれない。当たり前だけど、難しいこと。短い時間だったけれど、家の前でハケット一家と撮った写真は今でもアルバムの特等席におさまっています。
大嫌いなトマトジュース、けれどトマトジュースが私のはじめてのホームステイを180度変えてくれました。トマトジュースは今でも嫌いだけれど、憎んでいる、とまでは言わなくてもいいかな。
そうしてそしてこのカナダへの旅がきっかけで、私はこの2年後、アラスカに留学することになるのでした。
ほんのちょっとした瞬間に、人生は大きくその色を変える。
きっかけは単なるきっかけに過ぎないけれど
きっかけが全てを形作っているとも言える。
細胞の1つ1つは単なる細胞だけれど
細胞が私という人間の全てを作っているように。
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