第七回 「旅行」から「冒険」へのスイッチ 達人は大観す!?
セブ島の小さな村「モアルボアル」ダイビングツアーに、相場の4倍も支払ったことから始まった、リベンジ・ダイビングツアー計画。たまたま同じ車に乗り合わせた日本人ダイバー4人と帰国後に、再会。旅の想い出に盛り上がりながら、次回のダイビング旅行の日程を調整した。
予約手配は自分が引き受けるかわりに、ダイビングショップや宿の選定を一任してもらった。
予約作業は、入手していた料金表にメールアドレスが記載されていたため、いたって簡単に進んだ。フィリピンの英語普及率は日本の比でなく、どんな田舎へ行っても英語が通じる。もともとアメリカ旅行で、ホテルやハイヤーをe-Mailで予約したいたので、慣れた作業だった。
気になるのは、当日、本当に空港にピックアップの車が待っているのか、「約束」や「契約」という概念がどこまであるのかだけが、不安だった。
そして旅行当日。約5時間のフライトでセブ島へ到着。予定なら到着口に名前を書いた札を持って立っているはず。イミグレーションからカスタムを通り、ピックアップの業者でごったがえすロビーへ出る。
人混みの中を探す。そして自分の名前を見つけた。空港に業者が迎えに来ているという、これまでならごく当たり前のことに軽く感動し、愛想良く話しかけている自分がいた。
相手の名前を聞いて、事前に聞いていた名前と照合する。なりすました白タク業者が、ピックアップカードの名前を写し取り人気のないところへ連れて行き、強盗と化すことも考えられる。用心するに越したことはない。
本人確認が済み、荷物を車に積み込み、いざモアルボアルへ。
途中、大型スーパー「シューマート」で、食品、酒、日用品を調達するためドライバーに立ち寄るように依頼。予約の時点でそのことを言うと割増料金などと言われるかもしれないと思い、直接ドライバーと交渉することにしていた。また、スーパーで買い物している間にドライバーが荷物を持ち逃げするのを防ぐため多少割高でも宿泊先手配の車を予約しておいた。
大量に買い込んだ荷物を再び積み込んで、いよいよ出発。
ドライバーには、コーラやお菓子の詰め合わせをチップ代わりに渡したがそれほど喜んではいなかった。やはりキャッシュのほうがよかったようだ。
半年前と同じジャングルの中を切り開いた街道を走る。前回より新鮮味には欠けるものの、予定通りにモアルボアルへ到着。自主企画のダイビングツアーは、大きなトラブルもなく事は運んだ。それもそのはず。自主企画といいながらも、ピックアップは宿の手配。宿もモアルボアルの中では最高級の部類に入るオーシャンビューのプチリゾート。
今から思えば、すべてにリスクを避けるために、それなりの代償を払っていた。
しかしそれは、危険を回避するための必要経費。ただ、不当にぼったくられた前回の旅行とは中身が全く違っていた。
自分の遊びのフィールドに「フィリピンの田舎」という場所が追加された。そこへ行くには道路はでこぼこ、何時間もかかる。大きなショッピング施設など何もないが、そこには「ひと」がいた。ひとりひとりの顔がはっきりわかる、人とのつながりがあった。
「何を考えているのかわからない浅黒い顔をした奴ら」の中に、日本人がどこかで置き忘れてしまった「一生懸命生きる」ことを思い出させてくれる、気持ちのいい連中がいたことが、なによりうれしかった。
村のサリサリストアでビールを注文すると、小さな子供達が、手押し車でホテルまで楽しそうに運んでくれた。同じ屋台で毎日「サテ」を買うと、おばさんが「ニカッ」と笑いながら1本おまけしてくれた。
土曜日の夜は、夜通し大音量でダンスミュージックを流し、朝まで騒ぐ村の若者たち。田舎なのに閉鎖された空気はなく、一緒に盛り上がり、大いに飲んだ。
これに気をよくして、もっとローカルレートで旅をする気分が盛り上がり、同時に「セルフ危機管理」について、さらに考えるようになっていった。
そんな経験談を、とある格闘技の飲み会で話していると、格闘技の先生が、筋金入りの「フィリピン通」だった。自分の知らないフィリピンの田舎で、ダイビング旅行を楽しんでいるビデオで見せてもらい、「次回は一緒に行きましょう」と話は盛り上がった。
そして、数ヶ月後。
私と先生の珍道中が始まった。先生はフィリピン訪問歴十数年。しかも門下生のひとりが「フィリピンパブ経営者」でマニラの表の顔とは違う、裏の世界にも精通していた。
その時マニラにオーディションでやってきていた、門下生のAさんと合流。「私はマニラ初心者」と話すと、夜のマニラをAさんの運転手付きマイカーで、高級店からチープ店まで、詳しい解説付きで紹介してもらった。「ここは去年まで人気ナンバーワンだった」とか「この前のガサ入れで、従業員が半分に減った」とか。
とても自分一人では近づくことさえなかったようなエリアに次々と案内され、2日でマニラ通になった気がした。
3日目早朝、バスでマニラから南へ下り、港町パタンガスへ向かった。港からフェリーで2時間ほどのところにある「プエルトガレラ」が今回の目的地。日本の離島にちょっと雰囲気が似ている素朴な島の中で、人が多く集まるサバンビーチに宿をとることにした。そこは、路地のような目抜き通りに、食堂、サリサリストア、ディスコ、カラオケ店などが所狭しと立ち並ぶ、島唯一の小さな繁華街だった。
ここまでの道のり、バス、フェリー、バンカーボート、宿の手配まで、すべて先生がその場でツアーガイドのようにフットワーク軽くやっていただいた。しかも、「きっぷの買い方」「マニラで良心的な両替屋」「バンカーボートの料金交渉術」など、様々な場面で、どうすべきかを説明してくれた。
それは私に「あること」を伝えたかったからだった。
遡ること数年前。
一瞬のスキに相手を倒してしまう格闘技の達人でも、マニラで拳銃強盗に遭った時には、ただ両手を上げて胸のポケットを指さす以外には何も出来なかった、という。その時は、両替したばかりのペソの一部を胸のポケットに、残りをおなかに巻き付けていた。
深夜到着便のため、ホテル手配のタクシーを利用した上での、出来事。ホテル到着寸前でいつもと違う道を曲がり、いきなり3人組がタクシーの前に立ちふさがり「ホールドアップ!」
あれはドライバーがグルだったと、確信しているらしい。危険度が増す深夜の移動のため、安全策として通い慣れたホテル手配のタクシーが、強盗とグル。 人を疑いながら、おびえながら旅行しても面白くないが、慣れた場所といって安心していると何が起こるかわからないのが、マニラ。
楽しむことと、用心すること、そして用心してもどうにもならないこと、最悪の場合は、命だけ助かればすべてOKと、とっさに思えるように覚悟したうえで、この国を楽しもうじゃないかと、暗黙に伝えようとする達人の話が、心につきささった。
達人とは、豊富な経験と長年の鍛練により、その道の真髄を体得した人。思い上がって調子に乗って、リスクが高いことに、意味もなく向かっていく人のことではない。目の前のことにとらわれず、全体を見通す眼とカンを鍛えて判断を誤らないことが、この先の自分の旅の進む方向を、大きく左右すると改めて感じていた。
ちょうど自分で旅を創ることが楽しくなってきた時期に、最適なアドバイスをもらい、ますます、チープな旅がおもしろくなっていった。
チープな旅は、臆病であれ!そして楽しめ! |