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「長崎の離島の小値賀島(おぢかじま)へ行ってきた。」
-その2-
翌朝、小値賀島から船に乗って隣の島の野崎島に渡った。野崎島は7年前の2003年に集団離島があって、今は無人島になってしまったそうだ。住んでるのは多数の鹿たち。
昔、島民が住んでるときは、1年に一度くらいしか鹿をみかけないほど、鹿は人に慣れずに用心深かった。でも、今は人がいなくなり天敵がいなくなったと思ってるのか、私たちを見ても逃げやしない。たった7年人が住まなくなっただけで、住宅は荒れ果てていた。屋根が落ち、幽霊屋敷のようだ。
「人の陽の気を入れないないと、家はすぐ朽ちる」と案内してくれた人が言っていた。確かにたった7年人が住まなくなっただけで、こんなに建物は傷むのかと驚かされるほど、ほとんどの建物は傷んでいた。最後まで島に残っていた神職が守っていた神社も、つい最近に拝殿が崩壊した。ぺしゃんこにつぶれた建物の前に、狛犬だけは何事もなかったようにたたずんでいた。
野崎島の崩壊した神社
今、野崎島は廃校を宿泊施設に変えて、「自然学塾村」という名で宿泊者をうけいれている。修学旅行生などが泊まりにくるそうだ。その廃校のすぐ近くの小高いところに、野首(のくび)教会がある。
野首教会とその内部
本土では、キリシタンは迫害されていたが、五島列島はキリシタンにやさしかったので、今も教会が沢山残っている。この野首教会は、今も手入れされているので、美しくて立派な教会だ。予約しておくと中にも入れることができる。
野崎島は、隠れキリシタンが渡ってきた島。野首教会は明治41年にたった17世帯で、お金を出しあって建てた。3食、食べるところを2食に減らして、お金をためて建てたという。キリシタンの人たちは貧しかったそうだ。それでも物々交換で暮らしはできた。昔は漁師は魚、農家は野菜など物々交換した。高度成長でお金がいるようになってその暮らしも崩壊して、だんだん暮らしはきつくなりとうとうこれ以上は暮らせなくなって、集団離島となったそうだ。
島を歩くと赤土のだんだん畑がある。溶岩の赤土はミネラル豊富で、いい作物が育つそうだ。
野崎島の段々畑
島で、動物カメラマンの人にあった。この島には25年前から鹿の写真を撮るために通ってるそうで、「昔に夕飯をごちそうになった家が、朽ちている」と屋根が崩れ落ちた家を見て寂しそうにつぶやいていた。今回は、自然動物のドキュメンタリーで鹿の交尾を撮るためにきてるそうだ。なんでも、鹿は年に1日しか交尾しないそうだ。そのタイミングで撮影するために、迷彩柄のシートをかぶって鹿を待つそうだ。とっても大変そうだ。真っ黒に日焼けしていた。でも、ちゃんと交尾を撮影できたというからすごい。
野崎島では、人間が作ったとは思えない巨石を組み合わせた謎の「王位石(おえいし)」というのがある。港から、徒歩3時間もかかりかなり道のりが険しいというので行かなかった。そこは、磁場が強くて、方位磁石がぐるぐる回るというパワースポットらしい。その石の下には700年に建てられたという「沖の神島神社」がある。小値賀島の地の「神島神社」と向かいあって建っているらしい。鳥居が海に向かって建っているので不思議な感じに見える。
小値賀島の海に向かって建つ鳥居
その夜は、民泊をやってる近藤さん家で、あじ釣り体験と、夕食をごちそうになった。
魚づくしの民泊の夕飯
51歳で早期退職をしたという近藤さん。鹿児島でNTTにつとめていたが、もともと漁師をしていた島にだんだん帰りたくなってきた。ちょうど、早期退職社をつのっていたこともあり、島に戻る事にした。戻ろうと思った一番の理由は、両親が暮らしていた家を朽ち果てさせたくなかったからだそうだ。
同級生は300人いて、いったんは島を出て行った人が多かったけど、今は40人も同級生が島で暮らしているという。同級生がそんなに身近にたくさんくらしているなんてうらやましい。2つ下の奥さんも、島の人で同級生が60人もいるそうだ。でも、このままではこの島も10年後には無人島になってしまうかもと不安そうだった。
おみやげに五島列島の郷土料理のサツマイモを混ぜた餅の「かんころ」と、椿油を練りこんだ「五島うどん」を買って帰路についた。
かんころもちと五島うどん
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