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第四回 はじめてのシキホール

マニラを朝一番に立ち、
飛行機と船を乗り継いで、ようやくその島へ着いたときには
すでに昼3時を過ぎていた。

e-Mailで出迎えを約束したはずの知人は見あたらず、
迎えに来てくれることを前提に考えていた自分は、
彼の住所の控えを日本に置いてきてしまい、
頼みの携帯電話は、
「電源が入っていないか、電波が届かない場所に……」らしきメッセージを
英語で繰り返している。

小さな港に集まっていたジプニーは、乗客を乗せ、
それぞれの行き先へ、けたたましいエンジン音を発車の合図に出発していった。
残ったのは、客を取り損ねたトライシクルのドライバー達と自分だけ。


画像提供:「りけるけの北ルソンだより」さん

ドライバーは次々と声をかけてくる。
「どこへ行く? 迎えは来ないのか」
「もうジプニーはないぜ。乗って行けよ」

見るからに健全なドライバーとは一線を画す風貌と言葉使い。
ぼったくる気満々で、話しかけてくる。

初めての土地で、出迎えもなく、
連絡も付かない自分に残された選択肢は
いくら請求されるかわからないトライシクルで、
かすかな記憶を頼りに知人の家を探し回るか、歩いて行くか。
どうせ迷うなら、楽なほうがいい。

客にあぶれたドライバーに歩み寄り話しかけてみる。
「TOMと呼ばれている日本人を知っているか?」
「おう! TOMか。知ってるぜ」と
黒光りする顔から白い歯を見せニヤリと笑い6〜7人が答える。

この島でひっそりと暮らす知人がそんな有名人のはずがなく
適当に答えているのが見え見えの奴ら。

更に聞いてみる。
「じゃあ、TOMはどんな家に住んでいる。場所はどこだ」と。
2〜3人が思い思いに答えているが、その中に一人、
聞かされていた家の様子に近いことを言う奴がいた。
そいつに絞り込み、更に聞いてみる。
「ここから、おまえならTOMの家まで、どういう道を通っていくか?」
ドライバーが答える道順は、
TOMから聞いていたかすかな記憶をよみがえらせるに十分な説明だった。
「そして白い病院の角を右に曲がり畑の先にある、
ドイツ人が建てた家がTOMの家だ」
聞いていた目印「白い病院」で奴がTOMの家を知っていることをに確証を得た。
「そこまでおまえならいくらで行く?」
ちょっと安心して気を抜いた私は、知らない土地でやってはいけない
「料金交渉」を口にしてしまった。

内心びくびくしながら、土地のチンピラ風の男達相手に
自分が行き先を言えないことを悟られないように
ドライバーを選んでいる素振りが巧くいった安心感からポロっと出てしまった。
すかさず「フィフティーン」と答えるドライバー。
仕方がないので「ペソか」と確認。
もちろんといわんばかりに大きくうなずく。
軽く後悔しながら交渉成立。
握手をしてそいつのトライシクルに乗り込む。

この島でのトライシクル料金が5ペソが相場だったはずなので
3倍ふっかけられている計算だが、
荷物を抱え、知らない土地をかすかな記憶を頼りに歩くことを考えたら
安いものだと、自分に言い聞かせる。

「ビイ〜ン」と2サイクル特有の甲高い排気音と青白い煙を吐きながら
トライシクルは走り始めた。
「名前は?」と聞いてきた。
そういうときは必ず自分は
日本のオートバイメーカーの名前を言うことにしている。
「カワサキ」
ドライバーは必ず驚いたようなリアクションをする。
「カワサキは俺の最も愛するバイクの一つだ」

車がまだ高嶺の花で、
なんとか数年かけてためたお金で買えるのが中国製のスクーター。
日本製の大型バイクなんか、?芹日本人にとってのメルセデスのような存在。
そのメルセデスと同じ名前を持つ日本人ときたら、
意味もなく親しみを持って話しかけてくれるのがこれまでのパターンだった。
それが、時には「ホンダ」であり「スズキ」であってもリアクションは同じだ。

ドライバーは、遠回りすることもなく20分ほどでTOMの家まで連れて行き
家の人に「客を連れてきたぜ」と声をかける。
出てきたのはフィリピン人。
ドライバーと二人で早口のセブ語で何か会話している。
「TOMは留守だ。近くの市場へ行っているらしい。おまえも行くか?」
と聞いてきた。
なんか親切な奴だなと、更に気を許した私は、
市場まで5分くらいと確認した上で
「じゃあ、市場まで行こう」と伝えた。
きっちり5分で市場の中心へ到着。
またまたドライバーが、店のオヤジ数人と話をして
「ここにはもういないらしい」という。
「ほかを探しに行くか」という。
「いや、TOMの家で待つからTOMの家まで戻ってくれ」
ふたたび彼の家へ。しかしTOMは戻っていなかった。
部屋で待とうと、料金を支払うことにする。
港からTOMの家。
更に市場を往復したので15ペソに10ペソ足して25ペソを渡すと
「これじゃ足りない」という。
約束のTOMの家15ペソと市場往復で25ペソだというと
約束は50ペソだという。

やられた。

フィフティーン(15)といいながら
フィフティ(50)を請求するフィフティ詐欺。
フィリピンでは定番の使い古されたぼったくりのパターンだ。
まさか、自分がそんな古典的な罠にひっかかるとは思いもせず
一瞬ポカンとしていると、「フィフティ」「フィフティ」と連呼している。
ここで50ペソを払っても日本円で100円程度なのだから
痛くもかゆくもないが、そんな古典詐欺にかかったことが許せない。
だからといって、怒鳴ったり、罵声を浴びせると
いきなり懐からピストル取り出すやいなや、
ズドンと1発食らうことになりかねない。

翌日の日本の新聞に
「日本人観光客、フィリピンで100円支払いを拒み殺される」と
なさけない見出しで記事にされ笑い者になることも容易に想像できる。
彼らは人一倍プライドが高い。そして貧乏だ。
100円でも平気で人を殺す。
だから、まずは交渉だ。
私にはいくらでも時間がある。そして知人宅の前だ。
気持ちにかなり余裕があった。
「おまえは港でフィフティーンと言った。常識でよく考えてみろ。
この島でトライシクルの相場は5ペソ。市場へも行ったから
合計1Oペソ。本当10ペソでいいんだぜ。
俺がそんなことも知らないと思っていたのか?
それを25も渡しているのに何が不満なんだ」

と問いつめると
「おまえは貸し切りだった」と返してくる。
たしかに、トライシクルなどは
他に乗客がいないと割り増し料金を言うことがある。

しかし、50ペソは取りすぎだ。
「おまえは、俺が一人とわかっていてフィフティーンと言った。」
「いやフィフティだ」
と、熱くならずに、冷静に交渉を続ける。

悲しいかな、
フィリピンのトライシクルドライバーのほうが私より英語力が上だった。
そのうち言葉がみつからなくなり思わず日本語でまくしたてた。
ドライバーは「俺だって英語でしゃべってんだから、
おまえも英語で話せ」と突っ込む。
たしかにそうだが、英語だとちょっと不利だった。
言い合っているあいだに、日は暮れ始め、空はオレンジ色に染まり始めた。

「もういい。こんなケチな日本人は初めてだ」と帰りエンジンをかけ始めた。
私は25ペソを渡そうとすると、「いらない」という。
「それは困る。おまえのトライシクルに乗ったのだから25ペソは払う」というと
「25ならいらない」とエンジンを空ぶかしした。
交渉をごまかして無知なツーリストからお金巻き上げるドライバーが
きっぱりとお金を受け取ることを拒否する姿に、なぜか心が揺らいだ。

「待て」とドライバーを引き留め、あろうことか50ペソを渡した。
何が起きたか飲み込めないドライバーの手に50ペソを乗せ
「おまえは悪い奴だが気に入った。アミーゴ」
なぜか口に?芹した私の「アミーゴ」が、奴にささったらしかった。
「アミーゴ!そうだおまえもアミーゴを使うのか。おまえはもう、アミーゴだ」と
納得したかのように50ペソを受け取り、「サンキューアミーゴ、カワサキ!」と
叫ぶように礼をいいながら、ドライバーは帰っていった。

長い交渉の末、勝ったのか、負けたのかわからないまま
ただ、軽い疲労感と開放感で、ぼーっと沈む夕陽を眺めていると
その先から、問題のきっかけを作ったTOMがひょこひょこ歩きながら帰ってきた。
「えっ、明日じゃなかった?」
と、のんきに声をかけてきた。
港からここにたどりつくまでの大事件を知るよしもなく、
「腹減ったろう、飯行こう! 俺がおごるぜ」と
更にのんきなことをのたまうTOM。
最高の酒の肴になる話を手に入れた私も
「その店、冷えたビール置いてる?」と聞く。
「あるある、サンミゲルの大瓶がだったの15ペソだ」
15ペソ!いい響きだ、アミーゴ!!

楽園探検隊のお気楽情報
002 誰にでも楽園
「ハワイ」<2>

楽園探検隊のお気楽情報
001 誰にでも楽園
「ハワイ」<1>

第七回
「冒険」へのスイッチ。
達人は大観す!?

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