その6 数字
「愛されていないなあ…」と感じる瞬間、ありますか? 私は日々“数字の神”に愛されていない事を実感しています。 “数字の神”とは人間の数にまつわる能力を司る神で このオジサンの個人的好き嫌いでその人の能力が決定される。 …と私が勝手に考えた神様です。 例えばそれは時間感覚に表れます。 時計を見ずに過ごしてください。 しばらく経ってから時計に目をやり、 時計の針が予想した時刻から どれだけズレているかで判断出来ます。 ±30分内の人は“数字の神”に愛されています。 喜ばしい事です。 それ以外はズレる程に、数字の神の寵愛から遠のいてゆきます。 ちなみにぴったりだった人はオメデトウ。 「溺愛」されていますね。 体内時計というのは人によって多少誤差があるそうですが、 私の場合は±60〜90分ズレます。 ちっとも愛されていないことがまるわかりです。 かつて“愛されている人”のお宅で驚いたことがあります。 時計の数が少ない…!!! そう、彼等はマメに確認せずとも 時間を把握できる能力を持っているのです。 “愛されざる者”からすれば、こういう家はどうにも不安。 時計は各部屋に2つは欲しいところ (片方が止まった時の保険として2つ) しかし、それだけ時計に囲まれているにも関わらず 時間把握が大雑把な為、出発前には必ず慌てる“愛されざる者” この現実。そっと唇を噛み、哀しみに堪えます。 他にも計算能力(暗算レベル)にも 「愛されないっぷり」を感じる事ができます。 スーパーでカゴに商品を入れ、どんぶり勘定を始めます。 「200円位(実際は180円)がひとつと300円位(実際は250円)が…」 時間感覚と同じく誤差の大きい計算能力。 レジでの答えあわせはドキドキです。 加えて“愛されざる者”は財布の中身も把握できていないので、 会計が済んでから手持ち不足、なんて事も少なくありません。 レジのおばちゃんの苦笑、なんとも言えぬ屈辱感。 常に円に計算し直さなくてはならない海外旅行など以っての外です。 雄大な自然も世界遺産の歴史的魅力も本場のピッツアも 計算のハードルを超えることは出来ません。 「電卓があるじゃないか」と思われるでしょうが、 “愛されざる者”は電卓ですら計算間違いをしてしまうミラクル。 ここまで書いていて気付きました。 私は「愛されていない」のではなく「嫌われている」と。 きっと前世で天才的な計算能力を用いて 悪事を働いたからに違いありません。
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