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001 韓国一人旅(釜山編)


今、韓国ブームだけど私が初めて韓国に行ったのは、ソウルオリンピック前の約20年前。ぜんぜんまわりに韓国に興味を示す子はいなかったころだ。
 たまたま、私に韓国から東大に留学してる友達ができ、そのときはナースを辞めたばかりでお金と暇にまだほんのちょっとだけ余裕があったので行くことになったのだ。その韓国に行ったのが、私の初海外旅行で、しかも一人旅となった。というのも、ホントは一人旅するつもりは全くなく、ナース時代の友達のまぁちゃんと行く予定であった。
 まぁちゃんは福井、私は東京、と離れて住んでいたので、山口県の下関から韓国の釜山に渡る「関釜フェリー」のりばで待ち合わせをしていた。なぜ「関釜フェリー」かというと、その当時で片道約7000円くらいと安かったからだ。待ち合わせ時間に待ってるとそこに、私の名で呼び出しの放送が入った。

行ってみると、まぁちゃんからの電話である。
「もしもし、ひろみちゃんゴメン、行けんようになった…。
にいちゃんが自殺した。」
「えっ!?自殺?」
「命には別状なかったんやけど…旅行には行かれへんわ、ごめんな」
「そう…わかった。おにいさんお大事にな」

それで、私はひとりで関釜フェリーに乗り釜山に渡ることになった。でも、そのときは韓国人の友達の釜山に住む友達が、韓国を案内してくれるという約束になっていたので、まだ余裕だった。
 夕方6時に乗り、下船するのは翌朝朝8時ごろ(ホントはもっと早くに着いているのだが、朝早いためか下船時間はそうなっていた)。乗客は私以外は、韓国人の行商のおばさんと、あとおじさん2人とガラガラ。一晩揺られて、釜山に降り立った。プーンと日本とは違う、独特のキムチぽい匂いがした。しかし、案内してくれるはずの韓国人の友達は、釜山に着いたら電話するように言われていたのですぐ電話したのに連絡がつかず、結局ひとりで韓国をまわるはめになってしまった。もちろん韓国語もハングルも、まったくわからない。ちょっと途方にくれたが、日本国内の一人旅は慣れていたので、持ってきたガイドブック「地球の歩き方」を片手に観光地を回ることにした。

最初に行ったお寺は、日本語で「この寺は豊臣秀吉に燃やされてた寺」というような内容の説明文が看板に書かれていて驚いた。先の戦争で日本人が韓国人にひどいことをして反日感情が根深いことは知っていたが、戦国時代というそんな昔のことから根に持っているとはびっくりである。

また、公園のベンチで休憩してると「私の兄弟は日本に連れて行かれた。両親は北朝鮮だ。それもこれも日本のせいだ。私たちはゆるすけど、忘れない」と突然日本語で話しかけられてあぜんとした。確かに戦争で日本人が韓国にいろんなことしたのは、ひどいと思うが、いきなりそんなこと私に言われても...ととまどった。
 でも、だいたいの韓国の人は親切であった。特に韓国で女の一人旅はめずらしいらしく、ひとりでぷらぷらしてると日本人とすぐにわかるみたいで、いろんな人に日本語で話しかけられた。日本語で話しかけられるというのも、戦中に日本が無理矢理に日本語を教えたというのでちょっと心ぐるしい気もしたが、60歳以上の人の多くの人がきれいな日本語を話すことに驚いた。
 話しかけられた人に、「韓国風の床暖房のオンドル式の宿に泊まりたい」というと宿を教えてくれたり、「慶州とソウルに行きたい」というと、親切にわざわざ韓国の新幹線にあたるセウマウル号乗り場まで連れてってくれたりした。

今考えると知らない人にひょこひょこついていって、よく危ない目にあわなかったなと思うが、若気の至りと言うか怖いもの知らずで、運良くなにも危ない目にはあわなかったのだ。その後ソウルでも、珍道中は続く。

068
『豊橋ハリストス正教会』

067
『大好き!着物』

066
『仏像に変身した私』

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