茶柱横町 茶柱横町入口へ
 
 
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 2005年8月8日にスタートした茶柱横町は、来月でちょうど1周年をむかえます。いやーめでたい。
 1年という期間、送られて来る原稿や新たな出会いにはげまされたりしながら、横町の運営を続けることができました。みなさま、ありがとうございました。
 来月から始まる2年目の横町。住人も増え、2年目こそは『茶柱ブックス』を出したいものだとひそかに燃えております。みなさま、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

第七回
共有する時間

CABINを吸っていた。フィルターの根元まで灰になっても、左手の人指し指と中指に挟んだままで話を続ける彼を僕は知っている。
 パジェロに乗っていた。対抗車線にパジェロが現れると、ハンドルから右手を離して、すれちがいざまに挨拶する彼を僕は知っている。
 楽器屋を営んでいた。兵庫県西宮市のBJ STUDIO、ギターやベースギターを弾きに、いつも学生や若い人々で賑わっていた。店の一番奥で、そんな彼等といつも談笑していた彼を僕は知っている。
 私設音楽スタジオを営んでいた。YAMAHAの24チャンネルのミキシングコンソールの前で、ガラス越しに見える録音中のミュージシャンが奏でる音に耳を研ぎすませて、音の調整を黙々と行っていた彼を僕は知っている。

誰かが教えてくれた。「人は2度死ぬんだよ」と。「1回目は現実の肉体の死。そして2回目は人々の思い出から消えた時のイメージの死」。
 そう、そういう意味でなら、彼はまだ生きている。僕の脳、はっきりとしたイメージの中で。
 男兄弟のいない僕にとっては、ある意味アニキのような存在だったのだろう。頼りもすれば反発もし、そういうやんちゃで不安定な若造の僕を受け入れ、辛抱強く、音楽の創造のプロセスを通じて、僕との時間を共有してくれた。

そのことの大きさや大切さは、その時はわからなかったが、今はわかる。

年をとることはあながち悪いことばかりではない。人々が避けたがる悲しみや辛さというものも、重ねる時間の中で思いもよらぬ様相に変貌することがあり、それが自分の生を助けてくれるなどということもおこるのだ。
 彼を失った悲しみはこの10年の年月の積み重ねの中で、生のしぶとさのようなものへと変貌して、勝つことよりも負けることのほうが多い人生の嵐のただなかの僕を支えてくれる。

あったこともない作家やタレントや俳優の『人生指南』も、時には役立つが、やはり現実の世界を生き抜くしぶとい力を与えてくれるのは、ともに生きた人間の言葉や思いであり、共感し反発し、肯定し否定し、を繰り返し繰り返すことのできる人間とともに共有した時間だ。

言葉や思いや時間は僕の中で響く声になり、確実に僕を「気付かせてくれる」声になって、僕の生を導いてくれるのだ。

-この一文を今は亡き、石井托氏に捧げる 「ありがとう托さん」2006.7.8-


 さてさて、『大家さん、時間ですよ』と題して、何人かの人物をとりあげ、わがままで自分本位な人物回想を繰りひろげてまいりました谷口純平のコーナー、今回にて終了とさせていただきます。
 次回からは装いも新たに、イラストエッセイ『東京道草ボーイ』を開始すべく準備をすすめております。
 最近は防犯の意味で持たされたケータイに「道草する時間が減った」と嘆く小学生があらわれるご時世。
「花よりダンゴのたとえもあるさ。道草だけが人生さ。」を合い言葉に、道草ばかりをくって人生の本道を見失いがちな谷口純平の東京ライフを、気の向くままに綴ってゆきたいと思います。
 どうぞ、御贔屓にお願い、あっ、も・お・し・あ・げ・ま・す・るー。チョンチョンチョン!

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