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〜その27〜
2010年各星座下半期占い

みなさま大変おひさしぶりでございます。

私は全体的にはあいかわらずで…。
まあ占い書いてます。
しかし、これが載るころには微妙にピークは過ぎておりますが。
最近星の世界では「カーディナルクライマックス」
(活動宮=カーディナル に、星が集中し、天空で十字架状に並ぶこと。
星の影響が大きくでるといわれる、百何十年に一度くらいの現象)が
ありました〜〜〜。6月の最終週近辺でした。

これについても、何回かあちこちでかいたのですが。
すごく簡単に言うと、
「ここまでの人生や自分の考え、やってきたことに、
ひとつ、判定、のようなものが出て。
それは、よくも悪くも、現状を見定める通信簿のようなもので、
それを踏まえて、また下半期を、具体的な目標の元
(つまり、「こういう結果だったということは、
つまり今後はもっとこうしていくべきなんだな」と)、
自分たちが行動していくための、ひとつのターニングポイントとなるべきとき」

みたいな感じです。私が解釈するに。

結末でなく、あくまでもどんなに大きくても、通過点。
通過点としての、ひとつの結論。

そういう時期でございました。
人によっては、まだ渦中じゃ!ということもあるでしょうし、
そんなことあったかなあ…(無意識)ということもあるかもですが。

個人的には、本当にそういいできごとばっかり、
あったなあ…という感触もあるのと、
でもどっちかというと、
何があった!の部分より、
そういうかずかずのことを踏まえて、自分が感じたこと、感じつつあること、
のほうが、下半期に大きな影響を持っていきそうだ。
そういう印象でございます。

で、ですね。
下半期はそれぞれの星座にとって、どういう時期となるのか。
それについてもここで書こうと思っているんですが、
まあ、なんかああなるこうなる…っていうだけだとなあ〜
(いいっぱなし、感が微妙にあって)
かつ、今回はもっと、12星座を自分のほうに引き寄せたかったというか、
「自分にとって、これが親しい人ならば、なんていうだろうか」
というところを個人的にも考えてみたかったので。
ただ先を見て、こうなるね〜っていうだけで、
本当に伝わるのかなあ…なんてことも、最近よく考えるので。
そんな経過のもと。
今回の下半期占いは、各星座への手紙形式にしています。
今期はたまたま、何回か下半期占いを書く機会もあったので
(比較的そのテンションがどういうものか、も頭に入っており)、
各星座の状況を一度自分の中に入れなおして、踏まえたうえで、
「そんなあなたにいっておきたいのは、これですわ」
的に書いてます。
だから、具体的にいつ何が起こる…ってのではないんですが。
まあ。みてみてくださいまし。





contents(クリックすると各星座にジャンプ)

<1> 親愛なる牡羊座へ

<2> 親愛なる牡牛座へ

<3> 親愛なる双子座へ

<4> 親愛なる蟹座へ

<5> 親愛なる獅子座へ

<6> 親愛なる乙女座へ

<7> 親愛なる天秤座へ

<8> 親愛なる蠍座へ

<9> 親愛なる射手座へ

<10> 親愛なる山羊座へ

<11> 親愛なる水瓶座へ

<12>親愛なる魚座へ






















































































































<1> 親愛なる牡羊座へ

もう少しやさしい言葉で気持ちを表現できるんだったら。
本当に素直なままでいたら。
今抱えている問題のほとんどは、そもそも存在しなかったんじゃなかろうか。
あなたについて、いつもそう思う。

あなたは単純そうでいて、本当のところは結構扱いの難しい人だ。
「単純だから、ある程度適当に扱っても大丈夫」
「めんどうな誤解とか、あの人はしないだろう」、
大体周りの人はそう思うのだろうけど、そんなことはない。
確かに牡羊座の言動はパターンが決まっている。
そういう意味では非常に単純な人である。

実際、中身自体はいろいろあって、もちろんほかの誰とも変わらず、
いやいっそうに複雑だったりするのに、
それを処理するためにする対応はいつもおなじ。
大体、人に自分の内側について語らないし、自分自身とも会話しない。
ワンパターンな対応、生き方の雑さ、
はもちろん自分自身に対しても向けられている。
それはまるで、
一刻も早く決断して、問題、心の苦しみを
振り切ってしまおうとしているみたいに見える。

でも、人間はそんなに単純じゃない。
微妙な感情についてとりあつかっているときは、
そんなに簡単に処理できるはずもないし、無理に急がせることで、
いっそう自分をすり減らす、消耗させる必要もない。
誰かに要求されているわけでもない。でも、そうしてしまう。
それはまるで、まだ治りきっていない傷を待ちきれなくて、
ばんそうこうをはがしてしまう子供に似ているなあ…と私は思う。
そうすることで、傷と早くおさらばしたいのである。
結果、かえってその問題を長引かせ、消えないものにする可能性があると、
どこかで気づいているのに。

牡羊座は大体いつも急いでいるし、
いつまでも同じことを内にとどめていることが嫌で、
いったん立ち止まることも苦手だ。
それは「そいつが弱いから、そういうことが起こる」とか
本当に思っているみたい。
だから自分が、本当は意気消沈して、泣きたいときにも走ってしまう。
一見、その動きは攻撃的なので、周囲は驚いて
「牡羊座は強いし、勝手なので、自分たちなんて必要ないんだろう」と
思ってしまう。苦しんでいる、と気づかない。
また、誰かが救いを求めて、牡羊座に近づいたときも、
やはり同じようにやってしまう。
苦しみのそばにいるのが、たぶん怖いのだ。
だから他人の苦しみであっても近くにいるのに耐えられなくて、
一刻も早く追い払おうことで愛情を示そうとしてしまう。
相手がその人のペースでその出来事と向き合わなければ、
何の意味もない、と本当は理解していても、「苦しみの最中」に、
黙って寄り添うことが難しいのだ。

相手が大切であるほど、苦しんでいるものの横でじっと見守ることができない。
自分を表現することについて、バリエーションを持たない牡羊座は、
どうしたらいいかわからない、何もできない無力感で、
胸が張り裂けそうになるのかもしれない。
でも。
そんなときは、じっとそばで、泣いていたらいいのだ、と私は思う。
気の利いたこと、安らぐ言葉をかける必要なんてない。
特別な助言や、治療をあなたが施してあげなければならないということもない。

ただ大事な相手のそばにすわって、決してそこから逃げだしてしまわず、
一緒に苦しんであげればいいんじゃないだろうか。
ただそばにいることで、あなたの勇気をわけてあげたらいいんじゃないだろうか。

実際の牡羊座は、決して粗暴なんかじゃない。
本当に純粋で、やさしいとしか言いようのない人だ。
あなたのそんな一面を見るとき、私はいつも、
漫画なんかに出てくる勇敢な男の子みたい、と感じる。
いじめられている子を黙って助けて、相手を追い払ったあと抱き起こしてくれ、
服を払って頭をなでて、でも、名前もいわずににっこりして行ってしまう。
こんなに崇高なことってあるかしら?
牡羊座がくれるやさしさは、一番これに似ている。
最高にシンプルで強く、無欲だ。

確かにその裏側には、人間らしい打算や思いやたくらみもあるのかもしれない。
が、正直言ってそれを私は見破ることができない。
あまりにも、まぶしいからだ。
自分がやったそのひとつの行為にただ満足して、
相手の賞賛なんかまったく関係なく、素直に笑って、何の未練もなく去っていく。
牡羊座自身に一番似合う善意で、それこそが本質だと感じる。
それ以上も、それ以下もないのが、あなただと思う。
その存在に感動したり、意味を見出したり、褒め称えたり評価したりするのは、
ほかの人間の役目で、あなた自身はそんなことと関わりをもつ必要はないのだ。
かっこいい本人は、その余韻だけ残して、その場にいないものだもの。

牡羊座は芯が強い存在だが、同時に人の痛みや弱さ。
悲しみについても痛いほど知っている。知っているからこそ、
恐ろしくてあがきたくもなるんだろう
でも。いくら苦しくても、決して逃げてはだめだ。
決して自分を卑怯者にはしないからこそ、あなたは神々しいのだ。
人間の弱さを知っているからこその強さ、やさしさ。
自分も弱いからこそ、でも強くあろうとし、
うまく語れないからこそ、存在でそれを示そうとがんばる。
その強さで、人と威圧してはいけない。
示すべきものは、本当にシンプルでいられる人の、素朴な“威厳”なのだから。

我が愛する牡羊座よ。
あなたの魂が、今日も健やかで、
メーターをすべて振り切って今日が終わりますように。
力強くくったくのないあなたの笑顔を、また見ることができますように。

あなたの友人・まーさより

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<2> 親愛なる牡牛座へ

なんて牡牛座ってうそつきなんだろう…?
時々私はそれにびっくりさせられる。

牡牛座は誠実さがそのまんま人間の形になったような人だ。
だから、わかったはずなのにまたすっかり忘れ、
牡牛座のうそに再び出会ったとき、ものすごく驚いてしまう。
私には、うそをついていることそのものよりも、
何でそんなところでうそをつく?という理由のほうがわからない
。そこがショックなのだ。

牡牛座のつくうそは、決まっている。
「大丈夫だよ」ということだ
本当は大丈夫でもなんでもないときに、
おそらく本人の中で一番困り果てているときにこそ、このせりふをいう。
普段なら、「何かおいしいもの食べない?」
「帰りにこれ買いたいんだけど、つきあってもらえる?」
「何かやる気が出ないから、一服しませんか」みたいな、
本当にどうでもいいお願いは、すぐにしてくるのに。
今こそ誰かが必要だっていうとき、なんでじっと、
押入れの中で嵐が過ぎるのをがまんして待とう…みたいなことをするのだろう。
誰のことも、呼ばないで。

親しい牡牛座のいる人なら、みんな一度は思ったことあるんじゃないかしら。
この人の、本当に大事な場面に、自分は居合わせることができないんじゃないか。
きっとこの相手は、黙って、誰にも迷惑をかけずにその場をしのごうとして、
自分は、もっとも必要とされるときに相手を助けるという、
関係性・一番の喜びを感受し得ないんじゃないか、と。

牡牛座にわかってもらうには、じっくりいってきかせるしかない。
本当に相手に響けば、牡牛座は絶対忘れない。
でも、まず「受け入れようと、牡牛座本人に扉を開いてもらう」ことが
そもそもできなければ、相手の心には何をどんな風に言っても、届かないのだ。
しかも、彼らは、「やさしいことば」より、
「いじわるなことば、つらいことば」にたやすく門戸を開く。
「何かあったら、すぐにいってよ?」と何度言っても、
そのあと、何か悪意あるものに
「そんなの真に受けて頼ったら馬鹿を見るよ?」と聞かされたら、
こわくなって、そっちを信じてしまうのだ。
「本当に信じていいの?」と、私に聞いてくれることもしないで。

だから、牡牛座を愛するということは。
「大切な人が、自分で自分を守ってくれない、大事にしてくれない不安」
と常に同居することになる。
自分が相手の元に駆けつけるまで、ちゃんと身を守って攻撃してくる相手に
応戦してくれるだろうか。
されるがままになって、ぼろぼろになってしまわないだろうか。
嫌な現実も、受け入れすぎていないだろうか。
そもそも、自分に「助けて!」と、今度こそ伝えてくれるだろうか?

自分という人間が、過剰に頑固で、ある世界から出ないでいるがために、
自分を愛している人にさえこんな思いをさせていることを、
牡牛座自身、あなたは気がついているだろうか。
自分はいいんだよ、これぐらいで…と、
未来を低く見積もる癖がついているせいで、
自分はこのくらいの苦労や苦痛を感じても仕方ない人間だ、
と考える傾向があるせいで、
時としてあなたは、自分以外の、本当にあなたの大事なものも、傷つけている。
そんなことはないんだろうか?

あなたが身を挺して守りたい相手がいるように、
あなたのことを、何が何でも大事にしたい、人だってこの世にはいるのである。
愛するリスクと愛されるリスクは、常にセットで存在しているもので、
どっちかだけではなりたたない。
誰かが得るべきリスクまで、ひとりじめしようとするのは、あなたの悪い癖で、
また、放棄しだすと何もやらなくなったりもする。こっちも悪い癖だ。

人が本当の意味で強くなる過程では、
「いろいろなことをうけいれる」が必修科目だ。
どんなことも、どっちかだけではだめで、
またある時点まではOKだった出来事も、どこかでまた変わっていくこともある。
何もかも流動的で、変動性で、同時多発性なのである。
牡牛座にとっては恐怖かもしれないが、本当は身近でもあるはずだ。
あなたも、そうやって大きくなったのだもの。
この世にはどっちも大事なおとうさんとおかあさんがいて、
友達と遊びながら勉強もし、部活もしながら本も読んで、
恋をしながら試験も受けた。
大事なことは、いつも同時進行だったではないか。

人は成長するとき、何もかもが動く。そして変わるのである。
変わっていくのは、時が流れたしるし。
あなたがたくさんの時をすごした証なのだから。

変化は、決して怖くない。
成長が、「成長させられた」のではなく、「成長した」であるように、
世界も「勝手に変化した」のではなく、「あなたが変化していく」のだから。

だから、毎日の中に「すごく大丈夫」なときもあれば、
「あんまり大丈夫じゃない」日があるのも、普通である。
うそをついても、どんなに隠しても、普通わかる。
あなたを大事に思っている人には、特に確実にばれている。

だからうそは無駄だ。もうやめなさい。特に、自分自身にうそをつくのは。
あなたに一番変わってほしいとしたら、
「大丈夫じゃないかも」と電話してきてくれるようになることです。
相手がどれだけそのひとことを喜ぶか、門を開けて、
一度しっかりその目ではっきり見てちょうだい。


あなたの友人・まーさより

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<3> 親愛なる双子座へ

大して似合いもしない、深刻な顔しちゃって。
最近の双子座に対していいたい、私の感想である。

いやいやわかっています。
確かに「私だって、そういう顔しかできないときもあるんだよ!」と
あなたが言いたいことは。
むしろ、あなた本人より、私のほうがわかっているかもしれなくらい。
本当に、人生には深刻なシーンもある。いい悪いじゃなくて、深刻、なシーンね。

でもそのたびに思うのである。
確かに、今は大切なときで、じっくり人生に取りくまなければならないし、
眉間に深いしわがよったり、深いため息をついたり。
いつもより、言葉少なになったりするかもしれない。

そうはいっても、じゃあそんなシリアスな顔をしていること、
深刻なことに身を浸してばかりいて、
まるで潜水のようにひっそりと冷静に抑制して人生を歩むことが、
よりによって、この“双子座”に、果たして一番いいことなのか、と。
「似合っている」のかと。

大変なことがい〜〜〜っぱいあるというのは、わかっています。
でも、そういうときこそ、楽しまなくちゃいけないんじゃないかしら。
「それでも世界は美しい、そして笑いに満ちている」
今、そのせりふが言えるとしたら、あなたたちで。そうでなかったら、
ほかの誰が、暗くよどんだ世界に、笑顔をもたらしてくれるって言うんだろう?

『ライフ イズ ビューティフル』っていう映画があるでしょう?
改めて、あれはすごい映画だなあ…、と最近ふと思い出して、そう考えました。

人間には、極限状態でも、やっぱり希望や、笑いが必要なのである。
いや、本当にその人のぎりぎりの状態あたりを突っ走っているからこそ、
「そんな中でも、人は絶望ばかりしていられないのだ」ということが、
つくづくわかる。
そういうことなんだな、と思いました。
笑い、そしてそこから生まれる高揚感、希望が、
どれだけ人の心や人生を照らすのかは、
一度本当に暗闇に入ってみた人でなければ、わからない。
むしろ。ぐずぐず泣いたり、いらいらしたり、文句ばっかりいって、
「ある種のちょっと暗い状態」にとどまっていられる人は、
多分「まだたいした状態じゃない」んじゃない?
そう思うのです。
本当に、もうこれ以上はできないぞ!ぐらいまで自分がやっている、
生き抜いている意識があったら。
「ここまでくると、何だが、もはやすがすがしくて笑っちゃうよね!」
そう感じるのが、健康な魂なんじゃないかしら。
人から見たかっこよさとか、偉さとか、豪華さとか、かしこさとか、
そういう価値基準は全部追い抜いて、世界の思惑なんかに、
まったく惑わされないくらい引き離したとき。
双子座なら、多分、笑っちゃうと思うんです。
「まったく、なにやってんだろうなあ。俺! あははははは!」
みたいなね。そこで笑っちゃえる力こそ、かっこよさなのよ。

双子座の生まれつき持つエネルギーの先端までいったら、
本当に研ぎ澄まされた、能力の真髄まで見たら、
多分そこには、ユーモアだけがあると、私は思うんですよ。
どんな背景も、どんな出来事も、最終的には笑ってかわせる力。
苦しい気持ちも、軽く茶化して見せて、緩和させる能力。
本当に真剣に真摯にいながらも、どこかそんな自分を客観視して、
「すごく一生懸命になっているねえ〜。自分。
ここまでやってるなら、いい思いさせてあげたいよねえ!」
と笑えるような。そんな明るい軽さで、世界全体の気持まで鼓舞されるような。

最終的には、どこまでいっても、愉快な人。明るいうそで、
みんなを自分自身をもだませる人。それこそが、双子座なんじゃない?

楽で、いい思いしてて、苦労なんかなくて、どうせ人生を甘く考えているんだろう。
普通、深刻な場面で笑っている人を見たとき、底の浅い人なら、
こんな風に解釈しちゃうでしょう。
でも多分、双子座はそう思われても、怒らないんじゃないかしら。
「だって、あいつ、いかにも苦労してそう…って思われるほうが、
何かヤダ。かっこ悪い」って思いそうだもの。
だからこそ、あなたはユーモアに向いている、と思うのです。
「こんなにがんばっているんだ!って、みんなにわかってもらいたい。
いや、みんなわかるべきだ!」って考える人も、この世にはたくさんいるもんね。
それも悪くはないけど、笑えるか…っていったら、興ざめなのは明らかでしょう。
きっと、自分がやるべきことをやっていたら。
人からどういわれようと、自分はすごいんだもん。自分はこれでいいんだもん。
そう思えたら、きっと双子座はどんなときでも笑えるはず。
きっと、突き抜けちゃったらこの世には「いいも悪いもないんだ。
どっちも似たようなものなんだ」って、気づくんだろうし、
「どんな不愉快そうな、不可解な、不公平な出来事にも、
何かしら笑える部分はあるな」
ってことも、わかってしまうと思うんです。

逆に言えば、あなたが笑えないくらい疲弊する姿は、誰も見たくないんだと思う。
そうなる必要もないんだと思う。
別に義務なんて果たさなくていいから、重たい荷物なんて背負わなくていいから、
そんなのは、そういうのが大好きな人間が片付けるから。
きみは笑っていろ。
人生の中にいつも、おもしろい部分を見つけて、
そっちに進路をとっていてほしい。
それは世界全体の願いなんじゃないでしょうか。
そして「自分の道を見つけたい」双子座自身にとっても、
「真剣でありながらも、決して自分に多くを背負わせない」ことは
生涯を通じての命題なんじゃないですか。
時には背負わないほうが、背負うことより難しい。
だからこそ、難しいほうを成し遂げてください。
それに、実際。くだらないときのあなたが、最高に好きです。

あなたの友人・まーさより

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<4> 親愛なる蟹座へ

「そういえば、蟹座ってあんまり祈らない…」
そんなことにふと気がつく、最近の私。
え〜〜〜?祈りですか?と思うかしら。
もしくは「え、やってるよ!新月のお願いとか、書いているもん」と
いうでしょうか。

ここ最近の、動きの多い、強い星回り。それを見るたび思う。占うたび思う。
「こういうときに人を救うのは、祈りだな」
と。
まあ神頼みとかお願いとか、言葉自体は何でもいいんだけど、
いいたいのはつまり「一心になる」ということだ。
あと、具体的に何をしてほしいから、これをお願いとか、
あれがだめだから何とかしてください、とか、まあそういうことも範疇だけど、
いいたいこととは微妙に違う。
「ただひたすらに、自分のエネルギーをひとつにして、何かにこめること。
どこかに届けたいと願いこと」
私は、これを祈りだと思っている。
占いなんかを日常にしていると、
エネルギーというものの動きに敏感にならざるを得なくなる。
いや、そんな難しいものでもないな。
「エネルギーってのをよく見かけますよ」かな?

わかりやすくたとえるなら、それは一種の運動法則みたいなものだ。
水も、ある程度注いだら容器からこぼれる。使って減らさないかぎり。
同じボールを転がすにしても、平らな地面と坂道では、
必然的にスピードが変わる。投げる力の問題ではない。
大事なのは、どんな環境に転がすかってことだ。
シーソーを極端にどちらかに傾けたら、遅かれ早かれ、
反対側に勢いよく動くのは予想できる。
永遠にシーソーを抑え続ける力というのは、自然の中には存在しないからだ。

こうやって聞くと、そうそうこれを否定する人はいないだろうけど、
「人間の人生もこれにかなり似ているよ」というと、話は別だ。
でも、本当によく似ていると、私は思うんですよ。
で、こういう「生き物の、世界のしくみ」みたいなのを、
本当は一番よくわかっているのが蟹座なんじゃないかとも思うの。素質的には。

蟹座の持ち味は“生き物のの流動的な部分を理解し、
力に変える資質を持っていること”。
ほら、月がやっていることと同じです。満ち欠けで命を生まれさせたり奪ったり。何かを芽生えさせたり消滅させたりする。
「日々形を変えることで、永遠になる」
それが月の力でしょう。これは蟹座も同じ。

普通は、「ひとつの状態、完成状態」を作ること、
それを維持することにエネルギーを注ぐケースが多い。
今の社会、特に男性原理の形成した社会の仕組みではそういうのが多いね。
でも、女性原理の支配する月の世界は、
「そのものが生まれて、朽ちていくところまでをすべて容認することで、
強くなる」「失うことを恐れ防ごうとするのではなく、
死や終わりまでも受け入れて、それをも消化してまた次を生み出す」
価値観なんだな。
ある意味、もっと強い。そして、生き物には自然だ。
なんとしても命を守る、生きながらえさせるのが父親なら、生んだ以上、
わが子の生死をも見届ける覚悟を最初に決めるのが母親。
蟹座は母親の星だからね。

だからなんだ、というとですね。
そうはいったって、蟹座だって普通の人間だし。
苦しみも悲しみも、ほかの星座と同じように味わう。
いや、もっと強く味わうんだな。
蟹座は愛さなければ生きられない星座。
それも、ちょっとした恋愛とかの話ではなくて、
それこそ「わが血を注げるような相手」を生涯かけて探してるんじゃないかしら。
でも、それだからこそ、なかなか本物は見つからない。
また、一度見つけたと思っても、究極に接近するからこそ、
互いに深く傷つけあうことも多い。
蟹座は相手が人間であるにしろ、仕事や別の事柄であるにしろ、
「適当に離れてかかわる」ってことがものすごくへたくそなので
(それも特徴的)。
常に愛するか傷つけあうか、になってしまう傾向もある。

つまり「上手に生きられるタイプ」なんかじゃ、絶対にないのよ。

でもこれもまたなぜかなんだけど、
蟹座は「すごくうまく、俗に言うスマートに生きたい」
と思っている人も不思議と多いんだな。
しかも、その価値判断がかなり人目を気にするものだ。
人から見てかっこいい、きれい、すごいと思われたがっている。
自分から見てのかっこよさももちろんあるけど、
その価値を他人のもので惑わされやすい。
人とうまく距離がとれないので、
本来影響されなくてもいいものにまで、無意識に影響されちゃうんでしょう。

で、だからなんだ、というとね。
そういう人だからこそ、「祈ること」が必要だと思うんです。私は。
きっと蟹座の一心に祈る姿は、美しいだろうなあとも思うの。
蟹座の持っている、時に毒にもなるほどのやさしさは、
なるべく大きなものに向けられるべきなんじゃないかな。
ああなりたい、こうじゃなきゃだめ、
なんてそんな目先のことにとらわれていたらダメだよ
あなたには、あなたにしか本当に発揮できない何かがあるはずで、
まずはそれをはっきり、まん真ん中で捕らえなきゃ。

それは、自分の内側の、本当のかけねない自分自身と会話することでしか、
わからないの。

周囲のどんなことにも惑わされない、
“自分自身”だけとの時間が、あなたたちにこそ、必要だと思う。
それは本当にすばらしい時間で…。
多分一度、本当の意味で味わったら、あなたは心の底からみずみずしくなって、
きっと「この世のすべてを愛せるようになったよ」っていうんじゃないかしら。

そして、純粋にそう感じているあなたを、誰が愛さずにいられるだろうか。

惑いやすい心を、清らかで震えやすい心を持つものよ。

あなたと聖なる存在の間に、何者もおかないで、ただ一心に祈る。
そんな透明な時間を持ちなさい。
あなたがつくるその聖なる瞬間の裏で、きっと起こるべき奇跡は、起こる。

それを信じて。
「清らかな目を持つものにのみ、見える真実がある」
蟹座さんにこのことばを贈ります。

あなたの友人・まーさより

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<5> 親愛なる獅子座へ

一人でくよくよするんじゃねえよ。獅子座のくせに!

あ、ちょっと荒かった?
でもよくそう思うの。
獅子座の悪いときって、大体ひとりでくよくよしてます。
で、いいときっていうのは「ひとりでくよくよ、は、していないとき」(笑)。

去年とか今年とか、獅子座って結構目に見えてがんばっているなあ…。
そう思っています。
だから今は「発展途上まっただなか」な感じだろう。
だからこそ、こういうせりふも素直に聞けちゃう感じだと思うんですが。

「獅子座ってぜんぜん完璧じゃないよ。天才じゃないよ」
って。
さすがその名前(ライオン)がついているだけに、
獅子座のみなさんは往々にして「大志を抱く」傾向にあると思う。
あと、「自分は生まれつきすごいのだ」と信じたがっている、この傾向もあるね。
あ、この二つをうまく融合していうと、
「でかい物好き、でかい人間好き。自分もダントツにでかくなりたい」
こういうことかな?

これはすごくいいことだと思うんです。
だって気持ちがそもそもないところに、実態は備わらないもの。
目指す希望を大きく持てる人だけが、それを現実化できる可能性もある。
それは事実。

でも、往々にしてまた獅子座が間違っちゃう(うっかりしちゃう)のは、
「俺は生まれつきすごいはずだ、だから、これができるんだ(未完の大器的発想)」って、あまり考えずに、単純に結論付けたがるフシがあるってこと。
現実には、獅子座は努力家だし、まじめに物事に取り組むし、
何かに熱中しきれるパワーもある。
そのダンプカーのような魂は、確かに特別なんだけど。
どっちかというと、獅子座は秀才型。
決して一個一個の動きや考えは洗練されてはいないけど、
長い期間自分を甘やかさずに、鍛え続け学ばせ続け、求められているところまで、何より自分の望んでいる領域まで、自力で成長させられるパワーを持っている。
日々を重ねて重ねて、“完成”するタイプなんじゃないかなあ。

それに対し。 完璧って言葉は、何か、もっとスピードが速くて、
何より「傷ひとつない」感じがするじゃない。
確かに、完璧、っていうものは生まれつきその能力を持っているところからしか
生まれない気がする。
この世にあっという間に生まれ出てこれないと、
どうしたって傷はついちゃうもの。すったもんだの結果、できるものじゃない。

獅子座の能力がいくらピークまで達しても、
戦って戦って初めて到達できる種類のそのゴールは、「完璧は生まない」。
そう思うんだな。

獅子座の作る究極の世界は、むしろ「“完成”した世界」。
こっちのほうが近いと思う。
そこにはこれまでの経緯がたくさん刻まれているかもしれないし、
隠し切れないほどの感情や思いが、中にこめられているかもしれない。

でも、この世には、そういう種類のかっこよさって、
やっぱりあると思うんですよ。

先に獅子座がよくないとき「一人でくよくよしている」っていったけど。
よくないのは、「一人で」のところです。
多分あなたは「くよくよしちゃだめだよ」っていう意味だって、思ったでしょう。

違うのよ。

人間はみんなくよくよしている。
それは、誰だって本当はわかっていることなんだ。
あなたに泣きたい夜があるなら、
ほかの11星座のみんなにだって、やっぱりある。
「完璧」を目指すタイプの人も、この世の中にはいて、
たとえば、その人は一人できれいな涙を流したほうが、いいってこともある。
でも、獅子座みたいなあなたの場合。
一人でいるのは、決して得策ではないんだ。

獅子座は、その存在だけで完結できるような、
そんなパーフェクトなエネルギーではないけれど、
逆にすべてのものを融合できる、懐の深さを持っている。
獅子座は、世界とかかわることでつよくなる、やさしくなる
かかわっただけ、手を伸ばしただけ、強靭な魂になっていく。
獅子座は王様の星ってよくいうけど、王様はいろんなことがあっても、
すべて腹にしまってみんなのために努力する人でしょ。
いっぱいいろんなことあっても、「でも全部、消化してきたことだからね」って、何にもない顔してみせる、前向き・究極のええかっこしい。
それが、獅子座なんじゃないのかなあ。

私はいつもそう思うのです。

ほらあるじゃない。あの歌が。

「人として、人と出会い。
人として、人に迷い。
人として、人に傷つき。
人として、人と別れて。

それでも、人しか、愛せない」

これは本当に、獅子座の歌でもあると思う。

人という字が、二本の線が支えあう形をしているように。
太陽は何者へもエネルギーをそそぎ、決して差別しない。
そしてすべてのエネルギーも、また太陽に帰っていく。

獅子座が強くたくましく健やかに笑えば笑うほど、
同時に、たくさんの人の笑顔に照らされる。

そのことさえわかっていれば。
獅子座はもっともっと多くの波を超えられるし、
笑顔でたくさんの痕跡をその身に残して、
自分なりの完成に、また一歩近づくんじゃないかしら。
それを、私は何より楽しみにしているのです。

あなたの友人・まーさより

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<6> 親愛なる乙女座へ

改めて考えてみるに。
去年から今年にかけて、すごくたくさんのあなたの涙を見た気がします。

いやぜんぜん変な意味じゃないのよ。
かつ、うれしい意味で言っているところさえあるんだけど。
普段、乙女座はあまり泣かないから。
自分の感情と赤裸々に向き合ったりしない人たちだから。
「取り乱したりしちゃだめ、きちんとしていなきゃ」
「いつもどおり、平常心でいなきゃ」って考える傾向が強いから。
そんな人が、今みたいな、大きな変化が予想される星回りに出会って、
結果として、自分の中のマグマみたいなものと向き合って、
上がったり下がったりをたくさん経験するのは、
さぞかししんどいだろうなあ。

「なんだか自分は、いつもと違う気がする」
「こんなはずじゃないのに」
「どうしていつものようにうまくいかないの?すんなり終わらないの?
自分はすっきりと先に進めないの、ぱっと理解できないの?」

疑問ばっかりで、なんだか苦しく。
結果としてなんだか涙が出る。
「こんなときに泣くなんて、それもいやだ〜」
とも、思っちゃうかもしれないなあ、って。

でも、私思うんだけどね。
人間って、そうはいっても感情の生き物だから。
魂が震えたら、涙は必ず出るものなんじゃないか、そう思うんです。

あなたの魂がかつてなく、いろいろなものに震えている。
それって、本当に悪いことなんだろうか。

いつも、いつもどおり。
何でもすんなり通過して「魂も震えない」程度に済ませるほうが、
本当にいいのかなあ?

生きていたら必ず晴れの日も雨の日もあるし。
いろいろな天気の空の下を歩くことが、生きるっていううえでは、
すごく大事なんだと思うのです。私は。

いつもぱりっとちゃんと“きちんと”、
何より“問題なく見える状態”でい続けることより、

いろんな境遇を受け取りながらも、すったもんだありながらも、
軸はしっかりしていて、時間をかけても、自分の居場所に、
“きちんと”もどってくる。
「これが自分だなあ、どうやっても、自分はここだなあ」
そこを味わう。自分、という世界を、自分の内側に見つける。

乙女座的「きちんと」の使うべき位置は、こっちだと思うのですよ。

頭のいい人は、どうしても知性に頼ってしまう。
人間って、難しい状況、不利な状況下にいるときほど、
「得意の戦術で強行突破」しようとするからね。
だから、いつもどおりにいかないぞ、とか。
すぐに理解できないぞ、とかに出会うと。
「どういうこと、え、どういうこと?」
って考えて、知力をエネルギーに前に進もうとする気がする。
理屈さえ通れば、状況も動くんじゃないか。
自分の気持ちも、おさまるんじゃないか。
なんだかそういう風に思ってしまうのは、よくわかるけど。
実際はなんかそれも違う、ってわかっているでしょ?

「そうはいっても、現実には現実のスピードがあるんだし、
急いでもしょうがない」
「いくらわかれ!っていっても、人が何かを理解するスピードは、
誰にも強制できないし」
「今自分が騒いだって、いくら考えを進めたって、
起こるべきことは放っておいても起こる。起こらないことは起こらない。
それを決めるのは人間の領域じゃない」

…どっちかというと、こっちにその知性を使うべきなんじゃないでしょうか。

あなたが、いつもの領域を出て、
つまり、そこにさえいれば安全だった世界から「一歩先に踏み出した」からこそ。
今、そんなにも魂が震えているんじゃなかろうか。
私の目にはそう見えます。
今実際に起こっていることが、たとえ今どう見えていようとも、
「自分で選んで、今私はここにいるのだ」
と知っていることは、心を救うし。
事実、そのとおりでもあるのだから。

怖がることはないよ。
たくさん泣いている分、世界が美しく見えるようになるんだったら、
そのほうがいいじゃない。

それにね。
乙女座の向かう先は「昇華」だと思うんです。
これは、エネルギーをただ動いていっぱいつかう、っていうだけじゃなくて。
「考え、実行。考え、実行。考え…」
これを繰り返した人が行き着ける、精神的な一種の天国だと思うの。
物質的なものだけど向き合っていたら、絶対に到達できない場所。

「自分という人間の望みと限界はどこにあるんだろう」
向き合うのが難しいこの問題を、丁寧に解いた人だけがいける世界。

乙女座はかつてなく、ここに近づいているとも思うから。
いっそ中途半端な成功じゃなくて、究極の上昇を目指しちゃったらどうかなあ、
と。
確か、誰か有名な人が「至上の楽園は、穏やかなるそのこころの内にある」
みたいなことをいっていた気がするけど、それには大賛成です。

自分を幸せにする、一番いい方法、を自分で思いついたら。
明日から世界がまったく違うものに見えると思うよ。

あなたの友人・まーさより

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<7> 親愛なる天秤座へ

改めて。
あなたはかっこいいなあ…。
思っていたより、天秤座は、その根っこからかっこいい人なんだ。
そう思えたここしばらくです。

そう、イメージするなら、天秤座は私のおさななじみのようなもの。

昔から、ちょっと気が利いた子供で、
大人にも子供にも受けのいい人だった。
とびきり美人だとか美男だとか出なくても、なんだか愛嬌があって人気もある。
抜群に得意なこと、が特にはなくても、どんなこともそこそここなしてしまう。
そこがまた、周りからは受けがいいのだった。
人間って、すごく優れたところが一個あるより、
全体をそこそこ平均かそれ以上のあたりでまとめるほうが、
ずっと「できる」印象を与えるものなのだなあ、ということを知ったのも、
あなたに会ってからである。

みんな、長い付き合いなら、一度や二度は、涙でぼろぼろになったり、
何かであせったり、怒りを隠せないシーンを見かける機会があるのに。

そういえば、あなたに関しては、
あんまりそういう劇的なシーンを見たことがない。
もちろんそこが魅力のひとつなんだろうけど、
私からすれば、「ものすごく人間らしい部分」っていうのを見るのは、
ひとつ秘密を、大事な部分を分かち合ったような気がするところもあるので、
「やはりこれだけそういうことを見せないってことは、
本人的にも真剣に隠しているんだろうな」
なんて気もついたりして。
そう思うと、それが天秤座の性格だから
(悪気があるとか、相手に心を開いていないからだとか、そういう問題ではない)と知っていても、「天秤座が私に置くくらいは、私も相手に距離を置こう」、
と思ってしまうところがあるのだった。

だってなんだか、自分だけ近くにいたいと思っている、みたいで。
少しさみしくなるじゃない?

そういう独特の心理を呼び起こす彼らを、ずいぶんと長く見ている。
次第に、そういう「良くも悪くも、他人に一番自分をよく見せる距離感」に
こだわる姿勢は、天秤座の泣き所なんだな、ということにも気がついてきた。

実際、本当に困ったときには、
相手の懐に飛び込んでしまったほうがいいことも多々あるし
(相手が受け入れる姿勢を示してくれるなら、なおさらだ)。
ぶっちゃけちゃったほうが、自分も楽になる、
そういうことももちろんあるだろう。
人間のリアルなところ、ひりひりした切実な部分を見せたほうが、
実際、本当の意味での理解者、味方も増える。

それは天秤座もわかっているだろうに、
やっぱりあんまりそういう方法を取るシーンは見かけないので。
正直、土星という、人間を大きく成長させる星が、
一過性でなく、ある程度長いタームを使って、
「もっとも自分らしいタフネス」を身につけさせようとする星が
今度は天秤座に入る…と思ったとき。
「天秤座は手も足も出なくなるんじゃないか?」
という風に、思う部分もあった。
もっと、泥臭く汗をながせたり、泣き喚いたり、
暴れたりできる星座ならば、どんな展開が起こるか、そしてどんな反応をするか、そしてどうやってそこを潜り抜けていくのかも、そこそこイメージできる。

でも、天秤座なら…?
天秤座が、どんなときにも決して手放さない、
“自分というスタイル”を、本当にどんなときでも手放さないのか、知りたかった。

そして時は流れ。そろそろ半年は過ぎた。

私は、天秤座に、惚れ直したと思う。

これまで見てきたいろいろな経験からすると、星は移動した直後が一番苦しい。
その新しい環境、状況、変化というものが、
ある場所に定着するまでが、やっぱり一番難しい時期なんじゃないだろうか。
「何が起こっているのだろうか」
「これまではこんなはずじゃなかった。何かが変わったのか?」
やっぱり、みんなまず心が混乱してしまうからだ。
でも、ある程度の時間が過ぎると、人はみんななれてくる。
必然的に受け入れが始まって。
そこからが本当の勝負なのだ。動揺が収まってからが、本腰なんだから。

何か新しい波が体にしみきって、心底それを受け入れきったとき、
「じゃあ、どうやって世界を動かしていく? 
私はどうやって、世界を変えていく?」
そこに考えが、心が進路を取り出すのは、そこからだ。

でも大体、そこに行き着くまでに、やっぱり人はみんな、
じたばたどたばたあわあわして。
「われながら、見苦しかった…」
ということを、多少なりともやってしまう。

いや、むしろやるのが普通なんだ。
最初に体が受け止めた悲鳴を、外に向かって放つからこそ、
周囲もそれがわかるし、
何より自分がその声を聞いて、本当に本物の真剣が、瞬時に発動できるのだから。

でも。
見苦しくなってもいい、そういうタイミングの中でも。
私が見ていた限り、天秤座は「最後のジェントル」を忘れなかったと思う。
もちろん多少はわめいただろう。
でも、どんなに自分が飢えていても、
子供の食べているものを奪い取りはしなかったし、
疲労困憊していても、お年寄りが目の前にきたら、
きちんと敬意を示して場所を譲っていた。
悩んでいないフリはしなかったが、
「悩んでいるからといって、世界に迷惑をかけていいと、私は思わない」
と、その背中で語っていたと思う。

自分というスタイルを失ったら、それは私ではない

あちこちの天秤座の苦しい中の決意に、そんな言葉を見た気がする。
それを、心底、かっこいい、と思った。
生死をかけたときも、決して身を離れないのが、本当の品性というものだもの。
何があっても、有利でも不利でも貫くなら、
そのスタイルの前では、こちらも兜を脱ぐのが礼儀だ。
こういう種類の、人の強さっていうのも、あるんだと思う。

個人的には、がつがつしたり、興奮しやすかったり、ほれっぽかったり、
お金に目がなかったり。
どんな人生も、いいと思う。これは天秤座に限らないけど、
あなたがあなたという信念のもと、何かを生涯貫いていこうとするなら、
お仕着せでない、自分らしさのもと、輝こうと努めるなら。

かならずそれは報いられると思う。
あなたたち、天秤座なら、なおさらだ。

神様だってきっと同意してくれるはず。

ぜひこれからも11の仲間たちにお手本を示してください。
みんなを代弁して、よろしくお願いします。

追伸: 神様に「あのイカす子誰?」と聞かれたら、
あなたの名前を伝えておきます。

あなたの友人・まーさより

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<8> 親愛なる蠍座へ

いいんじゃないですか。このままで…。

あ、これで終わるとさすがに怒られますね(笑)。
いやでもこれ実際の実感ですよ?

蠍座とも長い付き合いですが(全星座、同じ長さだけど)、
こんなにいい感じの蠍座、なかなか見たことなかったですよ。いや本当。
「何かそれなりの、でかい出来事がないと、蠍座は動かないもんなあ」
といつも思ってきましたが。
やはりくるときはくるのである。
こんなに走り回っている蠍座。めったに見られません。
でも、走って人生が見えてくるなら、どこまでだって走ればいいのである。

実際思うに、あなたは走った分の距離、上った分の段数、考えた夜の数、
実際に成長しているじゃないですか。
まずは、まっしぐらにまっさかさまに何かに飛び込んでしまわなければならない。
だって、そこまでの渦中感がないと、
蠍座は「めんどうだからいいか」と思ってすぐ、見ないほうを選んでしまうもの。
だから、どぼーんと行ってしまったほうがいいし。
こういうのは「私の出番がついに着ちゃったってことですなあ〜」
という風に理解して、そうめったやたらじゃ、舞台を降りないぞ! 
一度得た主役の座は渡さないもんね、ぐらいの感じで、粘るのが正しいわよ。

普段ならこんなこといっても、「はあ〜〜〜(でも動かない)」なんてこと、
多々ありますが。
今なら「そ、そうですよね! すごくわかります、びりびりきます!」
ともいってくれるはず。

実際、蠍座もかなり善戦してますよ。
いったん滝に打たれるぞ!となったら、
頼むからもうやめて家に入って…(涙)と
懇願されて強引に引きずり出されないと、
やめないぞっていうのが、蠍座だもんね(笑)。
いったん世界で自分を鍛えだしたら、人生という坂道を転がり始めたら、
あまりにも事態が動くので、景観が変わるので、
何より自分の中の澱がつぎつぎ消え去っていくので、
「なんだこれ、こんな世界って展開速かったの?」
って気づいちゃって、もうおもしろくなって冒険心が掻き立てられて、
家に帰るのも忘れ、また保守的な巣箱の中に戻って寝ていようなんて、
「あ〜〜〜できない。もうできない!」
と、巣箱ごと、火をつけて燃やしちゃったり、ぐらいは、やりそうだ。

まあ、そんなもんですよ。
(また巣が目に入ると誘惑されて、逆戻りしそうで怖いんだよね)

とはいえ、そういう激烈な展開は、
往々にして強い疲労感や感情の波ももたらすから。
変化ってもの自体にあまり耐性のないみなさんは、そうはいっても、
休み休み、特に心を休み休みいくってことを、
忘れないほうがいいかもしれないですね。

もちろん今はがつんと、自分の中から強さを出すべきところだけど、
かといって肉体まで、心まで無敵になるわけじゃないからね。

でも、すごくいいターニングポイントだと、私は思うんですよ。

いい機会だから、本当にしっかり、自分自身ととっくみあって、
しみじみ話し合って、
「私・連合軍」の中での今後の戦術や方向性、方針を、見つけ出すべきだと思う。
今なら、きっと、その究極の部分まで到達できるだろうし、
息切れせずに向き合えるだろうし、
周りにも、そんなあなたの戦法を指示して、協力してくれる助っ人が、
現れやすいと思うな。

だから、いろいろあるとは思うけど。
ぐずぐず泣いていたり、何を見ても悲観的になったり、
「やっぱり自分にはこれ以上無理」とか、たやすく結論付けて、
プライドのもてない人生に甘んじたりは、しちゃだめだよ。

そう、プライド!
あなたにこそ、一番必要なもの。
みんなが持っていて、大体どこでも大事にされていて、神棚にあったり、
抱いて寝ていたり、毎日磨いたり、夜な夜な話しかけて相談していたりする、
生き物みんなの強力な友人を、
あなたは大事にしなさ過ぎたよ。ここ最近まで〜〜!

私が思うに、
プライドとは人を傷つける、高慢ちきになる、
我を通してふんぞりかえる道具なんかじゃないよ。
プライドは人を映す鏡。
いつも正直でいさせ、勇気をあたえ、何が本当に大事なのか、
自分を愛するために何をすべきか、常に教えてくれるもの。
それは神々しく切れる包丁みたいなもので、
最もシンプルで美しい自分にふさわしくないものを、
切り落としてくれる存在でもある。
プライドに鑑みて、そこに余分なものがうつったら、
それがどんなに甘い顔を見せても、それは手放すべきなんだ。

以前『つまらない男の妻になるより、偉大な男の愛人になれ』
みたいな感じの本があったけど。
あれは、正しい、ある意味ね。
まあ、どっちもでいいのだ。
その人のプライドにかけて、それを正しいとするならね。

相手をどう見るか、状況をどう見るか、自分自身をどう見るか、
自分はどうでありたいのか。
あなたのプライドがそれを許すなら、それが本当の正解である。
そう思います。自分で導き出すこと、
それこそがプライドの一番望むことでもあるしね。

きっとこの時期あなたはきれいに、すばらしくなると思う。
いや、そうなるような、道を通ってください。ぜったいね。
約束ね。

あなたの友人・まーさより

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<9> 親愛なる射手座へ

この手紙を書くにあたって、改めて射手座に思いをはせる…。
すると、かなり意外なんだけど。
この手紙を一番待っているのは、射手座なのかもしれないなという気がした。

普段なら、私は積極的に射手座を思い出すことはないのである。
射手座は…なんていうか、あまり手のかからない子供で。
いや言い換えれば、「あまり手をかけてほしくない、
というビームを出し続けている、子供」である。

だから、本当に熱を出しているとかひどい怪我をしたとか、
物理的な問題が起こったときはおかあさんが必要だけど。
普通は何でもひとりでやりたいし、誰かに助けてもらうために、
結果としてずっと家にとどまらないといけないくらいなら、
その辺でつばでもつけて、傷は治したいタイプだし
(あまり衛生面ではお勧めできないけど)。
何より、「誰かに救ってもらわないとどうにもできないような、
泥沼には、そもそもすばやく獣の勘で察知して、入っていかない」ので。

何かのきっかけで、自分を追い詰めて入り込んでしまう
“迷いの森での迷子”さえ気をつけていれば、
そんなにどかーんと落ち込んだり、下がったりしない、
「ちょっと低空ながらも安全飛行」なタイプなのである。
と、おかあさんは、いえ私は思う。

そう思って、だから最初こそしっかり「気をつけていくのよ!」
といって送り出したけど。
まあ、そこそこがんばっていくでしょう…と見送って、
あとはもっと手間のかかる子の面倒を見ていたのであるが。

どうも、久しぶりに「はいはい、それで射手座はどうした」と、
射手座に目線を合わせてみると。
どうやら微妙に、“例の迷いの森”に近づいているフシがあるな、と。

別段この森は、「入ると即効危険が!」という種類のものではないのだが、
ほかの星座が入っても、まあしばらく迷わせておいてもいいのだが、
射手座には、ことのほか効いちゃう森なので、
すぐさま助けにいかねばならないな、と。
(射手座に起こる問題は、
大体、行き先がわからなくなり悶々として自分を毒する、自家中毒だからだ)

で、これを書いているわけです。
射手座が一番だめなのは、「頭が重くなってしまったとき」である。
つまり、物理的にはかなり元気だが、精神的に抱えすぎ、背負いすぎて、
もう飛び上がれなくなったとき。
「飛び上がれない、方向がわからない…、もうだめだ…」
となってしまったときだと思う。
多分、今迷い気味なのも、いつになく何かを抱えているからだろう。
まあ、それはしかたないんだけどね。

さっきも言ったけど、普通なら射手座はこういうところには入らないのだ。
どんなにいい獲物が見えても、追いかけていくと袋小路に入るはめに…
と感じたら、獲物のほうをあきらめるタイプだからね。
これは正しい。
そもそも、射手座には「絶対こうでないとだめなんだ!」
とこだわるほどの獲物なんかないし。
逆にどんな獲物をも、うまくモチベーションを高めて追う知恵を持っている。
むしろ、「日々狩を続ける、追い続ける」という部分こそが、
最高のご馳走なので。
無駄な深追い、執着は持ち合わせていないはずだ。

でも、時々だが。
そんなあなたたちにも、何かしらの圧力やストレスがかかり、
それなりの執着心やこだわりを持ち続けていないとガス欠してしまいそうな
出来事が起こるときもある。
それに、大きな流れ的にも、
「いっつも、ある意味どうでもいいものを追いかけて満足しているようじゃ、
本当の意味での成長がないんじゃない?」
みたいな揺さぶりもあって。
射手座は、いろいろ考えてきたのだと思う。
多分最近はそんなかんじで、自分なりにまじめに取り組もうとか、
正面から見据えようとか、慣れないことに力を振り絞って、努力したんだと思う。

それはすばらしいことだと思います。
でも、結果、無理しすぎたか、やっぱり慣れていないので、
体や心の使い方に多少無茶があって。
「あっれー?なんでこれ、ここまで労力注がないといけないんだっけ。
そもそもこれのゴールはどこなんだっけ?」と、一瞬方向がわからなくなり。
で、そのタイミングで、後ろから壁を落とされて。
気づくと袋小路のわなにはまっていた…。
で、何しろ普段はつかまらないから「つかまったのか?」ということに
まずショック。で、この後どうなる?よりも、
「この自分が捕まるくらい方向を見失うとは…」のほうがショックだという。

こういうかんじ?

うむ状況はわかったぞ。では、お話しますが。
道はあっています!
そうです、その袋小路でいいのです。

そもそも、とことんまで何かを追う。
それは「ずっと地上にい続ける」ことを意味し。
一定の時間が来たら、あなたは息苦しくなる。勘が鈍る。
それは、ある意味必然なんです。そうなることは、
追う前からおかあさんわかっていました(笑)。
これまではそれが怖くて、本当の意味で何かを追うこと自体、
心の中心にはおいてこなかったはず。

でも思うのですが。
今はつかまっちゃっているとはいえ。
しつこく追うのも、それなりに楽しかったでしょう?
そして道中が長かった分、いろいろな人に出会ったでしょう?

一定期間、真剣な姿を見せ続けるということは、Wの効果があります。
いっこは、自分のハートに、自らのエネルギーを見せ付けられること。
自分自身だって、何もせずにしたがってくれるわけじゃない。
「こいつ本気じゃないか」と知ってくれて初めて、手も足も、目も心も、
全員が味方になってくれるんです。
自分の知らなかった面を見て、「自分ってこんなこともできるんだな」とわかる。これは財産なの。

もういっこは、その味方が、体の外側にも生まれること。
いくら相手が手助けしたくても、あなたが本気でなければ、
誰も手出しできません。
本気で助けてほしがらないと、助けって、得られないからね。
だってあなたはそもそも
「無駄にかかわってほしくないよ」オーラをデフォルトにして
生まれてきているし(笑)。
デフォルトというのは、「生まれつきの才能」とも訳せるし、
「よほど意識しないと解除できないもの」とも訳せるじゃないか。
わかる?

だからさ。
もう少しなんですよ。
“迷いの森”オーラが出ているってことは、
もうじき「やっぱり誰か助けてください!」の設定に変更されつつあるってこと。何事も、変更かがかかるときは、一回苦しいのよ。

それに。あなたがとことんまで人生を追うつもりでいって、
もしその先で壁が落ちてきても。
多分上空から天使が現れるし。大鷲が抱えて飛んでくれるのかもしれないし。
「壁があることをものともしない」相手が、またうまいこと、助けに来てくれると思うんだ。

だから。
弱い気持ちに、もう少し、その体を明け渡さないでいて。

まあ、そういう空挺部隊がぎりぎりに間に合わないとしても。

いざとなれば。そんな壁、けり倒してでていけばいいんだもの。
あなたには、そのくらい強烈なキック力も、実際ある。
その力を持ってして、ここまで人生を追ってきたんじゃないか。
自分の心で限界を作らなければ、そもそも、
あなたを閉じ込められる場所なんてこの世にはないんだもの。
それがわかっていれば、そもそも、
「あ、ここも袋小路じゃないや、出口あった…」と気がつくと思う。
そう、その判断さえできなくなるってことが、“迷いの森”なのよー!

勇敢なる、愉快なる、優雅なる射手座諸君。

あなたが長い冒険を終えて、その背に戦利品たる黄金と姫を乗せて、
家に帰ってくるのを、おかあさんは待ってます。
あくまで、あなたの意思を尊重して、遠くで。

どうぞ、おみやげもよろしく…。

あなたの友人・まーさより

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<10> 親愛なる山羊座へ

こんちはです(あいさつ?)。
12星座の中でもお姉さん(お兄さん)格の山羊座。なんとなくそういう印象。
いや上下の問題じゃなく、長子〜中間子気質(つまり自主自立)のみなさん。

今感じるに。
そうね、なかなか順調な気がします。
少し前はもう少し荒れ気味だった気がするのに、今は凪…。
いや、山羊座は着々と腹をくくってきているということかな?

普段は、山羊座って本当にペシミストというとあれですけど。
もうちょっと夢を見てほしいわ…って思ったりします。
でも、現在に関しては、割と山羊座向きの風向きというか、
「目の前にあることでまず判断し、そこでのいい部分をみつける」
こういうところが大事だし、しかも山羊座はわかっているので。
無駄にもあわてていないというか。
そういうことなのかな?

それにどっちみち、今年の山羊座は
「自分の努力やぶちかまし(笑)だけでは越えられない山があると知る」
というか、
「そうか、ぶちかまさなくてもいいのね、そういうやり方をすれば…」
みたいなところを、よく見るべき時期だと思うので。
今意気が上がりすぎていなくて、
“見る”姿勢が取れているのは、かしこいなあ〜〜〜〜さすがお姉ちゃん
(お兄ちゃん)という感じがしますね。

そう、今はまた列車に乗っているところかな。
自分がいろいろ活動したり、考えたりするのもいいけど、
それとはまったく別のところで、着々と進行している世界もある。
それをまず受け入れて(何もかも把握したい!と、じだんだ踏むんじゃなくて)。
「ではその列車の限られた世界の中で、自分はどうしたいのかな?」
をよく考えながら、実際にやっていくというか。

結構、こういう適度に限定された環境って、みなさんは好きでしょう。
ある種、工夫の余地があるというかさ。
何でもかんでも好きなようにやっていいよ、って言われると、
山羊座は案外混乱しちゃうんだよね。
「不利な条件ほど燃える」ともいえる。その辺も悲観主義的(笑)。

だから、これはここから生き抜いていく、という中でも使えるコツなんですが。
一瞬自分の中に混乱が生まれたり、え、わからない!と思ってしまったりしたら。

すぐに、その状況での条件をいくつか書き出してみて、考えたらどうだろうか。
時間や予算や環境や…。自分で考えやすい燃えやすい枠を、
自分で一瞬生み出すんだね。
枠線があると書きやすい、っていうのも、実際あるじゃない?

制限っていうのは本当に考えようで。
あると思えばあるし、ないと思えばないのである。
「命は限られているしね」といえば、それは本当だけど、
「とはいえ、多分近日中には死なないと思うけどね」というのも本当だ。
何か今この目の前にあることをやるかどうかってレベルで、
正直1000年の寿命はいらないのだから、結局どっちでも同じでしょう。
普通、制限があると思うとつらくなる人のほうが多いので、
とっぱらう方法のほうを教えるのだけど、逆にみなさんの場合、
「使い勝手のいい、制限を自分で設ける」ことで、
日々を生きやすくするっていう方法、あると思いますよ。

そうやって、「自分が一番、得意とする、熱量が上がる状況を、
自己選出で作り出す」ってことですね。

もちろんこれには、
「自分で作った制限なのだから、ある程度無理そうだと気づいたら、
変えても、とっぱらってもいい」、とか、
「やるだけやっても、やっぱり無理なことはある、といい意味で悟る」とか
ものすごく知的なセルフコントロールも、やろうと思えばできるという…、
その辺が前提なのだけどね。
いっそその辺も含めて、資格取っちゃったら?(笑)

改めてここでいっておきますが。これはみんなそうだけど。
根本的な性格って、やっぱり変わりませんよ。
逆を言えば、どんな目にあっても、損得がめまぐるしく変わっても、
誰にどういわれても、
「やっぱり、こびりついたように、自分から離れない」
っていうのが、性格なんだと思う。
人によっては「その性格、変えたほうがいいよ」とか、
「なんで気がついているのに、なおさないわけ」とか、
気軽に言う人もいますが…。
いやーそんな簡単に取れるような浸透率じゃないわけよ。性格というシミは。
いや、個性は、人生に刻まれた前向きな刻印だと、私はむしろ思うから。
意味があって、そこに存在するのだと信じるし、
散々雨風にさらされ、なでられて、
「もう十分この刻印は役目を果たしたぞ。主張する必要もないくらいだ」
と認識されれば、次第に丸くなって平坦になるのかもしれない。

つまりそうでない限りは。
まだまだ小僧っこである今は。

できるかぎり、自分という個性、そのしるしを、胸を張って生きられるように。
そのためには、あらゆる努力はする価値があるのだ。

そう思うのであります。

山羊座は繰り返しますが、放っておいてもできる子ですし、
そこそこ進軍もすると思いますが。
ときどき、胸が苦しくなってしまうときもあるだろう。
多分それは「自分を愛する理由がわからなくなった」ときなんじゃないか、
と私は思うの。

でも、今年という流れがあなたにもたらそうとしているものも、
まさにそこにかかわるもので。

いろいろな自分自身、いろいろな愛や苦悩の形を見届けながら。
「何の条件もなく、ただひたすらに自分を愛する気持ち」
自分もこれをもってもいいのだ。いや、愛を持って自分という印を守ることが、
生きるものすべての義務なんだなと。

そして、この泥まみれ血まみれあざだらけ傷だらけの自分だからこそ。
もっともっと強く愛したい。
私という自分よ、どうぞよろしくお願いします、と。

自分に対して挨拶できるような。
そんな気持ちに、いきついてくれたら、本当に言うことはないなあ…と。
思うしだいでありました。

このことも、あなたのペースで、ゆっくりかんで、
消化にもぜひ時間をかけてください。

あなたの友人・まーさより

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<11> 親愛なる水瓶座へ

そうそう、水瓶座と話す機会があったら、
ぜひ聞いてみたいと思っていたことがあるのです。

これを書いている今は、時期もじきだし。
スポーツというものを、たくさん見かけます。
実際の活動もエネルギーも含めてね。
人は生きている以上、
みんな多かれ少なかれ何かに夢中になりたがっているもので、
それを外側からとはいえわかりやすく満たしてくれるから、
みんなスポーツがすきなんだと思う。
だから。
所詮人がやっていることだ、と割り切ることもなく、
まるで自分自身のことのように、こぞってその波に乗っかるのだ。そうも思う。

うむ。
これはなんとなくわかるんです。
生き物はすべて、より強い光に惹かれるものだし、
この複雑な世の中、そうそう人をシンプルにしてくれる瞬間も訪れないのだから、
この原始的なエネルギー。勝つとか負けるとか、努力とか熱意とか無心とか?
少しでもその力をいただきたい。かかわりたいと思うのは、
金魚が酸素を求めて水面にあがってくるように、
ある意味必死の試みなのかもしれない。

私はそういう風に思い、かつ自分自身の中にさえも、
そういう部分はあるんだろうな、と感じて眺めていたりします。

でも。
だいたいこういう時期、同時に思うのですが。
私から見れば、
勝とうと負けようと、力を出し切ろうと出し切れなかろうと、
自分のもてる力をどういう形で使う作戦を立てようと、

それはその本人、当事者のものだし。
その人がなんといっても、
一番その事実に関しては真剣な存在であるはずなのだから。
外野たるもの、黙って見守るべきだ
そう考えている。

つまりどんなに熱中し、肩入れしているにしても。人生は常に当事者のものであり、
「もっとこうすべきだった」「メンタルの弱さが出た」
とかいうのももちろんだが、
「やってくれると信じている」「みんなの思いを乗せてがんばれ」とか。

なんだそれは。とってつけたように…。
つーか、放っておくべきなんじゃないだろうか。
だってあなたは“外野”なんだから。
そう思うのである。

どう思う?水瓶座のみなさんよ。

これはあなたの人生でも、身近な話ではないだろうか?
いろいろな状況はあるにしろ、あなたはちっとも悪い状態ではないだろう。
あなたはそもそも、自分さえよければ、基本OKな人で、
別段それだからといっていまさら冷たいとか、いわれはしないだろう。
もちろん自覚もあるだろうし、
みんなも「あいつはそういうやつ。つーか、それでいいと思う」
と多分わかっていてくれている。
だから、その恵まれた状況を生かして、自分というものをいっそう見極める
これ以外、道はないのである。

相手がもし「君のサポーターなんだよ」と称しても、
そんなものを気にかけてご機嫌をとる必要なんてさらさらない。
あなたを本当に思っていて、大事にする気があるなら。
多分そのエネルギーは、あなたを放っておくだろう。

ただひたすら何かを成し遂げるあなたを見守っているだけで。
ひとつの「 」が閉じるまで見ていて、
遠くからVサインを送ってくれるくらいのはずだ。

どんな形にしろ。
それが親切や愛情の形をとっていたとしても。
惑わされてはいけない。
あなたの力、勢いに便乗して、
自分の人生までちょっとおもしろくしてもらおうとてぐすねを引いている
ものなんかに、あなたのプレイを乱されてはいけないのだ。
そんなやつに限って、「俺ならあそこでパスはしないなー」とか、
平気でいうんだからさ(笑)。

いや笑い事ではない。
人の意見は時として有益だし、
今のあなたにはどんなものも教師となりえるとは思う。
でも世界には、反面教師とすべきやからも、エピソードもまじっているのである。

まあいいさ。
結局世界は、実際に現場に出ている人の勝ちなんである。
どんな声が飛んできたって、あなたが目標を忘れず、ただまっすぐに走れば。
誰にも文句なんて、ただのひとこともいえなくて、
ひたすら賞賛の目で眺めるしか、ないんだもんね。

そう。めざせ、「感動をありがとう!」(笑)

あなたの友人・まーさより

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<12>親愛なる魚座へ

はいはい、ようやく魚座までやってまいりました。

うむ〜〜〜

どうよ最近魚座ちゃん。
今気分的には一緒に温泉にはっているような感じです(
だからなんだということはないが、気軽さのニュアンスね。笑)。
まあ、思うんですが。
そうそう、力まなくても。そんなに「がんばるぞ!」を
連呼しなくてもいいんじゃないかなあ〜という気がちょっとする、
私なのでありました。

確かに今年は、魚座にチャンスがめぐってきやすい時期。
このタイミングで「大願果たすもんね!」となるのは、
すっごくわかる心理である。
というか、全星座、木星が来るとなるとそうなるんだわよ。うん。
実際、今の流れは魚座に何か、新展開をもたらす方向になっていると思うし。
そうね、「基本、風向きは追い風継続中」。そういう感じですよ。

とはいえ、ここしばらくを見ていて思ったけど。
魚座は鼻息荒くするの、マジに向いていないっすよ…つくづく。

魚座のいいときって、もうこの言い方かなり古臭い?ので恐ろしいけど、
これしかない。
魚座のいいときは、「自然体」。このまんまなのである。

魚座さんの調子が出ているときっていうのは、
「いっつもあいかわらず」な状態であり。
運がいいとか恵まれているとか、
最近いまいちだとかあいつがにくいだとか(笑)。
そんな細かいことで、いちいちアップダウンしない。
それより〜〜〜〜最近、庭のダリアがきれいに咲いてて〜〜〜。
あれ写真とって〜〜〜。
ついでに梅のジャムも作ってもっていって〜〜。
あ、仕事の打ち合わせにも持っていくと喜ばれるからもっていって〜〜〜。
瓶は多めに煮沸しておかなきゃねえ〜〜〜〜。
あ、●●ちゃんの今日のワンピースかわいい…(今気づいた)。

こんな感じでは?(笑)
もう少し男性的なバージョン。
ああ、●●さんこんにちはー。先日の企画書の件ですがー。
煮詰めているうちに別の案も浮かんじゃいましてー。
まあ、前のでほぼ決まりとは思ったんですけど、
書くだけ書いてみてもいいのかなあ〜と思って企画書にしてきてますー。
個人的にはこっちの案も、なかなかいいんじゃないかと思ってー。
ついでにスライドもつい作っちゃってー…。
あ、そうなんです、熱中して昨日うっかり徹夜しちゃって…。
でもおもしろかったんで気分はいいんですよ〜お気遣いどうもー。
ちなみに、こっちの案だったらテストケースを設置させてくれるお店も、
もうめぼしが着いているんですよー。
まあまだ思いつきの段階なんで、軽くメールで打診してみている程度なんですが、感触はいいみたいで。
あ?ああ、そうなんですー。
朝時間があったんで、
ちょっとメールも打っておきましたら、すぐ返事が来て〜。
レスって、思いがけないとき早いですよねー。
あ、そうだ、●●さんの分もアイスコーヒーかっておいたんだったー。
どうぞどうぞ…。え? ああこっちの案でOKですか?

そうですかー。いやもちろんうれしいです〜。
ただ、自分が単純にいいなあと思って勝手に考えていただけなんで、
すんなりOKしてもらって、なんだかうれしくて恐縮しちゃいますねえ…。

あんまり男性的でもなかった(笑)。
まあこんな感じですよ。ある意味わかりやすい?

好きさ、いいと思うんだ〜すごく楽しくない〜?と思うあまり、
なんだか知らないけど熱中してしまい。
でも基本無欲なので、あまり誰にも迷惑をかけず。
その一心ぶりに、みんながあっけにとられ…いや心を打たれ。
結局魚座の思い通りになってしまうと。

魚座が幸運なときって、こういうのじゃないの?

だからですねえ。
「幸運な時期なんだから、いいことが降って沸くはず!」
と力んでいると、そう、軌道を外れちゃうんですよ。
幸運な時期っていうのは、
「いつもどおりのあなたが認められやすいとき」。そういうものでしょう。
だから、一段といつもどおり。
いつもの自分のいいところを、ふんだんに発揮してないと、逆にいかんのよ。

きっとラブチャンスが来るに違いないよ!と過剰に思いすぎて、
やる気がすごくなりすぎてイケイケになっちゃうと。
もし普段のあなたがイケイケならいいのだが、
今だけイケイケだったりすると、運のほうも、
「あれ、いつものあの子、いないねえ…(といってイケイケの前をスルー)」
こういうこともありうるしさ。
また、普段のあなたが素朴ちゃんで、
“素朴な女の子に目がない、男子をひとやま”、
ご親切にも神様が送り込んでくれたとして(だって幸運期だから)、
すぐ近くにそのひとやまがきても、
「…?あれ、その素朴ちゃんはどこだろう。ここにはイケイケしかいない…」
となると、軍団も帰っちゃいますからね。

だから、変な形でリキいれないで、ありのままでいたほうがいいのよ。
かつ、「ありのままで愛されるんだもんね」、たとえこれだとしてもさ。
“ありのままのあなたの、いい面”をなるべく出すんですよ。

「ありのままなんだから、このままの私を愛してよ。それが幸運期でしょ!」
これはやっぱり違うでしょう。
どの星座だって、いいところと悪いところはあり、
それにうまく折り合いをつけながら、
長所を伸ばしつつ短所を補ってやりくりしているのである。
それ魚座も同じだからわかっていると思いますが。

こういうときだからこそ、長所を伸ばす、はっきりさせるという意識と同時に、
「何が自分の短所なのか。何が自分の足を引っ張っているのか?」
も、きっちり理解しておくと、いいと思います。
こういうのこそ、調子がいいとされるときにやっておくといいのだ。
苦しい時期にはなかなかそんなしんどいことできないでしょう。
いろいろな意味で余裕があるとき、追い風のときに、
苦手科目は克服する。克服にはいたらなくても、
「自分は何がよくて、何がいけないのか。客観的な見識を持つ」。
これはものすんごく、効果があるんですよ。
まあそうだね、たとえるなら、長所と短所が混ざったまま、
きちんと受け止められないままないまぜに行動するのは、
きれいな蒸留水に、雨水を流し込んだまま、水道で流しているようなものかも。
自分で意識してわければ、それぞれに適切な使い道がある。
でもまぜて、たとえば飲んじゃうと。
まあ、いつもおなかを壊すとは限らないけど、
自分の体調が崩れてくると、
これが原因で何か問題を併発する可能性は高いですよね。
でもきちんとわけて、意識できていれば、雨水はお庭にまけばいいし、
まあ、気づいてそれなりに処置できるなら(沸かすとか)、
使いようによっては長所化だって、するじゃない。

やっぱり…すごく引いてみてみて。
今の魚座に運が流れてきていない、なんて。ないと思うよ。
それに、きちんと、よいお水がこんこんと湧いて流れて、
あなたがそこを楽しく漂っていたら、
何だかいろんなことが、うそのようにうまくいくんじゃないか。
そういう風にも思うんですけど。
あなたは、あなた以外の何者にもなる必要はないし、
そうそう、なれるほど器用なあなたでもないのだから。

まずは自分の中の純化をはかってみてはどうだろう。
魚座は、素直が一番です。
「そんなわけない、だまされないぞ!」とかより
「そうなんだ〜いいかも〜」といっているときのほうが、
実際うまくいくのである。だから、本当かどうかより、
その気になれるんなら、波に乗れるんなら、なんでもいいではないか(笑)。

まあ、もうわかっているひとはわかっているし。
みんなそのうちわかりますよ。
「絶好調のときの自分って、なんかゆるい…」ってことを。
今はまあ、ゆっくりお湯に使って、もにょもにょになって、
出ましょ(ちゃぷちゃぷ)。

あなたの友人・まーさ

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アストロカウンセラー・まーさの
「占いで運命をチューニングする」ブログ
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