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第七話 不器用な無限



手紙

あけましておめでとうございます。2007年から2008年になりました。
私がアラスカにいたのは1997年から98年にかけてだったので
ちょうど10年前です。

その頃の通信手段はとても限定されたものでした。
PCも携帯電話もあったけれど普及していなくて、
その時代に海外にいくということは
「情報やつながりから切り離される」ことでした。
日本への電話も一年で数回しかしなかったし、
家にあった巨大パソコンは亀みたいに時間のかかるダイヤルアップ回線。

だから、日本との一番のやりとりは必然的に手紙でした。毎日ドキドキしながらポストをのぞいて、自分宛の手紙を見つけた日はそれだけで心が舞い上がる。
友達や家族からの手紙を一文字一文字ゆっくり読みながら、夜ごはんを食べて、宿題をして、お風呂に入った後のひと時、自分の部屋で眠る前にゆっくりとその人の事を考えながら返事を書くのが幸せな時間。

あの1年間、本当にたくさんの手紙を書いたし、
たくさんの手紙が送られてきた。手紙と一緒にいろいろなものも送られてきた。
写真やカードなどはもちろん、日本の漫画や小説、雑誌の切り抜きだったり
流行っている音楽のカセットテープ(カセットテープ!)だったり
友達の毎日の出来事を綴った日記帳だったり(1年で5冊!)
乾燥納豆やふりかけが無理やり封筒に詰め込まれていたり。
今でもその手紙たちは大事に全部とってあります。

今、海外に行くことは「切り離される」事でもなんでもなくなりました。
世界中で空港に降り立った瞬間から携帯が使えるようになって、
電話がかかってきて、メールがくる。
ネットカフェに行かなくても旅先でブログが更新でき、
ニュースをチェックし、必要なメールには返信が出来る。
一人旅の不安はなくなったし、長く日本を離れても何からも置いていかれない、
そんな風に便利に、シームレスに旅が出来る時代となりました。
しかし同時に余計な心配も増えました。
せっかくの旅先でも携帯がずっと気になったり、
目で見て感じる前に写メールを撮ってしまったり、
仕事の事をずっと考えていたりしなければならなかったり。

そして、ふと思うのです。
留学していたのがこんな便利な時代じゃなくて良かった、と。
私たちはどんどんどこにでも行けるようになって
同時にだんだんどこにも行けなくなっているのかもしれない、と。

今、旅や留学をする人たちはきっとほとんど海外で使える
携帯電話を持っていくのでしょう。
私もそうするし、私が親でもそうする。
女一人旅の場合は何かと治安がよくない地域も多いし、
何しろ私自身がデジタルの恩恵をたっぷり享受してきた世代な訳で、
それを否定するつもりは全くありません。
旅に携帯はもって行かない主義です!なんてカッコイイ事は言えません。
けれど、毎日わくわくしながらポストをのぞくあの気持ち、
何時間もかけて一通の手紙を書く時間、もらった何度も何度も読み返す気持ち。
それを忘れてはいけないと思うだけ。
手紙が良かったのじゃなくて、手紙しかなかった。
そんな時代に1人でアラスカ生活を送ったからこそ、
逆に向こうでの生活になじめ、
たくさんの違う自分に出会えたのかもしれないなあ、と今だから思うのです。

誰かを想い、その人のことを考えて、ゆっくり言葉を綴ること。
かわいい便箋を買って、切手を貼って、つもった雪を掻き分けて、
ポストに手紙を入れたこと。
それだけしかないからこそ、それだけに全ての気持ちを詰め込んだこと。
封筒に入っているのは、「言葉」じゃなくて「時間」。
だから、嬉しいんだろうな。

今は、手紙の方が特別なものになり、
どちらかと言えば「敢えて書く」ものになりました。
年賀状もまたメールが増えました。
けれどこれから更にどんな便利な時代になったとしても
時間もお金もかかる上、時には相手に届かなかったりする
不器用なコミュニケーションもちゃんと出来る人間でありたい。
書かれた文字の暖かさを、愛しさを、
そこにこめられた時間の密度をしっかりと受け止められる人間でありたい。

当たり前のように言われている事かもしれないですが、
自分自身への戒めをこめて。
旅先からラブレターの一通でも出そうではないか。

そんな事を考えながら、
今年もまたたくさん旅をして、たくさん描いていきたいと思っています。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。

2009年
ゆっくりと

AIR MAIL
from LONDON

第九話
空とび猫 デナリの物語<1>

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